Tokyo Chapel

2018年8月22日

第234日

心を尽くして

それはまるで昨日のことのようです。私は席から立って、前に進んでいきました。私は数か月前にクリスチャンになったばかりでした。私が応答したメッセージは完全に、心を尽くして主に献身し、どこに行くことになろうとも、私の心の限り主に従うためのものでした。

もちろん、私はそれからアップダウンを繰り返し、それなりの失敗もありました。私たちは皆、完全には程遠い者です。私は今でも自分がしたくないと願うことをしてしまいます。しかし、私は私の心の限りを尽くして主に従い、全き献身を決めました。

「心の限りを尽くして」「全き献身」をするとは、100%の献身です。それは主があなたにするように召された通りにすることを追い求めることを意味します。それはどのような悪の根をも引き抜くことを意味します。容赦なく高き所を打ち壊し、生活の中にある他の神々を取り除くことです。

主は「その心がご自分と全く一つになっている人々(2歴代16:9)」を探しておられます。詩篇の作者は祈ります。「私の心を一つにしてください(詩篇86:11)」「あなたの心の限り」という表現は、聖書を通じて何度も現れます。例えば、あなたは次のような箇所に「あなたの心の限り」するべきことが挙げられています。

  • 主を愛せよ(申命記6:4-5,マタイ22:36-38)
  • 主を信頼する(箴言3:5)
  • 主に従う(詩篇119:34,69、1歴代29:19)
  • 主を賛美する(詩篇111:1、138:1)
  • 主のために労する(ネヘミヤ4:6、コロサイ3:23)

これは、人生の楽しみ方であり、いのちを豊かに持つためです(ヨハネ10:10)。それは愛、信頼、感謝、喜び、生きがいのある働きの人生です。今日の箇所で、なぜ、そしてどのように私たちが心を尽くして生きるべきなのかを見ます。


人生の短さ

詩篇102:1-11

「私の日は煙の中に尽き果て(3a)」と詩篇の作者は人生がいかに短いかを悟ります。「私の日は、伸びていく夕影のようです。私は、青菜のようにしおれています。(11)」彼は時間が走り去るように感じています。この地上のいのちは本当に短いのです。一日を大切に生きましょう。

詩篇の作者は苦難の中にありました。彼は叫びます。「主よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。(1-2)」

これは、苦悩の中にある時でさえ、神に心を尽くして献身する印象的な例です。神に立ち返ることを選ぶのです。神は永遠であり(12)、信頼されるべきお方であることを覚えましょう。

祈り:主よ。私のいのちが「伸びていく夕影のよう」であったとしても、あなたは永遠であり、私があなたを信頼することができることを感謝します。私は自分の問題を今あなたの前に置きます。…私の叫びが、あなたに届きますように。


復活の確かさ

1コリント15:1-34

パウロは私たちに、彼のメッセージの中心について、そしてなぜ彼がイエスにそれほど心を尽くして従うのかについて語ります。「私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。(1)」これこそが、あなた方が救われたところの福音です(2)。それをしっかりつかみましょう。

1.メッセージ
それはとても単純なメッセージです。「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと(3-4)」

イエスの詩は大きな目的がありました。それは「私たちの罪のため」であったのです。罪の力は打ち砕かれました。罪は赦されたのです。

罪の力が砕かれたとしても、私たちの人生ににはその存在は残っています。しかし、来るべき日に、罪の存在さえも取り除けられるのです。

あなたはこのことを復活のゆえに確信することができるのです。これはあなたの将来に対する確かな希望です。

イエスは死に、葬られました。ある日、あなたも死に葬られるでしょう。イエスは死からよみがえられました。ある日、あなたもまた、死からよみがえり、完全な永遠のいのちに入れられるのです。

2.証拠

復活は神が用意してくださった、この将来の世界におけるしるしです。パウロは神が為してくださったことの光で将来を照らして語ります。「神は、…その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。(使徒17:31)」信仰は不合理なことではありません。信仰は復活という証拠に基づいています。

パウロはいくつかの復活の証拠を挙げています。

  • パウロはイエスが「聖書の示すとおりに」葬られよみがえられたことに光を当てます。イエスの人生、死、復活は、イエスが生まれる前から記されていたのです。
  • パウロはイエスがペテロに、十二弟子に、五百人の人々に、ヤコブに、すべての弟子にそしてついにはパウロ自身にお現われになったことを指し示します(1コリント15:6-8)。

これはイエスがお現われになったすべてを網羅しているわけではありません。しかし、それだけでも証拠は十分でしょう。彼が示したのは、復活が歴史的事実に基づいているということであり、聖書に根差し、経験によって確証されるものだということです。

3.重要性
復活こそ実に重要なことです。もし、復活がなければ、結末は悲惨です。復活こそパウロの説教の土台でした。それがなければ「私たちがあなたがたに語って来たすべてのことは、煙であり鏡です。…珠数つなぎになった白々しい嘘です。(14a-15,MSG訳)」復活こそ彼らが信仰を置いた基礎であるがゆえに、復活がなければ「あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(17)」そうだったら、将来への希望などないわけで「キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。(18)」実に、パウロは復活がなければ、キリスト教には全く価値がないと結論しているのです。「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(19)」

4.結果
「しかしその真実は、キリストはよみがえり、墓場を後にする者たちの、待ち望まれた先駆者となったのです。(20,MSG訳)」それゆえ、復活は確かです。ある日、「キリストにある」者たちは死からよみがえるのです。そして死は打ちのめされるのです(26)。「神の支配は完全に行き渡ります。完結するのです!(28,MSG訳)」

なぜなら、復活が確かだからです。パウロは、いつも危険にさらされていると記しています(30)。「毎日が死の連続です。(31)」パウロは100%主に心を尽くして全き献身を成しました。彼はエペソで獣とさえ戦ったのです(32)。彼は復活の確実性のゆえにそのような危険を冒すことをも望んだのです。

これは、パウロが「罪をやめなさい。(34)」と警告する理由です。サタンの策略は往々にして疑わせることです。サタンがあなたに疑いを吹き込むことが出来れば、その次にはあなたを罪に誘い込みます。ある意味で、すべての罪は不信仰から発しています。

イエスのメッセージ、彼の死と復活は良き知らせです。それはまさに福音です。あなたはそれを受け入れ、信じるべきです。あなたはその上に立ち、しっかりと握るべきです。そして、パウロのように、それを人々に手渡していくのです。

祈り:父よ。イエスが私の罪のために死なれ、あなたがイエスを死からよみがえらせてくださったことを感謝します。それによって、私は完全に赦され、自由にせられ、やがてキリストと共によみがえることができるようになりました。パウロのように、心を尽くしてこのメッセージを「一番大事なこと」として人々に手渡していくことができるようにお助けください。


主の眼

2歴代16:1-18:27

「神はいつも警戒態勢で、常に完全に神に献身した人々を探し求めておられます(16:9,MSG訳)」

予見者ハナニはユダの王アサのもとに来て、アサが主に完全に拠り頼むことをしなかったので、問題が起こると告げました(7-9)。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。(9)」

神はあなたがするすべてのことをご覧になっています。神はその「」が神と「全く一つ」になっている者を探しておられるのです。「その御目」はあなたの心をご覧になっているのです。あなたは神のために心を尽くして生きていますか?

アサはその生涯のほどんどをとてもよく為してきました。晩年になって、「その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。(12)」医療従事者からの助けを受けることは何も間違ったことではありません。神は医者を求めたことを非難しているのではありません。神は彼が主からの助けを求めようとしなかったことを咎めているのです。

彼の息子、ヨシャパテの「心は主の道にいよいよ励み(17:6)」ました。彼もまた、スタートはとてもよかったのです。「彼は馬鹿な真似はしなかった…彼は、彼の父の神、そして彼の父が従った神を求め従う者だった…彼は一つ心で神に従った。そして、彼はその地域にあった娼館である宗教施設を取り除いた(3-6,MSG訳)」

彼は四百人の預言者たちが皆、「偽りを言う霊」で言っているという事実を見破りました(18:21)。ただイムラの子ミカヤだけが、真実を語りました。悪魔は騙す者です。聴くべき声がわずかな時であっても、私たちは神の洞察を必要としており、偽りによって愚かにならず、「神は確かに生きておられ、その神がおっしゃる通りに、私は言おう(13,MSG訳)。」と言うミカヤのような人の声を注意深く聴きましょう。

祈り:主よ。あなたが「あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださる(16:9)」お方であることを感謝します。どうか、私に力を与えてください。今再び、心を尽くしてあなたにお仕えするようにこの身をお献げします。アーメン。

H.K