Tokyo Chapel

2019年9月15日

第258日

全ての危機は機会です

かつてJ.F.ケネディー大統領はこのようにコメントしました。「漢字でクライシスを表すと『危機』という二文字で表されます。一つ目の漢字は『危険』を意味し、二つ目は『機会』を意味します。全ての危機は、同時に機会でもあるのです。危機はしばしば、思いがけない困難から生じます。

私たちは皆、問題を持っています。私たちの多くは危機に遭うことでしょう。あなたは個人的な生活において危険、問題、思いがけない困難に遭う時、どのように反応するでしょうか?教会や国家が思いがけない困難の遭った時はどのように反応するでしょうか?「万策尽きて途方に暮れる(詩篇107:27,NIV訳)」ような時私たちはどうするでしょうか?「福音の真理」が危機に瀕した時私たちはどうするでしょうか(ガラテヤ2:5)?私たちは人生の「暗闇の日」にどうするのでしょうか(イザヤ37:3,MSG訳)


祈りによって主に叫び求める

詩篇107:23-32

あなたの人生の中で、あなたは大きな嵐に遭うことがあるかもしれません。「あらし(25)」が起こって、「風が波を高く(25)」するかもしれません。あなたの覇気は萎えて「みじめにも、溶け去る(26b)」かもしれません。そして「万策尽きて途方に暮れる(26-27,NIV訳)」のです。あなたは思いがけない嵐に打たれ、そこからどのように逃れて良いのか分からなくなるのです。

この詩篇はあなたにどのように対応すれば良いかを示します。

人々は…

「絶望的な状況の中で神に呼ばわります。…神は間一髪で彼らを助け出します。(28,MSG訳)」

神は遅すぎず、早すぎず、いつもジャスト・タイミングです。

「主があらしを静めると、波はないだ。…そして主は、彼らをその望む港に導かれた。(29-30b)」

神があなたが助けを叫び求めることに答えて下さる時に、神に感謝することを忘れてはなりません。

「彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。また、主を民の集会であがめ、長老たちの座で、主を賛美せよ。(31-32)」

祈り:主よ。何度もあなたは私の声を聞いてくださり、助け出して下さったことを感謝します。私の生活のこと、教会のこと、国のことを助けて下さるようにあなたに今日叫び求めます。


技能、手腕、度胸を用いる

ガラテヤ2:1-10

昨日、私たちが見たように、時々、私たちは教会の中で他の部分、他の教団教派、他のクリスチャンを見下げてしまう誘惑があります。そして彼らも自分たちと同じであればいいのにと考えるのです。もし彼らが自分たちと同じことをする時だけ、彼らを「まともな」クリスチャン、あるいは「ましな」クリスチャンと考えるのです。私たちがするこのような考えは、要するに、イエスを信じる信仰だけでは十分ではないと考えていることなのです。

これがガラテヤの教会で起こっていたことでした。彼らはイエスを信じる信仰だけでは十分ではないと言われていたのです。もし彼らが「本物の」クリスチャンになりたかったら、割礼を受ける必要があったのです。

初代教会は思いがけない危機に直面していました。そして、使徒パウロは、教会が分裂の損害を受けないように、彼の持てる勇気、決断力、技量と手腕を組み合わせ、全てを注ぎ込まなければなりませんでした。

パウロが望んだのは、彼が聖霊の働きと導きのもとで行動していることを明らかにすることでした。「それは啓示によって上ったのです。(2)」パウロは自分が宣べ伝えてきた福音の妥当性を信じていました。しかしまた、一致についても心を向けていました。「私はこれを個人的に指導者に為しました…私たちの関心が物議を醸しだす公的な議題にならないようにです。(2,MSG訳)」

パウロは二人の友人、バルナバとテトスを伴っていました。バルナバはユダヤ人であり、テトスはギリシャ人(割礼を受けていない異邦人)でした。1世紀当時、ユダヤ人にとって世界には二種類の人々がいました。ユダヤ人とギリシャ人割礼を受けていない異邦人)です。割礼はユダヤ人の外面的なしるしでした。それは神の命令に沿ったものです(創世記17:9-14)。それは自分たちが選ばれた民であるという神の契約を表していました。

しかし、パウロは自分の同行者の一人にテトスを選びました。「意味深いことに、テトスは、彼はユダヤ人ではないが、割礼を受けさせることを要求されませんでした(ガラテヤ2:3,MSG訳)。パウロはこの箇所で指し示しているのは、エルサレムにいる使徒たち(ヤコブ、ペテロ、ヨハネ)はイエス・キリストの良き知らせはすべての民、すなわち、ユダヤ人と異邦人、割礼を受けた者と割礼を受けていない者のためのものであるということに同意したということです。

パウロは「キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由(4)」を防御せざるを得なかったのです。真の自由は、ただキリストにある信仰を通してのみ見出されるのです。神の前に義と認められるために割礼を必要とすることは、「私たちを奴隷に引き落とそう(4)」とすることです。

もし、彼らが異邦人の回心に際して割礼を強要することを許すなら、彼らは福音のまさに基本を否定することになったでしょう。この手紙の目的は「福音の真理(5)」を説明することでした。パウロはイエスの生、死、復活がモーセの律法の要求をすべて成就したことを示したいと願ったのです。

エルサレムでの会議は割礼に対する疑問を解消しました。キリスト教の歴史の中で最も重要な決定の一つが下されたと言えます。ここでの決断は教会を破壊的に分断することを防ぎました。危機は機会となったのです。

問題を解決しただけではなく、ペテロとパウロによって宣べ伝えられた福音は同じ一つのものとして堅く確立したのです(6)。エルサレムの指導者たちはパウロの使徒職をどう見ても神が与えた権威のしるしを帯びていると認めたのです。

ペテロと他の者たちはパウロを受け入れ、責任の分割、すなわち、パウロは非ユダヤ人に、ペテロはユダヤ人のためにということに同意しました。

同じ福音が異なる人々によって二つの違った領域に取り運ばれようとしたのです。彼らは握手をして、光栄ある同意が締結されたのです(7-9)。これは初代教会の記念すべき瞬間でした。

関係者たちは、慎重に自分たちの違いについての詳細な議論をしました。パウロは、彼に会った人々が「柱として重んじられている(9)」人物であったとしても、気負い負けして押し切られることを拒みました。結局、これがその一団が負っていたものです。恐らくヤコブはすでにエルサレム教会の指導者となっていたものと思われます。ペテロとヨハネはともにイエスとの親密なメンバーでした。

喜ばしい同意が得られました。パウロは、特別な任務を自覚し、固い決意をもっていたにも関わらず、敬意をもって礼儀正しく振舞ったようです。パウロは、彼がするように召されたことをやめさせようとする外からの外圧にも、内からの落胆にも屈しませんでした。

エルサレムの指導者たちが条件として要求した一つのこと「貧しい人たちをいつも顧みるように(10)」ということは、パウロにとってなんの問題もありませんでした。教会はいつも貧しい者や、社会で恵まれない境遇にいる人々を大切にすべきです。

祈り:主よ。私に、パウロが持っていた技能と手腕と勇気を与えてください。パウロのように、イエス・キリストの教会全体を受け入れることが出来ますように助けてください。


「不可能」な状況を主のもとに取り運ぶ

イザヤ36:1-37:38

あなたは今まで神へのあなたの信仰をあざけられたり、ばかにされたりしたことはありますか?「あなたは本当に神があなたと一緒にいるって思ってるの?」と彼らは言います。「それってあなたの頭の中のトモダチなんじゃない?」「神に信頼して何かいいことが起こるって本当に思っているの?」これは、神の民が幾多の時代を超えて体験してきたあざけりです。

神の民は思いがけない攻撃を受けるものです。聖書の中に三度、重要なそのような出来事が登場します(2列王18章、2歴代32章を参照)。アッシリヤの王、セナケリブがエルサレムを大軍で攻撃したのです。彼の手下どもはあざける者たちでした。「いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。(イザヤ36:4)」彼らはあざけり、神への信仰を冷やかしました。

まさしく「だれか、自分の国をアッシリヤの王の手から救い出しただろうか。(18)」と不可能と思える状況だったのです。しかし、彼らはあざけりに応えませんでした。時に、批判に対する最高の応答は、尊厳ある沈黙を守ることです。「 しかし人々は黙っており、彼に一言も答えなかった。『彼に答えるな』というのが、王の命令だったからである。(21)」

ヒゼキヤ王のこの危機に対する反応は「自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮に入った」ことです(37:1)。ヒゼキヤ王は預言者イザヤに使いを送りました。ヒゼキヤは言いました。「これは暗黒の日、私たちは危機に瀕しています。(3,MSG訳)」ヒゼキヤはイザヤに祈るように願いました(4)。

イザヤは神のメッセージを告げて答えました。「あなたが聞いたことに心を惑わせてはならない。…私が自ら彼に対処するから(6-7,MSG訳)。」

ヒゼキヤが脅迫の手紙を受け取った時、彼は主の家に上っていき、それを主の前に広げた。そして祈って言った。「万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。主よ。御耳を傾けて聞いてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばをみな聞いてください。…主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。(14-20)」

イザヤはメッセージを送りました。「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。あなたがアッシリヤの王セナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。…わたしはこの町を守って、これを救おう。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。(21,35)」

神はヒゼキヤとイザヤの祈りを聞かれ、ご自身の民を救出し解放したのです(36-38)。」

祈り:主よ。イエスの名は今や私たちの社会では栄誉を失っています。祈りの内にあなたに私たちが立ち返るために、祈りと懇願の霊をご自身の民に注いでください私たちの祈りを聴いてください。そして、この危機に私たちを解放してください。アーメン。

H.K