Tokyo Chapel

2019年10月30日

第303日

あなたの生きるための鍵

  • マドンナは言いました。「私が子供の頃…イエス・キリストは映画スターのようだった。私の一番お気に入りのアイドルだったのよ。」
  • ナポレオン・ボナパルトは言いました。「私は人間というものを知っている。そして私は告げよう。イエス・キリストほどの人間はいない。」
  • 小説家H.G.ウェルズは言いました。「私は歴史家であって、信者ではない。しかし、このガリラヤの無一文の説教家は歴史の中心にいやおうなしに存在する。」

自分自身を「無一文の説教家」に従う者ではないと記述する人々でさえ、イエスについて、とてつもない何かがあるということを認識しています。

イエスに比べ得るものは、御使えさえ含めて、誰もいないのです(ヘブル1:1-4)。もしあなたが神がどのようなお方であるかを知りたければ、イエスを見ることです。イエスは言いました。「わたしを見た者は、父を見たのです。(ヨハネ14:9)」あなたが聖書を読み、神について理解しようとすれば、すべてイエスのレンズごしに読むことが必要です。イエスは究極の神の啓示です。

あなたの人生を整理するための鍵はイエスです。あなたの聖書理解の鍵はイエスです。あなたの神のご性質の理解の鍵はイエスです。あなたの生きるための鍵はイエスです。


イエスは私たちに罪からのきよめを与える

詩篇119:129-136

聖書を読むことは、ある意味で、とても明るい光のもとで鏡を見るようなものです。「みことばの戸が開くと、光が差し込み…(130a)」その光は私たちの人生において何が間違っているのか、そして私たちがきよめられるために何が必要なのかを明らかにします。それは私たちと神との間にある障壁の原因となっているものを明らかにするのです。

この障壁はあなたの罪がイエスによってきよめられる時取り除けられました。イエスを通して、あなたは神の御顔があなたの上に輝くようになると確信することが出来ます(135)。

詩篇の作者のように祈りましょう。

「私に御顔を向け、私をあわれんでください。
あなたがいつも、それを愛する者たちになさるように
あなたの御名
私の歩みを、それによって確かにしてください
あなたのみことば
どんな罪にも私を支配させないでください。
私を人のそれから贖い出し、
しいたげ
私があなたの戒めを守れるようにしてください。
御顔を彼らの上に照り輝かし、
あなたのしもべ」(132-135a,NIV訳)

詩篇の作者の祈りは罪からのきよめを与えてくださるイエスの偉大な御業の予表です。イエスが「御名を愛する者たちになさるように(132)」あわれんでくださることを知っているという確信をもって、イエスを通して神にいつも立ち返るのです。

祈り:主よ。イエスのゆえに感謝します。あなたのあわれみを感謝します。もはや罪は私を支配しませんように。私を高ぶり、怒り、情欲、貪欲、ねたみ、祈りに欠けること、敵対心、その他のすべての人生の誘惑からお守りください。今日、私にあなたの御顔を輝かせてくださるようにお祈りします。


イエスはみ使いよりも優れた者

ヘブル1:1-14

イエスは唯一無比のお方であり、あなたが必要とするすべてです。ユージン・ピーターソンが指摘するように、あなたは「イエスと天使たち」を必要としません。あなたは「イエスとモーセ」を必要としません。あなたは「イエスと祭司」を必要としません。「この手紙は、あとに続く『と』を削除しています。」ただあながた必要とすべきすべてはイエスです。

ヘブル人への手紙はイエスが誰なのか、イエスが何故、他のすべての存在、教え、宗教以上に偉大で良いお方なのかについて記しています。それはイエスと旧約聖書の預言者との比較から始まっています。預言者たちを通して如何に神が素晴らしい真理をお語りになったかが説明されています。しかし、それにもましてイエスがどれほど素晴らしいかについて記しているのです(1-3)。イエスは「万物の相続者」であり、創造の業に加わり、神の究極的な啓示であり、あなたを支え、あなたを贖うお方です。このすべての理由はイエスが何者であるかということにあります。

イエスは「神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れ(3)」です。The Message訳では、イエスは「神の完璧な鏡、そして神の性質の刻印」と訳されています。

イエスは私たちの人生を整理するために来られました。「罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。(3b)」座に着くとは、主の御業が完成したという事実を象徴しています(ヨハネ19:30参照)。」

どの時代でもこの真理を受け入れることが出来ない人々がいます。今日、ある人々がイエスが「偉大な宗教指導者だけであって」それ以上の存在ではないと論じます。同様に、この手紙の時代にも、ある人々はイエスは「ただの天使だった」と論じました。ヘブル人への手紙の作者は「御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。(ヘブル1:4)」と言います。彼は続けてイエスが御使いよりも優れた存在であることを論じていきます。

聖書の中には御使いについて記されている箇所は300箇所近くあります。私たちはどのようにしてそれらを知ればよいのでしょうか?

この箇所で、私たちは御使いは神を礼拝し仕える存在であることが分かります(6-7)。御使いは神のメッセンジャーです(7,MSG訳)。御使いは霊的存在でクリスチャンに仕えます(14)。御使いは「救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされた(14)」のです。

御使いはあなたが想像する以上に近しい存在です。御使いはあなたを守り、保護します(詩篇91:11)。「まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。(詩篇91:11)」例えば、ゲッセマネの園で御使いはイエスを力づけました(ルカ22:43)。それぞれの教会にいます(黙示1-3章)。

しかし、イエスは御使いにはるかに優るお方です。ヘブル人への手紙の作者は旧約聖書から七か所引用してイエスが御使いよりも優れていることを記しています。(詩篇 2:7、2サムエル7:14、申命記32:43、詩篇 45:6–7、102:25–27、104:4、110:1)

これらすべての箇所は、イエスがただの御使いである、または、(今日多くの人々がいうように)「偉大な宗教指導者だ」という人々への回答となっています。議論の頂点はヘブル1:8「御子については、こう言われます。『神よ。あなたの御座は…』」これは、イエスの神性についての明白な立場を表しています。イエスのアイデンティーは神であるということなのです。

祈り:主よ。あなたが私たちを守り、保護してくださるために御使いを送ってくださることを感謝します。それらが私たちに仕えることを感謝します。しかし、それよりも増してイエスのゆえに感謝します。イエスはすべての御使いよりもはるかに優れたお方だからです。


イエスは油注がれたメシアである

哀歌3:40-5:22

哀歌の作者は言います。「私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。(3:41)」手をも心をも上げるということはともに祈っているようです。祈りの手を挙げると言うことは風変わりなことでも異様なことでもありません。それは旧約聖書においても新約聖書においても伝統的な祈りの姿勢です。

作者は人々を祈りへと呼びかけて言います。「さあ私たちが生きる道をしっかりと見つめよう。そして神の下で私たちの人生を整理しなおそう。(40,MSG訳)」これは信仰の生活において大切な訓練です。あなたが変化を必要としている人生の領域が何かしらあるなら、明らかにしてもらうことを神に尋ね求めましょう。

もしそのような領域があるなら、告白と悔い改めをもって神に立ち返りましょう(42節以降)。イエスがあなたのためにしてくださったことのゆえに、あなたが赦され、あなたと神との関係が回復されることを今あなたは知っています。この箇所は、旧約聖書の他の多くの箇所と同様に、イエスを指し示しています。

哀歌の作者は言います。「主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御座は代々に続きます。(5:19)」

ヘブル人への手紙の作者はイエスについてこう言います。「神よ。あなたの御座世々限りなく、…それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。(ヘブル1:8-9)」イエスは油注がれたお方、救い主、メシアです。

イエスは聖書全体が指し示しているお方です。神の民は主に油注がれたお方を待ち望んでいました。哀歌の作者は「主に油そそがれた者(哀歌4:20)」について語っています。ヘブル語の油注がれた者とは「メシァフ(Meshiach)」という語で、ここから「メシア(Messiah)」という語が生まれました。彼は続けて言います。「あなたにも杯は巡って来る。(21)」イエスは仰がなければならない杯(マルコ10:38、ヨハネ18:11)について語りました。イエスは罪への神の怒りの杯に言及したのです。

神の怒りは私たちのようなものではありません。その怒りには悪意、狭量さ、偽善という要素は含まれていません。それは罪に対する神のきよさと愛の応答なのです。この箇所のように、神の目に私たちの罪がどれほど深刻であり、十字架の上で、イエスがあなたや私のために神の怒りを担ってくださったということがどれほど驚くべきことなのかを私たちが理解することを助けてくれます。

預言者は彼らが自分たちの罪によって神から切り離されていることが分かっていました。「あなたは雲を身にまとい、私たちの祈りをさえぎり…(哀歌3:44)」これはイエスが、神の怒りの杯を飲み干して、罪のきよめを与えてくださった時に取り除けてくださった障壁のことです。これが哀歌の作者が「主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください。(5:21)」と祈った時の、その祈りの答えです。

油注がれたお方、そして杯を飲み干してくださったお方、イエスによって、もはや神の臨在は雲によって妨げられることなく、あなたの祈りはそのまま神に届くのです。あなたは神に向かってあなたの心とあなたの手を挙げることが出来るのです。神はあなたを回復し、あなたを刷新なさいました。

聖書には裁きについての多くの言葉がありますが、それらをイエスのレンズごしに読むことができます。イエスは神の真のご性質を啓示し、あなたの罪のきよめを与えてくださったのです。

祈り:父よ。イエスを感謝します。私がイエスを通してあなたがどのようなお方であるのかを知り、理解することが出来ることを感謝します。人生の鍵がイエスのうちにあることを感謝します。アーメン。

H.K

References

Robert P. Vande Kappelle, Truth Revealed: The Message of the Gospel of John–Then and Now (WIPF & STOCK, 2014) p.xii.

Madonna, SPIN, May 1985.

Josh McDowell, Evidence That Demands a Verdict, (Here’s Life Publishers, San Bernardino, 1986) p.127.