Tokyo Chapel

2019年8月7日

第219日

分裂を引き起こす3つの悪しき態度

私は大学時代、今はホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会の副牧師の一人である親友のニッキー・リーと一緒の部屋に住んでいました。私たちはいつも自分たちで料理を賄っていました。私が調理し、ニッキー・リーが配膳しました。ニッキー・リーは取り分ける達人で、見事にぴったりと同じ量に分けるのでした!このような分割は素晴らしい一例なのですが、むしろ分けることは好ましくない事態が多いのです。

分かれることは人生に度たびあることです。必ずしも悪い事ばかりではありません。むしろ必要なこともあります。例えば、異なる部署が同じ部屋を共有していた場合、部屋が分かれるのは望ましいことです。私たちはこのような類の分割を今日の旧約聖書の箇所で見ます。

さて、やがて裁きの日に、二つに分けられることが起こります。これは善と悪との間にある必要な分割です。この類の分割は今日の詩篇の箇所に見ることが出来ます。

さらに3つ目の種類の分割があります。それは好まざる、助けにならない、不必要な分割です。教会内の不一致と分裂は悲劇的です。この類の分割は私たちが務めて避けるべきものです。使徒パウロが今日の新約聖書の箇所で抗しているのは、この類の分裂です。


義なる者と悪しき者とを分ける

詩篇92:1-15

詩篇の作者によると、この世界は「悪者ども(7)」と「正しい者(12)」とに分けることが出来ます。悪者どもとは分別のない「まぬけ者、愚か者(6)」です。彼らは神の「敵(9)」です。ある日、彼らは義から分けられるだけではなく、自分たち同士で分裂します。彼らは「散らされ(9)」「滅びます。(9)」その一方で、「正しい者」の将来は安心です(12-15)。

「悪者ども(7)」も「正しい者(12-13)」も栄えるのですが、それは違った方法によってです。悪者ども(7)の反映は一時的で過ぎ去ってしまいます。彼らはすぐに「滅ぼされる(7)」ことになります。彼らは草のようです。しかし「正しい者(12)」は尽きることのない、永遠の繁栄です。それは「なつめやしの木のよう、レバノンの杉のよう」に栄えます(12)。たとえ老齢になっても実を結び、いつまでもみずみずしく、おい茂るのです(14)。

この世の成功、すなわち、権力、名声、蓄財などと、イエスに従う者たちがきよい生活の中で受ける真の成功との間には雲泥の差があるのです。それは枯れてしまう草といつまでも実をならせるなつめやしの木との差ほどの違いです。

祈り:主よ。私があなたに従う者に与えてくださる永続する祝福を見るとき、私は「朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を(2)」告白したいと願います。


教会の分裂

1コリント3:1-23

パウロのコリントの人々への手紙はサンドイッチです。彼は賛美と愛を持ってスタートし、恵みと愛で締めくくります。その間に、彼は取り扱いたいと願っている彼らの問題を取り上げています。

これは個人であれ教会であれ、問題に向き合う時のよきモデルです。始めと終わりは積極的で励ましの調子をもって、問題に取り組むことを勇気づけるのです。

パウロが取り上げた問題の一つは教会の分裂です。パウロは彼らを「肉に属する人(この世的,NIV訳)」そして「霊的でない(MSG訳)」と言いました(1)。いくらかは、かつて彼らはすべての教会の中で最も「霊的」であったとパウロは記しています。彼らは「どんな賜物にも欠けるところ(1:7)」がなかったのです。しかしながら、分裂を導く彼らの悪しき態度によって、彼らは霊的ではなくなったのです。

パウロは3つの悪しき態度を指摘します。これらはすべてのクリスチャンが気を付けるべきであり、クリスチャンの指導者は特にそうです。

  1. 嫉妬
    パウロは「あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。(3:3)」と記します。自分と他人とを比較することは誘惑であり、他の誰かが祝福を受けたと聞くと「いつそれが私に起こるのだろうか?」と考え始めるのです。しかし、ジョイス・マイヤーが記しているように、「私たちは他者を祝福すべきであり、彼らが自分より先に行っているのではないかと不安に思う必要はありません。私たちは他人の容姿、持ち物、教育、社会的地位、婚姻、賜物や才能、仕事、その他あらゆるものに嫉妬してはなりません。なぜなら、その嫉妬が私たちが受ける祝福を妨害することになるからです。」
  2. 自慢
    パウロは「だれも人間を誇ってはいけません。(21)」と記します。自慢は自分自身と他者を比較して、自分が彼らよりも優っていて、自分の「成功」を誇ろうとする誘惑です。私たちは、適正な視点で、神が私たちに分配してくださっている事柄における自分の部分を知る必要があります。最初、私たちは「ただの人たち(4)」でした。その次に「しもべ(5)」であり、三番目に「植える者でも水を注ぐ者(7)」でもない者でした。ですから、「だれも人間を誇ってはいけません。(21)」
  3. 口論
    パウロは彼らの「言い争い」が、彼らが「霊的でない」ことのもう一つの理由であると記しています。「『私はパウロにつく』と言えば、別の人は、『私はアポロに』(4)」と言うような、どちらか一方の肩を持つようなことを私たちは避けなければなりません。

これらすべては、思いあがって自分を重要視することに端を発しています。これらは「霊的ではない」態度です。これらの類の態度は罪に堕した人間性にすべて共通したものであり、この世に伝染し、悲しいことに教会もまた影響されるのです。

私たちは皆、完全に神に依存する者であることを理解する必要があります。一人が種を蒔き、もう一人が水をやりました。しかし、成長させてくださるのはです。(6)種を蒔くことも、水をやることも大切です。しかし、それは比較的簡単なことです。ただ神だけがこの難しい部分をしてくださるお方です。人々をそして教会を成長させてくださるのです。

あなたには為すべき役割があります。第一に、神はあなたを人々に信仰をもたらすために用います。アポロとパウロは、コリントの人々が「信仰に入るために用いられたしもべ(5)」でした。第二に、神はあなたに報いてくださいます。種を蒔く者にも水をやる者も一つの目的をもっており、それぞれの働きに応じて報いを受けるのです。第三に、あなたは「神の協力者(9)」なのです。神は自分自身でそれを為そうとすることを選ばれたのではなく、あなたを用いるためにあなたを選ばれるのです。

神に用いられることは大いなる特権です。あなたが神の「協力者(9)」であるばかりでなく、あなたは「神の畑、神の建物(9)」です。人は自分の人生に多くのものを建てます。財産、教育、職業、肩書、所有物、その他諸々…。しかし、イエスこそ唯一の確かな土台です(11)。

さらにまた、パウロは続けて記します。「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。(16)」それゆえ、彼は記します。「あなたがたが自分自身のことや他の誰かのことを鼻にかけているというようなことを私は聞きたくありません。すべてのものは、今まで贈り物ととして与えられたものではありませんか…そして、神と一つにされているお方、キリストとともに一つになるという特権にあずかっているのです。(21-23,MSG訳)」

祈り:主よ。私があなたの同労者であることを感謝します。あなたこそ物事を成長させてくださるお方です。私たちを驕りや自慢、嫉妬、言い争いから守ってください。教会の一致を守ることができるようにお助けください。


働きの分割

1歴代24:1-26:19

ここで、私たちは「分ける」という言葉を積極的な意味合いで用いているのを見ます。「アロンの子らの組分け。(24:1)」「ダビデは、…彼らをそれぞれの奉仕に任命し、それぞれの組に分けた。(3)」「エルアザルの子孫は、父祖の家のかしらごとに十六組に、イタマルの子孫は、父祖の家ごとに八組に分けられた。(4)」「彼らはくじを引いて互いにそれぞれの組に分かれた。(5)」門衛もまた組み分けされました(26:1,19)。「門衛のこれらの各組に対し、主の宮で仕える任務が、彼らのかしらごとに、彼らの兄弟たちと全く同じように割り当てられた。(12)」

このリストの中に興味深い名前があります。歌い手の中に詩篇の作者たちの名が見えます。「アサフ」(詩篇50,73-83)、「エドトン」(詩篇39,62,77)そして「ヘマン」(詩篇88)です。

門衛の中にコラの子たちがいます。詩篇84篇の見出しに「コラの子たちの賛歌」とあります。それゆえ、この詩篇は門衛によって書かれたと推測することができます。これは「私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。(10)」という内容を理解する助けとなります。

キリストのからだにあって、私たちは様々な役割に分けられます。からだのそれぞれの部位は異なる機能をもっています。聖パウロが「ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、…神は、…からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。(1コリント12:12,24-25)」

使徒パウロは役割の分担を良い意味で描写しています。それはからだの中でそれぞれの部位が異なる働きを果たすということであり、悪い意味で描写されるような、からだの中にもたらすべきではない不一致や分裂を避けることなのです。

「神の家」で使えることが出来るというのは、駐車場係や受付、コーヒー係、祈りのチーム…、どのような働きであれ大いなる栄誉です。すべての人々が神の家において仕えているのですから、皆大切であり、栄誉ある者たちなのです。

祈り:主よ。私たちは皆、キリストのからだの中に含まれているのですから、その中で、私たちがどのような役割につけばよいのか知恵ある決断をすることが出来ますように助けてください。あなたの教会である私たちが、たくさんの部位から構成されているそれぞれが機能し、聖霊によって互いに協力し合って全体の一致を築くことが出来るように助けてください。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, Everyday Life Bible, (Hodder & Stoughton, 2006) p.1849