Tokyo Chapel

2019年10月16日

第290日

祈る方法

祈りはあなたの生活で最も重要な活動です。それは、あなたの天の父との関係を深めるための中心的な方法です。もし、あなたが誰かを愛するなら自然にあなたは愛する人と直接的なかかわりを持つ時間を取りたくなるものです。あらゆる関係と同じように、コミュニケーションは様々な形態をとります。

ランスロット・アンドリューズ(1555-1626)は、当時最も偉大な神学者にして説教者の一人でした。彼が亡くなって、彼の個人的な祈りのノートが発見され、出版されました。その中に、彼は2つのリストを書きました。

第一に、彼は聖書の中に祈りの時間のリストを書きました。

「いつも…
やめることなく…
どんなときも…
1日に3回
夕に、そして朝、そして昼…
1日に7回
朝、日が昇る前のかなりの時間…
夜明け前…
その日の第三の時間…
第6の時間について…
祈りの時間、第9の…
その夕…
夜に…
真夜中に…」

次に、彼は聖書の中に祈りの場所のリストを書きました。

「集いにおいて…そして会衆の中で…
あなたのクローゼット…
二階部屋…
天井部屋…
教会堂…
海岸で…
庭で…
寝室で…
寂しい場所で…
あらゆる所で…」

時間や、場所に制限はありません。そして、あらゆる方法であなたは祈ることができるのです。


夜中の神のことばと歌と祈り

詩篇119:49-56

祈りは双方向のコミュニケーションです。祈りは神に語ることと同様に神に聴くが含まれます。今日、神に聴く中心的な方法は神のことばです。イエスは神のことばです(ヨハネ1:1)。そして聖書はまさしくイエスそのものについてです。あなたが聖書を学ぶとき、神があなたに聖書を通して語ってくださるように祈りなさい。

人生のあらゆる困難の真っただ中で、これはあなたに「希望(詩篇119:49)」を与えます。「これらの言葉は悪い時に私を引き上げた。そうだ。あなたの約束は私を若返らせた。(50,MSG訳)」あなたは、あなたへの神の言葉に慰めを見出すことでしょう(52)。

これらのことばはまた、私たちの神への礼拝に霊感を与えます。「あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。(54)」非常の多くの偉大な讃美歌やワーシップソングが聖書のことばをもとにしています。

あなたは、あなたの祈りを日中に制限する必要はありません。「主よ。私は、夜には、あなたの御名を思い出し…(55a)」これは目がさえている夜の過ごし方として最も良い方法の一つです。それは不眠症の癒しの方法とさえなります!

祈り:主よ。今日、私にあなたの言葉をお語りください。そして私の希望と安息をお与えください。私の祈りを助けてください。


要請、祈り、とりなし、感謝、手を挙げること

1テモテ2:1-15

あなたが最も優先することは何ですか?パウロは書きます。「第一に私があなたにして欲しいことは祈りです。あなたが知っているすべての方法で、あなたが知っているすべての人々のために祈りなさい。(1,MSG訳)」

あなたは今まで政府や政治家たちに不満を持ったことはありますか?もし、あなたが、良い政府を願うなら、あなたはそのために祈らなければなりません。パウロは「王とすべての高い地位にある人たちのために(1)」祈ることを優先しました。「それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。(2)」

もし、あなたが比較的安定している政府の国に住んでいるなら、安定が続いていることを神に感謝します。世界の多くの地域では、人々は不安定な政府や独裁者のもとで苦難を強いられているのです。使徒パウロにとって法による統治は非常に高い祈りの優先事項でした。

良い、平和的な政府がある時、福音を告げ知らせていくことが容易く、できるだけ多くの人々がそのメッセージを聴くことが可能です。「そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。(3-4)」神は全人類を愛しておられます。誰一人として神が滅びに定めている者はありません。神はすべての人々が救われてほしいと願っておられます。

イエスは私たちすべてのために死んでくださいました。イエスは「すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。(6)」これはイエスの御業を美しく要約しています。イエスの仲介と彼が支払ってくださった代価を通して、すべての人々が父との親密な関係を体験することが出来るようになったのです。

「あなたが知っているすべての人々のために(1,MSG訳)」祈りましょう。そこには、あなたの家族、友人、隣人、そして聖霊があなたに示すあらゆる人々が含まれます。その記述の中に祈る時に手を挙げているのことが予期される表現があることは興味深いことです。「敵に対して怒りの鉄拳を振り上げるのではなく、きよい手を神に挙げなさい。(8,MSG訳)」ユダヤ教徒と同じように、クリスチャンは祈りの時に自分の両手を挙げることは当たり前のことと思われていたことでしょう(8)。

それは伝統的な祈りの姿勢です。私はしばしば、ふざけてこう言います。「もしあなたが教会に入って行って、そこにいる人たちが皆、空中に手を挙げているのを見たなら、『これは古代からの礼拝の姿勢を実践している伝統的な教会なのだ』と言えます。もし、そのいる人たちが手を挙げず、おろしたままなら、こう言えます。『ここは現代的な、流行りの教会だ!礼拝の新しい形式を実験してるんだね。』と。」

今日の箇所の最後の部分は詳しく説明するのが難しいところです(9-15)。この箇所の解釈の多くは、教会の中での女性の役割とリーダーシップについて新約聖書の他の部分が明らかに述べていることとうまく合わないように思えます。パウロは弟子や執事である女性のことに言及しています(ローマ16)。パウロは女性たちが集会で祈ることや預言することを期待しています(1コリント11)。

パウロはまた、「男子も女子もありません。…キリスト・イエスにあって、一つだからです。(ガラテヤ3:28)」と性別を基礎とするような不調和や偏見にけりをつけたと記してもいます。イエスの働きの中でも、ベタニヤのマリヤがイエスの足元に座っていたのを読みます。言い換えれば、彼女は男に混じって、弟子の仲間でありともに学んだと言うことです(ルカ10:38-42)。

パウロの主張(1テモテ2:11)の基本的なポイントは、女がクリスチャンとして学ぶことをあまりし過ぎないようにということです。そうすることで、彼女たちが謙遜を身に着け、支配しようとする手掛かりとならないようにする必要があったのです。ここでパウロが用いている「支配 (authentein)」という言葉は、他の箇所では残忍な、あるいは横柄なリーダーシップの形態に用いられています。ですから、ここで言われていることは、女性のリーダーシップへの一般的なコメントというよりも、この会衆に固有の事柄への言及であると推察されます。

The Message訳では、この箇所は「そちらにいる女性たちには、男性たちの中にあって神の前に謙遜であって欲しい…神の為に麗しく行い、行動が美しいものとなるように。(9-10,MSG訳)」と訳されています。

祈り:主よ。私は今日特に私たちの上に建てられた権威ある者たちのために祈ります。法の支配が確立され、民衆が平和に生きることができますように。どうかそれらが神の御心にかなって、きよいものでありますように。


神に聴き他者のために祈る

エレミヤ35:1-37:21

あなたは、多くの人々が神のことばを聴くことや、それらに従うことに興味がないように見えるという事実にがっかりしたことはありませんか?

神はエレミヤに語りました。エレミヤは「ヨシヤの時代から今日まで(36:2)」神が彼に語ったと言いました。エレミヤはバラクに「彼に語られた主のことばを、ことごとく巻き物に(4)」口述筆記させました。

何度も何度も、「主からエレミヤにことばがありました。」(たとえば、今日の箇所では、35:1,12、36:1,27、37:6)。おそらく、エレミヤは祈っている時に主からのことばを聴いたのでしょう。

エレミヤは神に聴くように民に勧めています。神は「たびたび(35:14)」語りました。神は言いました。「わたしが彼らに語ったのに、彼らが聞かず…(17)」

主は預言者エレミヤを通して語ったという事実にもかかわらず、エホヤキム王は彼の助言者の警告を聴くことを拒否しました(36:25)。エレミヤはペンとインクで巻物に労を惜しまずに神のことばを書き連ねていきました。しかし、エホヤキムは、「書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした(23)」のです。

エレミヤは、彼のすべての労作が王によって焼かれてしまったことを聴き、打ちのめされてしまったことでしょう。神はエレミヤに「もう一度全部しなさい(28,MSG訳)」と言われました。エレミヤは個人的にそれを断って放置することをしませんでした。エレミヤのように、私たちのメッセージがたとえ拒絶されても、私たちはメッセージを伝え続け無かればなりません。「もう一度全部しなさい」

「彼らが聞かなかった(31)」ので破滅が来ました。ゼデキヤが王となったとき、「彼も、その家来たちも、一般の民衆も、預言者エレミヤによって語られた主のことばに聞き従わなかった。(37:2)」彼らはエレミヤにひどい仕打ちを与え、彼のことばを拒みました。しかし、聴くのを拒んだにもかかわらず、エレミヤの祈りの力を支配者は認識していました。ゼデキヤ王は預言者エレミヤに使信を送りました。「どうか、私たちのために、私たちの神、主に、祈ってください。(3)」

エレミヤが捕らえられた後、彼は打たれ、投獄されました(14-15)。彼は「丸天井の地下牢に入れられ、長い間そこにいた(16)」のです。しかし、エレミヤが地下牢から王の下へと召し出された時、王は「主から、みことばがあったか。(17)」と尋ねました。エレミヤは勇気をもって再び答えました。エレミヤは王のあわれみを受けました。彼は全く恐れることがなかったのです。

祈り:主よ。私が祈る時、あなたのことばを注意深く聴くことができますように。そして、結果を恐れることなく、勇気をもって語ることができますように。アーメン。

H.K

References

Alexander Whyte (Ed), Lancelot Andrewes and His Private Devotions, (Apocryphile Press, 2008)