Tokyo Chapel

2019年8月20日

第232日

聖霊に聴く方法

ウィル・ウィズベイは不動産事業に成功した青年です。彼はキリスト教に対してひどく懐疑的でした。ある日曜日に、彼は友人にホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会に誘われました。礼拝の最中、ある人に「知識のことば」が与えられ、その人は彼のもとに行き、こう言いました。「ここに2日の内にオープンタイプのスポーツカーが届くのを待っている青年がいます。彼は日夜一生懸命働いて成功を収めました。仕事が彼の生きがいでした。彼は車、家、ライフスタイルを手に入れましたが幸せではありません。そして、神は彼に焦点を当てるべきもっと大切な何かを示したいと願っておられます。」

その後、ウィルはこう記しています。「僕は信じられなかった。僕は最高の新車を手に入れたばかりで、文字通り2日後にその車が届くことになっていた。でもそれは誰にも話してはいなかった。僕は年間1300万円は稼いでいた。僕の仕事は僕の生活そのものだった。その夜、生まれて初めて、僕は本当に祈ったんだ。」

ウィルはイエス・キリストと出会い、聖霊に満たされました。彼は言います。「今、僕はイエスがいることがわかった。イエスは僕を愛し、僕のうちにおられるんだ。」

私たちの多くは忙しく騒がしい世界に生きています。そのような騒音、会話、気を紛らわせるものの真っただ中で、あなたはどのように聖霊の声を聴くのでしょうか?


知恵と知識を聴く

箴言20:15-24

聖霊の声を聴くための一つの方法は人の知恵あるアドバイスを聴くことです。知恵と知識のある人々はとても貴重です。「金があり、多くの真珠があっても、知識のくちびるがの器。(15)」「知識の美しい杯から飲むことは、金や貴金属で自分を飾るよりもよい。(15,MSG訳)」

重要な決断をするとき、助けを求めましょう。「相談して計画を整える(18)」のです。あなたの行動に関してあなたは責任を持つのですが、「相談し、あなたの目標を形作り、あなたが得ることのできるすべての助けを用いてそれをやり遂げなさい。(18,MSG訳)」

箴言は、それそのものが知恵の助言に満ちています。箴言はあなたに秘密を漏らす人のうわさ話に気をつけ、多くを話しすぎる人を避けるように告げています。「うわさ話は秘密を保つことができない。だからおしゃべりな人に秘密を明かしてはならない(19,MSG訳)。」ある良く知られたゴシップ好きの人のクッションには次の格言が刺しゅうされていました。「もしあなたが何か誰かについて言うべき何か良いことを持っていなかったら、ここに来て私のそばに座りなさい。」

もう一つの知恵ある助言は仕返しすることに対する警告です。「もう『覚えてろ!』などと言ってはなりません。神を待ちなさい。神が恨みを晴らしてくれます。(22,MSG訳)」

聖霊に聴くということは、主の言葉を聴くということを意味します。「人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。(24)」神がみことばを通してあなたに語るように御霊に聴きましょう。

祈り:主よ。あなたの御霊が聖書のみことばを通して私に語ってくださることを感謝します。あなたの声を聴き、従うことができますように。


聖霊の賜物を通して聴く

1コリント14:1-19

愛を高めましょう。しかし、聖霊の賜物の重要性を見くびるようなことのないようにしましょう。パウロは両方を強調しているのです。「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。(1)」ある人々は次のように言います。「私たちは賜物ではなく与えるお方を求めるべきだ。」しかし、その与えるお方が私たちに賜物を求めるように告げているのです。

預言は、聖霊が教会に語る聖霊の賜物の一つです。パウロは教会のためのこの賜物の重要性を強調します。それは異言で語ることよりもさらに重要です。「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいますが、それよりも、あなたがたが預言することを望みます。(5a)」

パウロは異言の賜物が誤用される危険性がある状況に対して語っているのですが、彼はまたその賜物に対して際立って積極的です。パウロは異言で祈ることはその人の徳を高めると言います(4)。それは、すべての人にとって良い賜物です(5)。異言は霊による祈りの方法です(14)。そして主への感謝と賛美です(16-17)。パウロは自分自身がこの賜物を用いていることを証ししています。「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝しています。(18)」

パウロはその賜物を個人的に用いること(そのことを彼は普通に励ましています。)と教会における公の賜物として用いることを区別しています。もし誰かが教会で異言で語る時には、異言の解き明かしが必要です(5,18-19)。それが解き明かしの賜物とともに用いられる時に、それは預言の賜物と等しくなるのです(5b)。

解き明かしの賜物が異言が語られた後で徳を高めるために教会で用いられることが公共性を与えるのです(5)。異言の賜物を持っている人は皆、この賜物で祈るべきです。そして教会はその徳を高めることができるのです。

預言は、神が語り、そしてそれを他者に手渡そうとしている内容を聞く能力です。それは教会において非常に高い重要性を持つ霊的な賜物であり、熱心に求めるべきものです(1)。それは必ずしも「将来のことを予言する」ことではありません。むしろ、神が現在の状況に語っていることを通常、「前に向かって語る」ことなのです。

初代教会のクリスチャンたちは旧約聖書を基本的に預言として見るようになりました(たとえば、2ペテロ1:20を参照)。旧約聖書はイエスの預言的な証言です。新約聖書はイエスの使徒的な証言です。今日、権威に関してそれは等しくありません。

今日、預言の言葉は、聖書を形作っている預言者や使徒たちの言葉の権威と等しくはないのです。聖書は、いつ、いかなる所でもすべてのクリスチャンに対するものです。預言の言葉は特定の言葉であり、神によって息吹を与えられた、ある特定の人や人々に、特定の瞬間、特定の目的のために与えれたものです。それは人間のものであり、時々部分的に間違いもあります。聖霊が誰かの思いに取り運んだ報告のようなものです。

そうであっても、パウロは預言の賜物に非常に高い価値を置いています(1コリント14:1)。なぜなら、それは教会を立て上げる賜物だからです(4)。そしてそれは「不信者」たちへのインパクトもあるのです。「もしみなが預言をするなら、信者でない者…が入って来たとき、…心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。(24-25)」これは確かにウィル・ウィズベイに起こったことです。

預言は吟味される必要があります。「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。(29)」

  1. それは聖書に沿っていますか?
    神は自己矛盾なさいません。
  2. 預言の品性はどのようですか?
    彼らは愛の人ですか?(1)
  3. 預言はどのように働きますか?
    パウロは記します。「預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。(3)」本物の預言の言葉はいつも前向きで積極的な感覚があります。それは人々を力づけ、励まし、慰めるのです。

全体として、預言の言葉は聖霊がすでに私たちの心におられることを確証させます。もしあなたが預言の言葉について不確かであるなら、慌てることなく、イエスの母マリヤがしたように、「これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らし」ましょう(ルカ2:19)

祈り:主よ。私たちが愛の道に聞き従い、霊的な賜物を熱心に求めるとき、教会である私たちが、聖霊が私たちに語ってくださることを聴こうとする雰囲気を創造することができますように。


良い助言と預言の言葉を聴く

2歴代10:1-12:16

レハブアムは大きな失敗をしました。聖霊は長老たちを通して彼に語りました。彼らは「もしあなたがこの民の僕となるなら、彼らの必要を思いやりなさい。そして、あわれみを持って応じ、それらから結果がでてくるようにしなさい。彼らは最後まであなたと一緒に居ることになるでしょう(10:7,MSG訳)」

レハブアムは長老たちの助言を退けるという失敗を犯しました(8)。それに代えて、彼は一緒に成長してきた若者たちからの極めて悪い助言に耳を傾けたのです(10-11)。彼は人々に言いました。「私の父はお前たちをむちで打ちのめした。私はおまえたちをチェーンで血みどろになるように打とう!(11b,MSG訳)」

彼は「民の願いを聞き入れなかった(15)」のです。全イスラエルが「王が自分たちに耳を貸さないのを見て取った(16)」時、彼らは反逆しました。

しかし、神はレハブアムに語ることをあきらめませんでした。「神の人シェマヤに次のような主のことばがあった。」そして、シェマヤはレハブアムのところに訪れ、こう言いました。「主はこう仰せられる。…」(11:2-4a)

この時、王と民たちは主に聞くことで一致しました。「そこで、彼らは主のことばに聞き従い、ヤロブアムを目ざして進む行軍を中止して、引き返した。(4b)」

後に、神は再び預言者シェマヤを通して語りました。「主はこう仰せられる。『あなたがたがわたしを捨て去ったので、わたしもまたあなたがたを捨てて…。』」(12:5)再び、彼らは聞きました。彼らはへりくだり、言いました。「主は正しい(6)。」その結果、「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう。(7)」という言葉がシェマヤを通して語られたのです。

祈り:主よ。あなたの声を聴く知恵を私にお与えください。聖霊に聞く方法を学ぶことができますように。アーメン。

H.K