Tokyo Chapel

2018年1月1日

第1日

新しいあなたの決意

私はスカッシュのクラブに属しています。そしてジムにも通っています。毎年1月1日になると、ジムに予備の機材が運び入れます。そしてジムは満員になります。1月7日ころになると、予備の機材は運び出されます。ほとんどの人々が新年の決意をあきらめてしまうからです。そしてクラブは通常通りに戻っていきます。

  • 健康増進
  • 体重減少
  • 飲み過ぎ予防
  • 禁煙
  • 借金返済

これらのことを新年の決意とすることは何も間違っていません。もちろん、私たち皆がその決意を挫折するわけではありません。

良い知らせは、毎年新鮮なスタートを切る機会が巡って来るということです。しかし、それは毎週巡ってきます。毎日曜日は週の初めの日です。それは新しいスタートです。実際には、毎日が、新しいスタートの機会であると言えます。

聖書の最初の文字は「初めに…」です(創世記1:1)。今日の各々の箇所は私たちに何か新しい始まり、新しい機会そして新年の決意として挙げることの出来る何かを告げています。


聖書にある「歓喜」

詩篇1:1-6

もし、あなたが「日々の糧(Bible in One Year)」を読むことにチャレンジし始めるなら、この詩篇はあなたにとって励ましの言葉となります。

約束されているのは、もしあなたが神の言葉を「喜びとし」「昼も夜も」みことばを「思い巡らす」(2,MSG訳)なら、あなたの人生は祝福されるということです。あなたに起こる事から「幸い」が来ます。祝福とは、神を知り、ご自身の言葉を思い巡らせることを通して、あなたに起こることです。

神はあなたに「実を実らせること」(「時が来ると実がなり」,3b)、バイタリティー(「その葉は枯れない」,3c)、繁栄(「何をしても栄える」,3c)を約束しています。それは必ずしも物質的な繁栄ではありませんが!

このメッセージは「悪者」の最終的な運命をちらりと目をやることによって裏付けられています。詩篇の作者は悪者がいつも繁栄することがないと取り繕うとしているのではありません。彼は単純に私たちに彼らの反映は過渡的なものであることを思い起こさせているのです。「悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。…しかし、悪者の道は滅びうせる。(4,6)」

鍵は永続するかどうか ―究極的には永遠に― 神とあなたとの関係において実を結び活き活きとするかです。あなたが「正しい者の道」に従うことを追い求める時、あなたは主ご自身をあなたを見守ってくださっているという保証を得るのです。

祈り:主よ。私があなたのみことばを喜び、みことばを思い巡らせるという習慣を身に付けることを決心する時にもたらされるあなたの素晴らしい約束を感謝します。


イエスに焦点を合わせる

マタイ1:1-25

あなたの人生をイエスに焦点を合わせると決心しましょう。聖書はまさにイエスに尽きます。新約聖書は系図から始まっています。

私たちがイエスの先祖のリストを読むとき、その中にはタマル(不義を犯した女)や、ラハブ(遊女)、ルツ(ユダヤ人ではないモアブ人)、ソロモン(ダビデ王がバテシェバとの姦淫の持ちに身ごもった)が他の多くの人々と同じようにして含まれていることは、励ましです。感謝なことに、神は罪深い人間を用います。それゆえ、私たちもまた用いられるのです。あなたの過去がどのようなものであれ、たとえ、今まさにあなたの生活が崩れていたとしても、神はあなたの人生を偉大な何かをなすために用いることができるのです。

「イエス」というまさにその名の意味は「ご自分の民をその罪から救ってくださる方(21)」です。私たちがイエスという名前を使う時、私たちの大きな必要は幸福のためでも満足のためでもないことを思い起こさせます(これら二つはどちらも副産物であるかもしれませんが)。私たちの最大の必要は、イエスの先祖と同じように、赦しです。それゆえ、私たちは救い主を必要とするのです。

マタイによる福音書の冒頭は、イエスが旧約聖書に記載されていたすべてを満たしていることを私たちに示しています。

  • イエスは歴史の最高潮です
    マタイはイエスの先祖についての旧約聖書の物語を要約することによって福音書を書き始めました(1-17)。旧約聖書が告げている物語はイエスが完成したのです。マタイは神の民の歴史を三つの同じ期間に相当する区分を設定しました。アブラハムからダビデまでの十四代、ダビデから捕囚までの十四代、捕囚からキリストまでの十四代です(17)。系譜としては、生物学的な世代として飛ばされている部分もあります。(これは旧約聖書の家系図では至って一般的なことでした。)マタイが指し示しているのは、旧約聖書の歴史は、重大な出来事によって概ね同じ感覚に分けることの出来るということです。イエスは旧約聖書の物語が始まって以来その最後に位置するのです。つまり、最高潮に達したのです。
  • イエスによって、神のすべての約束は成就しました
    イエスは歴史としての旧約聖書の物語の満了だけではありません。イエスはまた、旧約聖書の預言と、神の約束のすべてを成就したのです。マタイは、受胎、誕生、幼少期からの5つの各々の場面での出来事を記述することによって、旧約聖書のみことばを引用して、それらが「成就」であったと結論づけたのです(マタイ1:22-23、2:5-6、17、23、4:14-16)。第一の場面はイエスの受胎についての成就です。「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」(1:22-23)

歴史、預言、約束のすべてはイエスによって完成されます。あなたの全生涯はイエスによって完成されるのです。あなたの人生の各々の部分、あなたの仕事、家族、人間関係、友人、記憶や夢はイエスによって完成されるのです。

祈り:主よ。新しい年のためのこの約束を感謝します。それはイエスにあって、あなたがともにおられるということです。私が自分の人生を年頭にあたってあなたに焦点を合わせることが出来るように助けてください。


神の創造を楽しむ

創世記1:1-2:17

あなたは偶然の産物ではありません。この宇宙は神の創造によるものです。あなたは神の似姿に創られたのです。

創世記は宇宙の始まりを説明します。それは「どうのようにして?」「いつ?」という科学理論を超えたものです。創世記は「だれが」「なぜ?」についてを命題に答えます。科学理論はこの説明を証明したり反証するものではありません。むしろ、それらは相補的です。

新約聖書のレンズ越しにこの箇所を読むと、私たちは三位一体の神が携わっていたことが分かります。ヘブル語の「神(Elohim)」という名詞は複数形です。聖霊は創造に加わっていました(1:2)。創造はイエスを通してもたらされました。「神は仰せられた…」(3a)。イエスは神のことばであり、イエスを通して宇宙は創造されました(ヨハネ1:1-3参照)。

創造の説明の中で、神の莫大な力がさりげない描写で描かれていることは驚くべきことです。「神は…また星を造られた」(創世記1:16)。私たちがいる銀河系には1,000億から4,000億の星々があり、また銀河系も約1,000億の銀河の一つにすぎないのです。神はそれをさっと創ってみせたのです。

創造のクライマックスは人間の創造でした。あなたは神の似姿に創られたのです(27)。もし私たちが神がどのようなお方かを知りたかったなら、それは神のイメージを反映する男と女です(「男と女とに」,27b)。

すべての人間は神の姿に似せて創られました。そして尊厳、尊敬、愛をもって取り扱われるべきです。あなたが神とコミュニケートする能力は、あなたが神の姿に似せて創られたという事実を映し出すものです。

神は、ご自身が創造されたすべてのものを良しとされました。神は言いました。「それはよかった」と。多くの人々が価値がないと感じ、不安を覚えます。しかし、神はガラクタを創造しなかったのです。神はあなたを創造されました。神はあなたを愛し、あなたを肯定なさいます。神はあなたがするすべてのことに賛同するわけではありません。しかし、神はあなたを無条件に、心を込めて、ずっと愛しておられます。

私たちはこの箇所で、「仕事」は祝福であることを知ります。「神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。(2:15)」仕事は神が創造された良いものの一つなのです。仕事は決して堕落によって生じたのではありません。この箇所はまた、私たちに環境のお世話をすることは、人間に対する神の計画の中心にある正しいことであると覚えてます。

安息はつけ足しのオプションではありません。それは神がしたことです(「神は…なさっていたすべてのわざを休まれた。」,2)。安息日(休日、おやすみ)は特別な祝福の日です。「神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。(3)」休日(Holiday)とは聖なる日(holy day)です。それらは人生とは、何かを「する(doing)」ことというよりも、第一に「存在(being)」なのであることを指し示しています。ですから休むことに罪責感を感じる必要はありません。休日はそれそのものとして良いものなのです。その時間は霊的に充電する時間でもあります。

働き過ぎてはなりません。神は休息の時間をとり、ご自身が創ったものを楽しまれたのです。あなたは働き続けるものだと思ってはなりません。あなたはリラックスすることと休むことを必要としているのです。あなたの働きを楽しむとき、そしてあなたの働きの実を楽しむときを持ちましょう。

創世記2:16-17で、私たちは神がアダムとエバに対して、広範な許可(「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」,16)と一つだけの禁止 ― 「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。(17a)」を与えました。神はもし彼らが約束を破ったなら、罰が待っていることを警告しました。(「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」,17b)あなたは悪を知ることも経験することも必要ありません。神はあなたに善だけを知ってもらいたいのです。

祈り:主よ。あなたがお創りになったこの宇宙のゆえに感謝します。私を悪から遠ざけてくださり、あなたが私に楽しむように与えられたすべての良いことを楽しむことが出来るように助け手ください。

H.K