「これからしようとする最初の質問は何ですか?」私が弁護士だった頃、初めて刑事事件で反対尋問の準備をしていたとき、先輩が準備を手伝ってくれました。彼は最初の質問の大切さを教えてくれたのです。
詩篇2:1-12
1.詩篇の作者の最初の質問はイエスについてです
それはイエスに他なりません。イエスとともにあることは人生で一番安心できることです。
パウロはアンテオケで福音を宣べ伝える時、この詩篇を引用しました。彼は言いました。「私たちは、神が父祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。(使徒13;33,詩篇2:7の引用)」
イエスは「主に油をそそがれた者(詩篇2:2)」ですが、ここで用いられているヘブル語は「メシア(messiah)」です。彼は神の子、キリストであり、「口づけ(2:12)」するほど愛おしいお方なのです。
元来はイスラエルのある王の状況が多分この詩篇の背景にあるものですが、今日的にはイエスを予見した詩篇として最初の質問を私たちに投げかけていると私たちは読み解くことができるのです。なぜ「騒ぎ立ち」「つぶやくのか」という問いかけがあります(1-2)。
確かに新約聖書で起きたことを今日の箇所でも見出すことが出来ます。イエスの生涯の始めに、救い主の到来を聞き恐れ惑ったヘロデ王(マタイ2:3)のように「地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう(2:2)」のを見ることが出来ます。
詩篇2篇の締めくくりには「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。(2:12)」です。どのような人生の嵐にあっても、そして究極的には最後の審判において「主にある者」が救われることを覚えましょう。
祈り:主よ、この年の初めにすべての可能性、挑戦、機会、そして最も安全な場所をあなたの内に見ることができることを感謝します。
マタイ2:1-18
2.新約聖書の中の最初の質問はイエスについてです。
旧約聖書全体はイエスによって成就しました。
東方の博士たち(しばしば「賢者」と言い慣わされている)はイエスの誕生の重要性を感じていました。彼らは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。(2:2)」と言いました。彼らはイエスを探し出し「母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ(11)」のです。彼らは、このお方がすべての人の希望を成し遂げるお方であることを理解し王として拝しました(2:11)。
イエスは神の約束を成就するお方です。昨日の箇所でも成就の例を見ましたが、今日の箇所に3つの例を挙げることが出来ます。
- イエスの生誕地
マタイはイエスの誕生した地がベツレヘムであり、それはミカ5:2の預言の成就と記しました。「預言者によってこう書かれている(2:5)」通り、「イスラエルを治める支配者が(2:6)」ベツレヘムから生まれると。 - エジプトへの逃亡
ヘロデが刃にかけようとしたとき、イエスの家族はエジプトに逃れました(13)。マタイは「『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した』と言われた事が成就するためであった。」(15,ホセア11:1参照)。 - 乳児たちの虐殺
2歳以下の子供たちがヘロデによって殺されたこと(マタイ2:16)もエレミヤの預言の成就です(エレミヤ31:15)。
祈り:主イエスよ。今日もあなたの前にひれ伏し礼拝します。私の人生、私のすべて、持てるすべてをあなたに明け渡したいのです。
創世記2:18-4:16
3.聖書の中の最初の質問は神の良いお方であることについてです。
あなたは神が与える道が本当に最善なのかと疑ったことはありませんか?神が「それは間違っている」と言っていることを、やってみる価値があるのではないかと思ったことはないでしょうか?
神は人類に、願うすべてのものをお与えになりました。神が創造した世界は私たちが充実して過ごせるように創られたのです。そして、被造物の頂点として人類が創られました。人々が生きていく上での共同体の必要については、相互に解決していくように創造されたのです。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。(2:18)」
それは結婚という美しい神からのプレゼントで始まりました。「 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。(24)」終生変わることのない男と女の性における一致を神は、もう一つの美しいプレゼントとして人間に与えたのです。親密で自由な関係を「恥ずかしいと思わず(25)」に楽しむことができるのです。
しかし、すべて良いものであった豊富な供給を受けていたにもかかわらず、人間は何かもっとないかと探し、禁じられた果実に手を伸ばす誘惑に駆られたのです。
誘惑は神を疑うことから始まりました。ここに聖書の最初の質問があります。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。(3:1)」この質問の背景には、神は本当にワクワクするような何かをあなたに隠しているのだとする悪魔の嘘があります。
エバの最初の失敗は蛇と会話したことです。私たちは蛇とではなく、神と会話するように創造されているのです。
蛇として描写されている悪魔は、「あなたがたは決して死にません。(4)」とエバをだまして罪を犯した後の結果を考えないようにしたのです。さらに、神に対して悪意を抱かせるように「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」とささやいたのです。禁断の実を食べようとする前に、神についての嘘を鵜呑みにしてしまうということは、今日もしばしば起こるのです。
「その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。(2:6)」これも誘惑されるときの特徴です。アダムとエバは罪を犯し、その罪を隠そうとしました。「そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。(2:7)」
4.聖書の中で最初に神が質問しているのは、あなたについてです。
神とアダムとエバとの関係は崩れました。神の声を聞いた時、彼らは身を隠しました(8)。それでも神は彼らを探しました。聖書のある神の最初の質問は「あなたは、どこにいるのか。(9)」です。
たとえあなたが神との関係から離れてしまったと思っても、神はあなたを探し続け、関係を回復させたいと願っているのです。
神は蛇に対して「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。(15)」と宣言しました。イエスこそ蛇の頭を踏み砕くお方です。しかし、そこには「おまえは、彼のかかとにかみつく」という代償がありました。ここに、神との関係が修復されるためには代価が支払われなければならないというヒントを見ます。十字架でイエスはサタンを粉砕しました。しかし、それにはイエスのいのちという代価が支払われたのです。あなたや私が神の赦しを得て神との関係が立て直されるためにイエスの血が流されたのです。
5.人類が尋ねた最初の質問は、責任についてでした。
「私は、自分の弟の番人なのでしょうか。(4:9)」カインの質問は、今日においても重大な質問です。あなたは他者に対して責任を負っていますか?
罪を犯した結果は神との関係の破壊でした。アダムとエバは非難し(3:11-12)4章ではその子たちが仲たがいしています。ここから論争、口論、批判が始まったのです。私たちは論争を避けるべきです。たとえ勝ったとしてもそれは破壊的です。
カインは弟のアベルに腹を立てていました。神は続けて尋ねます。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。(4:6-7)」
あなたは十字架の死と復活の力、そして聖霊の力によって罪に対して主人になることができます。一方で、罪があなたの主人になることもできます。カインの場合、彼は弟を殺してしまいました(8)。神はもう一つの質問をします。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。(9)」
その応答が聖書の中で最初に人間が発した質問「私は、自分の弟の番人なのでしょうか。(4:9)」なのです。カインは自分の責任から逃れたかったのです。彼は「自分自身だけでなく、他人の責任まで本当に負えるのですか?」と尋ねたのです。
他者のための責任を私たちは負っているというのが、聖書の答えです。私たちの町、国、世界に対する責任を免れることはできません。たとえば、何千という子ども達が飢餓のために死んでいくことに「それは私の責任ではありません」と単純に答えることなどできないのです。
あなたの同胞への責任のみならず、あなたの友人、家族、そして身の回りにいる人々に祝福と喜びをもたらす特権をあなたは担っているのです。あなたはあなたの周りの人々に変化をもたらすことができるのです。
祈り:主よ。あなたが私たちが享受できる素晴らしい世界を創ってくださったことを感謝します。いつも私を探してくださることをありがとうございます。そしてイエスを通して、あなたとの関係が修復されました。この年、私の周りにいる人々に変化をもたらすことができますように助けてください。アーメン。
H.K