Tokyo Chapel

2019年5月18日

第138日

あなたの魂を満ち足らせる方法

ベルンハルト・ランガーはUSマスターズで2回優勝し1986年の世界ゴルフ・ランキングのトップに君臨した当時のベストゴルファーの一人です。彼は言いました。「私は五大陸での7回のイベントで勝利しました。私は世界の頂点に立ちました。そして若く美しい妻を得ました。しかし、私は何かを見失っていました。」

「特に私たちスポーツマンはそうですが、私たちの生活スタイルのすべてが一流でなければなりません。それは金銭にまつわることであり、あなたが何者であるか、あなたが何を知っているか、あなたが何を持っているかがすべてです。でも実は、それらが本当に大事なものではありません。これらを持っているような人は、自分の人生にまだ何か見失っていると認識しているのだと思います。そして、私はそれがイエス・キリストなのだと信じます。」

ベルンハルト・ランガーが書き記した霊的な空虚感は人間すべてに当てはまるものです。ある若い女性が「私の魂には巨大な空洞」があるように感じると言いました。あなたはただ肉体と思考を持っているのではありません。あなたには神との関係に生きるための魂が創造されているのです。それでは、あなたのどのように魂を満足させるのでしょうか?


昼も夜も神を求める

詩篇63:1-11

霊の糧は実際の食事と同じように、きちんと頂くことが肝心です。目に見える食事だけで満腹しても霊の満足は得られません。

ダビデは荒野で実際に飢え、渇きました。さらに彼は霊的な渇望も体験を通して知っていました。「神よ。あなたは私の神。 私はあなたを切に求めます。 水のない、砂漠の衰え果てた地で、 私のたましいは、あなたに渇き、 私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。(1)」彼は何が霊的な渇望を満たすのかをも知っていました。「私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように…(5a)」

ダビデの霊的な渇きは主を礼拝することで満たされました。「ですから、今私は礼拝するこの場所にいます。眼を開け、あなたの力と栄光に見とれています。(2,MSG訳)」

彼は愛慕、崇敬、明け渡しの表現として両手を挙げました。「あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。(3-4)」両手を上げることは、最も古い祈りの姿勢です。教皇ベネディクト16世は記しました。「この姿勢は過激な礼拝のスタイルです。…神に自分自身を開き、自分を完全に明け渡すという姿勢です。」

昼も夜も神に向かって礼拝に心を注ぎだす時、ダビデは力と支えを発見しました。ダビデは記します。「あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。(7-8)」

祈り:主よ。私は今日、あなたを慕い求めます。私の霊的な渇きをいやし、豊かな食物で私の魂を満ち足らせてくださることを感謝します。あなたの愛はいのちにもまさります。


イエスを通して神と交わる

ヨハネ10:22-42

どのようにしてあなたや私は神と交わりを持つのでしょうか?

イエスとの交わりが神との交わりです。イエスを迫害した人々は、イエスが自分が神だと認識していることを知っていました(33)。イエスが「わたしと父とは一つです。(30)」また「父がわたしにおられ、わたしが父にいる(38)」と語られた時、彼らの耳にはその両義性は届くことなく、ただの冒涜としか響きませんでした。「ユダヤ人たちは、イエスを石打ちにしようとして、また石を取り上げた。…あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。」ですから彼らはイエスに石を投げようとしたのです(31-33)。

イエスは弟子たちと交わりを持ち、そして今日私たちにも交わりを持ち続けておられます。イエスは言いました。「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。(27)」ここに、私たちは本当のクリスチャンの「品質保証マーク」を見出すことができます。

  1. イエスを信じる
    この箇所に、「イエスを信じる(42)」者と「信じない(25-26)」者の違いがはっきり描かれています。イエスを信じるという意味は、イエスがこのとき「わたしは神の子である(36)」ということを信じ、あなたの信頼をイエスに置くということをです。
  2. イエスを知っている
    イエスは言いました。「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。(27)」クリスチャンであるということは、イエスの声を聞き分け、従うということです。クリスチャンを定義するなら、それはイエスについての知識を持っているというのではなく、実際にイエスを知っているということです。このことから、イエスはまた私たちを知っているという素晴らしい宣言が導かれるのです。
  3. イエスに従う
    イエスは「彼らはわたしについて来ます。(27)」と言いました。それはあなたの人生に影響します。イエスは別の箇所で「あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。(マタイ7:16、20)」と言いました。ヤコブは記します。「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。(ヤコブ2:17)」第一に信仰のしるしは愛です。イエスに従う者はイエスが示された愛に従うのです。

イエスは本当のクリスチャンに「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。(ヨハネ10:28)」と約束されました。この「永遠」とは長さではなく質です。イエスは私たちの霊的な飢え渇きを満たします。イエスとの関わりにおいて、イエスは他の何物によっても見出すことが出来ない深い霊的満足を私たちは見出すのです。

イエスは、ご自身とのこの関係が永遠に続くということを約束します。それは今始まります。そして、それは「永遠(28)」です。イエスに従う者たちは「決して罰されることはありません(28,NIV訳)」これは贈り物です。(「永遠のいのちを与えます。」,28)それは、努力によって得られるものではなく、そして失われることもありません。イエスは約束します。「だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。…だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。(28-29)」

多くの葛藤と試練があるかもしれません。しかし、究極的にはイエスの手と父の手はあなたを守るのです。
「これで間違いない!」という充足を与える力です。これは神からの賜物であり、努力で獲得するものではありません(28-29)。それは父とひとつであるイエスから受け取るものなのです(30)。クリスチャンであっても仕事や金銭を失ったり、家族を失ったり、自由を失ったり、そして命さえ失うこともあるでしょう。しかし、クリスチャンは永遠の命を失うことはありません。

祈り:主よ。あなたの声を聞くことができ、あなたを知り、永遠のいのちを与えてくださったことを感謝します。私が決して滅びることなく、あなたの手から私を奪うことがないことを感謝します。この関係のうちに、今も永遠にも霊的な満足を見出すことができることを感謝します。


心と魂を神に注ぎ出す

2サムエル1:1-2:26

あなたは、神から是が非でも欲しい何かがありますか?

私たちに人生において、私たちが「魂の苦悩(1:10,AMP訳)」を感じる時があるというのは避けることが出来ないことです。決して苦々しさで心が侵食されることを許してはなりません。…しかし、ハンナのように、主の前に心注ぎ出すのです。「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。(1:10)」
主の前にあなたの魂を注ぎだすことほど解放されることはありません。「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)」

いらだちからハンナが解放されることは、彼女が自分の祈りの答えを実際に見るまでずっと待ち望んできたことです。

これは魂の深みからの心に触れる祈りの美しい情景です。
ハンナは祈りを通して苦悩から解き放たれました。彼女は心を注ぎだして祈ったのです。「ハンナが主の前で長く祈っている間、エリはその口もとを見守っていた。ハンナは心のうちで祈っていたので、くちびるが動くだけで、その声は聞こえなかった。(1サムエル1:12-13a)」エリは彼女が酒に酔っているものだと責めると、彼女は答えました。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。…私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。…私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」(15-16)

エリは「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。(17)」と言いました。ハンナは去る時、彼女の顔は、もはや以前のようではなかったのです。「彼女は元気に食べた。彼女の顔は輝いていた(18,MSG訳)。」彼女は心の奥底に、神が彼女の祈りを聞いてくださったことを知っていました。そして実に、「主は彼女を心に留められた(19)」のです。実際のところ、神は彼女の祈りをそれ以上に答えてくださいました。彼女は彼女が望んだその子どもを得ただけではなく、6人もの子どもを授かったのです(2:21)。

そうこうするうちに、「少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。」(26)これは、私たちが自分たちの子どもたちのためにしばしば祈る祈りです。

サムエルが生まれた後のハンナの祈りには彼女が神との関係を通して経験した魂の満足が見事に表わされています。彼女は神に感謝して祈りました。「空腹であった者たちは、もはや飢えることはありません(5,NIV訳)」と。

ハンナの祈りの驚くべきことは、彼女の喜びの究極の源は彼女の子ではなく、主であるということです。彼女は言いました。「私はあなたの救いを喜ぶからです。(1)」主は魂が満ち足りるための源です。

「私は天にも昇る心地です。…神がいのちを取り運んでくださる。…主は燃え尽きたいのちに新鮮な希望をもってもう一度点火してくださる。尊厳を回復し、かれらの命を尊んでくださる。(1,6,8,MSG訳)」

祈り:主よ。私が魂を注ぎ出してあなたに祈る時、あなたは驚くべき答えを与えてくださることを感謝します。あなたは、時に卓越した方法で祈りに答えてくださることを感謝します。しかし、私が祈った事柄がかなえられようともそうでなかろうとも、あなたの平安が約束されていることを感謝します。アーメン。

H.K

References

Bernhard Langer, http://www.thegoal.com/players/golf/langer_bernhard/langer_bernhard.html [last accessed December 2014).

Joseph Cardinal Ratzinger, The Spirit of the Liturgy, (San Francisco: Ignatius Press, 2000), pp.203-4