2019年12月25日
12月25日
なぜクリスマス?
今日、私たちは「この地の上の歴史の中心の出来事、その物語全体のかなめとなるまさにそのこと(C.S.ルイス)」をお祝いします。私たちはイエスの誕生をお祝いするのです。それは大いなる喜びの日であり、世界中がお祝いします。
しかし、きらびやかなデコレーションのただ中でクリスマスをお祝いする時、いとも簡単に、なぜイエスが生まれたのかというその意味を見落としてしまうのです。クリスマスの出来事の鍵は、事細かな羊飼いの様子や旅してきた賢者たちにではなく、彼らが礼拝したそのお方が一体どのようなお方なのかということにあります。イエスにおいて、神は「人となって、私たちの間に住まわれた(ヨハネ1:14)」のです。クリスマスはイエスそのお方が中心です!
今日の私たちの新約聖書の箇所は、それが意味する影響の大きさを私たちが垣間見る助けとなります。その中に、私たちは「赤ちゃんであるイエス」がまた「主の主であり王の王である(黙示録17:14b)」ことを思い起こさせるのです。神に対抗してずらりと並んだ権力と権威の戦列として、私たちは善と悪の間の宇宙規模の葛藤を垣間見ます。しかし、私たちは、最後には、「子羊」の謙遜と自己犠牲を通して彼らが打ち負かされるということを覚えます。
イエスは天の栄光を横に置き、謙遜をまとわれました。有名なクリスマスキャロル「きけや歌声(Hark! The Herald Angels)」にある通りです。
キリスト、いと高き天は崇める
キリスト、永遠の主
待ちわびて来られたこの方を見よ
処女の胎から生まれしお方
肉に包まれし神を見よ
受肉された神を出迎えよ
人に住まわれ、人としてこられたお方を喜べ
イエス、私たちのインマヌエル
聞け!到来を告げるみ使いの歌を
「新たに生まれた王に栄光あれ!」
今日の各々の箇所で私たちはこの「新たに生まれた王」に従う祝福を見ます。
祝福、平和、満足
詩篇147:12-20
神の約束のすべてはイエスが来た時に成就しました。神はご自身の民に祝福と平和と満足を約束しました。(「あなたの食卓の上に最上のパン」,14,MSG訳)神は「ご自分の約束を地球上で展開した(15,MSG訳)」のです。
イエスの誕生が羊飼いたちに告げられた時、み使いたちは「この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。(ルカ2:10)」と告げました。天の軍勢は「地の上に、平和が(14)」と賛美しました。イエスはベツレヘム(その意味は「パンの家」)に生まれました。イエスはすべての人類の心にある霊的な飢えを満たすお方なのです。
祈り:主よ。あなたがご自身の民を祝福する方法のゆえに感謝します。「私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています(ローマ5:1)」ことを感謝します。あなたが私の心の最も深い渇望を満たしてくださるお方であることを感謝します。
召し、選び、忠実
黙示録17:1-18
クリスマスはただ素敵な物語ということだけではありません。人類の歴史の中で決定的瞬間なのです。善と悪、神と悪魔の宇宙規模の戦いにおいて、イエスは決定的な存在です。その闘いとイエスの中心性と勝利は今日の私たちの新約聖書の箇所の焦点です。
時々、教会は闘いに負けている様相を呈します。今日、西欧の教会の出席者数はしばらく前から減少傾向にあります。世俗主義が台頭しているように見えます。ヨハネの黙示録はその様相の背景に何が起こっているのかを、そして、最終的にどうなるのかを啓示します。
私たちが世界を見回す時、ある程度、それは莫大な力であり、魅力的であり、人をひきつけます。しかし、表面下で、私たちは多くの悪と多くの子羊に対する反発を見るのです。
イエスへの反発は擬人化されています。「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン(5)」という名で、獣にまたがる女性として描かれています。
当時の歴史的文脈に照らすなら、「バビロン」は古代ローマを表しています。私たちが見てきたように、「この女がすわっている七つの山(9)」とはローマの周囲にある七つの山(丘)を指します。
表面的には、ローマ帝国は、世界が求めるすべてがあり、何かとても魅力的に思えます。彼女は「紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り(4)」ます。
しかし、表面的な魅力の下には暴力と悪徳が潜んでいるのです。「地の王たちは、この女と不品行を行い、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。(2)」
それは徐々に反対するように敵意をあらわにするようになります。この暴力と悪徳は乱雑ではありません。特に神と神の民を標的にしたものです。この箇所の最初の半分はずらりと並んだ人物が現れます。「この者どもは心を一つにしており、…この者どもは小羊と戦います(13-14)」。
この箇所の素晴らしい知らせは、子羊が勝利することです。子羊はただ勝利しただけでなく、あなたをご自身の勝利に組み入れてくださるということです。「この者どもは小羊と戦いますが、小羊は彼らに打ち勝ちます。なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。また彼とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実な者だからです。(14)」教会はしばしば大きな攻撃にさらされ、時に暗闇の勢力が優勢であるように見ええる時、私はこの節に大きな安堵と励ましを受けます。
マザー・テレサが言った通りです。「神は私を成功する者として召されたのではありません。神は私を忠実であるように召されたのです。」もしあなたがイエスに対して忠実であるなら、あなたは最終的に成功に満ちたものとなります。なぜなら、イエスは究極敵に成功するからです。
今日を祝いましょう。最初のクリスマスに生まれ、赤ちゃんとして来られ、成長し、神の子羊として死なれ、いのちを持って復活されたイエス、そのお方に従う者として召され、選ばれ、忠実なる者とされた特権のゆえに。
究極的には子羊はすべての悪に打ち勝ちます。「なぜならば、小羊は主の主、王の王だからです。(14)」これが、このクリスマスを祝うべき素晴らしい知らせなのです。偉大なクリスマスキャロルの歌詞にある通りです。私たちの救い主は「主を信じるものすべてをサタンの力と支配から解き放つため。慰めと喜びのおとずれよ。」
祈り:主よ。あなたが主の主そして王の王であられることを感謝します。あなたが支配し統治されることを感謝します。究極的には子羊が悪のすべての力の打ち勝つことを感謝します。イエスのみそば近くに留まることが出来ますように。そして忠実な従者であることが出来ますように。
再建、回復、修復
ネヘミヤ3:1-4:23
クリスマスの日は、世界中でイエスの御名が崇められるべき特別な日です。悲しいことにしばしば、そうなっていない場合があります。私たちの世にイエスの御名が崇められるのを見るためにあなたが寄与できることはなんでしょうか?
エルサレムは神の住まわれる、神の都でした。神は、人々がエルサレムの城壁を再建するためにネヘミヤを召しました。これは今日の教会の務めを視覚的に描く素晴らしい絵です。私たちは、自分たちの社会で再びイエスの御名が崇められるようになるように、再建し修復するように召されたのです。
あなたは今まで「自分など必要なのだろうか?」「私には何かささげるものはあるだろうか?」「私がすることにどんな意味やどんな価値があるのだろうか?」と思うことはありませんでしたか?
この箇所で、私たちはすべての人々が必要とされていることを見ます。すべての人々がスクラムを組んで働きに出たのです。彼らは共に再建し、回復し、修復したのです。それぞれに与えられている役割の分量は異なります。鍵は比較するのではなく、単純に神があなたにするように召されたことを何でも行うことです。
神はあなたがすることが何かを知っておられ、あなたがすることの価値をご存知です。2,500年たって、私たちは今でも神の民がそこで為したことを読んでいます。彼らの名はリストになっているのです。
彼らは皆、志願して働きに就いた者たちです。職業としているプロの建築家は誰一人いませんでした。彼らは実業家であったり、起業家、役人、貴族、金細工人、香料づくりの職人であったりしました。しかし、彼らは再建の作業に自ら進んで自分自身をささげたのです。あらゆる年齢層の人々がいました(3:12)。
彼らは、自分たちがしていることがあまり意味がないのではないだろうかと考える誘惑に遭ったことでしょう。地区長であったマルキヤが「糞の門」の修理を依頼されました。彼は沽券にかかわると言って不満を訴えたりしませんでした。彼はただそれを引き受けたのです。彼らは一緒になって、それぞれの分担を引き受けて行きました。彼らはエルサレムを再建したのです。彼らは神の御名に栄光を帰しました。
圧迫と嘲りは外部から来ました(4:1-8)。そして失望は内部から起こりました(10,12)。同じことはイエスにも起こりました。イエスの誕生はすべての人々に歓迎されはしませんでした。ヘロデはイエスを殺そうとしました。イエスとその教会への圧迫は今日も続いています。
あなたは恐れる必要はありません(14)。祈りと行動を組み合わせることを通して、成功は可能です。圧迫が来るとき、祈りを増し加え、警戒を強めてネヘミヤのように応答しましょう(9)。彼らは警護の手を緩めることを決してしませんでした(23)。
鍵は「私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ。(20)」ということです。神が私たちのために戦ってくださるので、国は変わり得ます。教会は満たされることが出来ます。家庭生活が強められ、結婚の尊厳が取り戻され、犯罪率が下がり、社会は変革し得ます。それらすべての中で最も大切なことは、イエスの御名が再び崇められるようになることです。
あなたが教会の状態を見る時、この再建の務めに加わりましょう。圧迫にたじろぐことなく、熱心に勤しむことを意志しましょう。
祈り:主よ。子羊が常に勝つことを感謝します。今日、私たちが誕生をお祝いするそのお方は究極的に勝利に満ちたお方です。なぜなら、このお方は「王の王、主の主」だからです。アーメン。
H.K
References
C.S. Lewis, Joyful Christian, (MacMillan Publishing Company, 1984) p.53
Joyce Meyer, Everyday Life Bible, (Faithwords, 2013) p.732