Tokyo Chapel

2019年1月19日

第19日

あなたの最も価値ある持ち物

ラジはインドのカーストの最高位であるバラモンの一族の6人兄弟の一人として裕福に暮らしていました。

23歳の時、ラジはイエス・キリストと出会いました。彼は勘当され、家族から追放されました。彼らにとっては彼は死んだも同然でした。彼らはラジの葬儀まで執り行ったのです。両親も、兄弟も二度と彼に話しかけることはありませんでした。

何週間もの間、彼はバンガルーの通りをさまよいました。食べるものもなく、一日中歩くと夜は公園で野宿しました。

彼は新しい人生をスタートしました。彼が見つけた新しい信仰について、彼は話し始めたのです。彼を通して、何千もの人々がイエスと出会いました。彼は三百万人の人々が集まる祈り会をリードし続けました。それから何年かして、彼はアルファ・インドの代表者に任命されました。彼は「私は祝福された人生を歩んできました。それは私が失ったものを凌ぐものです。」と語りました。彼は「すべて」を失いましたが、イエス・キリストにあって、偉大な価値ある良い真珠(マタイ13:45-46)」を見つけたのです。

「関係」はあなたが所有できる最も価値あるものです。あなたが作り出すことのできる一つの「関係」があります。それは、すべての真珠の中で最も価値あるものです。それは、すべてを売り払ってでも手に入れる価値があるものです。


親密な神の臨在

詩篇11:1-7

あなたの人生の中でもっと困難な時であったとしても、あなたは親密な神の臨在を体験することができます。ダビデは危機に瀕していました。彼は山の中に逃げて隠れるように助言を受けました。彼の答えはこうです。「私はもう神の腕の中に真っ先に逃げ込んだ。どうして逃げ隠れしなければならないのか?(1,MSG訳)」

ダビデは「主に私は身を避ける。(1)」と言ってこの詩篇を始めます。彼はまた、「直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。(7)」という約束をもって、神との関係に焦点を当てて終えています。ダビデは比喩的な言語を用いて、主の親密な臨在を描き出しています。

彼の経験と神との関係を求める願いは、この詩篇の最初と最後を囲んでいます。神の親密な臨在と比べれば、この世界には、それ以上安全な場所はなく、それ以上価値あることは人生にはないのです。主の御顔を慕い求めましょう。

祈り:主よ。今日、私はあなたに身を避けます。あなたの御顔を拝させてください。あなたの親密な臨在で私の心の深い願いを満たしてください。


神の御子を知ること

マタイ13:36-58

ある人々は熱心に調べた結果としてイエスを見出します。他の人は(私もそうですが、)何かの拍子にイエスを見出します。しかし、ひとたびあなたが宝を見出したら、それは他のすべてをあきらめる程の価値があるのです。

毒麦のたとえと網のたとえの間に短い2つのたとえをイエスは語りました(44-46)。この2つの違いは熱心に「捜している」商人(45)と「偶然」見つけた農夫(44)という点でしょう。一方、共通点は手にしたものが格別な価値あるもの(良い真珠、宝)であるということです。どちらも、そこにはすべてを売ってでも手に入れるほどのすばらしい値打ち(44,46)」があります。

これが真実な「喜び(44)」と現実の「宝(44)」そして「すばらしい値打ち(46)」が見出される所なのです。天の御国は王を知ることに尽きます。それはまさにイエスについてであり、あなたがどのようにイエスに応答するかです。これがラジや何百万という彼のような人物が発見した価値ある真珠なのです。

あなたが世界を蝕む悪に目を向けるとき、なぜ神はすぐさまそんなもの退けて追い散らしてしまわないのだろうかと考えたことはありませんか?毒麦のたとえで、しもべは毒麦を抜き去りたかったのですが、主人はそれを拒否しました(28-29)。裁きはやがてやってくるものなのです(36-43,47-50)。

イエスは罪や悪を行うことによって身を滅ぼすことについて警告しています(41,49-50)。イエスは毒麦については、やがて神が「それらをゴミ箱に投げ込む(41,MSG訳)」と、また「腐った魚を選り分けて生ゴミとして捨てる(49-50,MSG訳)と言っているのです。イエスはその日、あなたに「そのとき、正しい者たち(イエスによって神が義としてくださった者)は、彼らの父の御国で太陽のように輝きます。(43)」と約束してくださっているのです。それがあなたと神との関係であり、それがあなたを輝かせるのです。その日、あなたは神の国で太陽のように輝くのです。

しかし、神はまた悪のすべてが滅ぼされることを許可しておられません。神はすべての麦がご自身の小屋に入れられることを望んでおられます。神は「この世の終わり(39)」まで遅らせることを故意に許しているのです。そのことで、もっとたくさんの人々がイエスについての良いニュースに応答し最も価値あるものを見出すための時間が与えられているのです。

祈り:主よ。あなたとの関係が価値ある真珠であることを感謝します。あなたのそばにおらせてください。そして何物も私をあなたとの関係から遠ざけることがないようにしてください


神の祝福を経験する。

創世記38:1-39:23

今、あなたが置かれている環境は理想的でしょうか?それとも重荷に感じているでしょうか?仕事を変えたり、住む場所を変えたり、人間関係を新しくしたいでしょうか?あなたの環境にかかわらず、今日の箇所は、あなたが神に対して忠実であるなら、あなたは神の臨在、神の好意にあずかり、神の祝福を、あなたのいる場所で体験することができるのです。

私たちは、ここで、性的な誘惑に遭った時のユダの不忠実さと偽善、そしてヨセフの忠実さとを対照的に見ることになります。

ユダは、妻の死のあとの脆弱さもあって、罪を犯してしまいます。娼婦に変装した彼の義理の娘であるタマルと一緒に寝てしまうのです。しるしとして、彼は印形とひもを彼女に持たせました。彼女はユダによって身ごもります(38:1-18)。

ユダが義理の娘が売春し子を宿したと聞いたとき、ユダは「あの女を引き出して、焼き殺せ。(25)」と言いました。それで、彼女は「これらの品々の持ち主によって、私はみごもったのです(25)」と印形とひもを差し出したのです。その結果、彼の偽善と罪があらわになりました(26)。

神の恵みは特別です。この一件によって生まれた息子、ペレツはイエスの系図に載せられています(マタイ1:3)。神の恵みのうちに、神は悪魔が悪を意図して起こしたことさえ、良いことのためにお用いになるのです。

ユダの罪はヨセフの正しさと対照的です。「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり(創世記39:2)」ました。ポティファルは主がヨセフとともにいるのと主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見ました。そして彼の全財産の管理をすべて彼にまかせました(4)。その結果、「主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった(5)」のです。

「主がヨセフとともにおられたので」という表現はここで4回も出てきます(39:2,3,21,23)。しかしながら、主がともにおられたということはあなたが誘惑に遭うことがないというのではありません。ヨセフは大きな誘惑に遭いました。ポティファルの妻が彼を寝床に来るように気を引いてきたのです。ヨセフは断固として誘惑を拒絶したのです)。

ヨセフは、この誘惑に屈することは神に対する罪であり、雇い人であるポティファルに対する反逆であると見ていました。「どうして、私が彼の信頼に背き、神に対して罪を犯すことができるでしょう?(9,MSG訳)」彼は彼女とともに寝床に入ることを拒んだだけではなく、誘惑に近づくことさえ拒んだのです(10)。

ヨセフは私たちに誘惑をどのように取り扱えばよいのか良い例を示してくれます。誘惑に対抗する最善の方法は「それを避けること」(2テモテ2:22)です。もしあなたが大きな誘惑に遭ったら、根本的な行動をとりなさい。ヨセフのように逃げるのです。

ポティファルの妻はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ」と言いました。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、逃げて外へ出たのです(創世記39:12)。

なんとユダとは対照的でしょうか。ユダは印形とひもをタマルの手に残しました。それは彼の罪の証拠です。ヨセフは上着をポティファルの妻の手に残しました。彼女はそれをヨセフの罪の証拠として用いましたが、事実は彼の無罪の証拠です。

「主はヨセフとともに」おり、ヨセフは誘惑に対抗したという事実にもかかわらず、ヨセフは酷い不正義にさらされます(19以降)。そして最終的には投獄されるのです(20)。彼は自由(liberty)を奪われましたが、しかし自由(freedom)は奪われませんでした。

獄の中でさえ、主は彼とともにおられました。神は「彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた(21)」のです。「囚人の長は、ヨセフに全囚人を任せた。彼は最終的に管理全般を担当した(22,MSG訳)」「それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。(23)」

あなたの置かれている環境は理想でないかもしれません。たとえば、あなたは監獄に入れられているように感じているかもしれません。文字通り監獄の中にいるとか、仕事、健康状態、人間関係、その他の環境に囚人のように縛られているなどかもしれません。そのような中にあって、もしあなたが神に忠実であるなら、あなたは神があなたとともにおられる臨在を経験することができます。他人の目からも主の好意と主の祝福があなたの生活の上にあるのを経験するのです。これが「偉大な価値ある真珠(マタイ13:45-46)」です。これこそ、手にすることのできる最高に価値あるものなのです。

祈り:主よ。物事が間違っているように見えるときにも、そして試練と誘惑の中にあっても、私はあなたとともにいること、そして、私の生活にあなたの祝福があるのを経験することができることを感謝します。アーメン

H.K