Tokyo Chapel

2019年6月12日

第163日

あなたは変わることができる

私たちの教会の近くに路上で生活している一人の女性がいました。彼女はお金をせびっては断る人に悪態をついていました。この女性が亡くなった時、私が葬儀の司式をすることになりました。その後、彼女は莫大な遺産を相続していた大金持ちであったことが分かりました。彼女は豪華な家を購入し、高価な絵画を所蔵していたのです。しかし、彼女が選んだ生き方は、ごみ袋にたくさんのガラクタを詰め込んで、路上で生活をすることだったのです。彼女は自分が生きてきた生活を後にすることができず、遺産を楽しむことなく死んでいったのです。

ある人々は変化を恐れます。また他の人々は変わることは不可能だと信じ込んでいます。でも、素晴らしいニュースは神があなたが変化することを助けてくださるということです。変化は霊的生活、成長と変革の鍵です。それは私たちの行動や外見が変わることだけのことではありません。私たちは内面が変化することが必要です。私たちは心の変化が必要なのです。どうすればいいのでしょうか?


神の視点を得る

詩篇73:1-14

あなたは自分の信仰が本当に価値あるものなのかと疑ったことがありますか?神を信じてはいない人々が成功するのを見てどうしてだろうと考え、また羨みの誘惑にあったことがありますか?

詩篇の作者は、心をきよく保ちました(1)。しかし、彼は人生はとても苦難に満ちていることに気づきました。彼は葛藤を覚え、試練、恐れ、疑い、不安に「苦労(5)」しました。

彼は、神なしでも、至ってうまくやっているように見える裕福な社会を見回しました。彼の歩みは「すべるばかり(2)」でした。「それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。(3)」

あなたも周りにいる裕福で成功した人々を見るでしょう。彼らの「冷淡な心」にもかかわらず、葛藤している様子もないのです(4)。彼らが全く健康で苦労もなく楽に生きているように思えたのです(4-5)。彼らは傲慢で神など必要が無いように見えました(6-11)。

もし、あなたがこの作者のように疑いと失望の道に足元がすべりそう(2)であるなら、あなたが「むなしく心をきよめ(13)」続けているかどうかを、そして、この詩篇が何をするようにあなたに告げているかを確かめましょう。

私たちが「神の聖所に(17)」入っていく時にすべてが変わること、そして、神の視点から物事を見るべきです。作者は完全に心が変わりました。「ついに、彼らの最後を悟った(17)」のです。彼は、彼らの結末と自分の最期の違いを認識しました。

作者は「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。(1)」と切り出し、「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。(28)」と締めくくっているのです。

祈り:主よ。私はあなたの聖所に入ります。そしてあなたの視点から物事をみます。あなたが心きよい者に対して真実であられ、あなたのそばにいることが幸いであることを感謝します。私はあなたを私の避け所とします。私はあなたの御業を語り告げましょう。


心の割礼

使徒7:44-8:3

このような人物が果たして変わることがあるだろうかと思うような、クリスチャンに大反対していた人物を見たことがありますか?今日の箇所は、まさに最も反対していた人物の心が変わるという出来事が起こった記録です。

ユダヤ人であるということは体に割礼があるといことを意味しました。すべての男性は生後8日目に割礼を受けました。しかし、この肉体の割礼は心の割礼を象徴的に表したものだったのです。

ステパノの弁論が終わりに差し掛かり、大きな勇気と大胆さをもって、彼は迫害者たちに向かって「かたくなで、と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。(7:51)」と言いました。ステパノはそして、「この正しい方(52)」であるイエスを殺害したことを責めました

ステパノの弁舌の中心テーマは「いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。(48)」という部分です。

幕屋も(44-45)、神殿も(47-47)かつては文字通りの神の家として見られてきましたが、そうではないということです(48)。神がイザヤ書を通して「天はわたしの王座、地はわたしの足の足台である。(49)」と語られたように、イエスは幕屋や神殿を置き換えるために来られました。イエスが来られる以前は、人々は神と会うために神殿に来ました。イエスの到来によって、神と出会う場所はイエスご自身となったのです。

今は聖霊を通して神と会うことができるのです(マタイ18:20)。特にともに集い聖霊が臨まれる教会においてです(エペソ2:22)。主の御霊によって、イエスは私たち一人ひとりの内に住まわれます。私たちの体は聖霊の宮なのです。(1コリ6:19)。今まさに「聖霊に満たされたステパノ(使徒7:55)」に神は住んでおられたのです。

ステパノは聖霊を通して、イエスによって今は取って代わられた、まさにその神殿の祭司たちに向かって言ったのです。ですから、彼らがそれを聞いて「はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした(54)」のも無理はありません。彼を町の外に追い出して、石で打ち殺したのです(58)。

群衆の中に「心に割礼を受けていなかった」サウロという名の青年がいました。「証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた(58)」のです。「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた(1)。」この青年、サウロは「教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた(3)」のです。

人類の歴史の中でこの青年ほど心が大きく変わった人を見つけることは難しいでしょう。かつてはクリスチャンを抹殺していた人物が大使徒となり、歴史上比類なき程の大転換を遂げたのです(9:20)。もし、ISISのメンバーが最後はローマ教皇になると想像してみると、使徒パウロに起こったことがどれほど大きなことだったのかを理解することができるでしょう!

その変化の種はいつ蒔かれたのでしょうか?それは多分、ステパノの殉教の時でしょう。「聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。』」(7:55-56)

それから、「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた。(59-60)」

後になってパウロは「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。(ローマ2:29)」と記しました。

割礼は切って捨てることです。すべての本物のクリスチャンは聖霊によって割礼を受けたのです。あなたが心に割礼を受けた時、すべてに間違った行いを切り捨てて、あなたの心と思いに従うのです。神の前にあなたの心が正しくあり続けるために止めなければならないことには「いいえ」と言いなさい。ステパノの様に聖霊に満たされて愛と勇気と赦しに溢れる者となるのです。

祈り:主よあなたの愛が私の心を変えたことを感謝します。あなたの御霊によって私たちはすべて変わることが出来ることを感謝します。


試練による熟達

2サムエル18:19-19:43

あなたは苦難や悲しみの時を過ごしていますか?神は往々にしてこれらの時を用いて、あなたの心を変え、あなたが人を前にもまして思いやる者とならせてくださいます。

ダビデの心は苦難と悲しみによってきよめられていきました。あたかも彼は今まで何一つ苦難を被らなかったかのように、息子アブシャロムの死を伝えられたダビデは門の上で男泣きに泣きました(18:33)。彼は「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。(33)」

ヨアブは歯に衣着せず、ダビデが自らを奮い立たせて、外に出て敵と戦って大いなる勝利を勝ち取ってきたばかりの兵士たちを激励するように促しました(9:1-7)。ヨアブはダビデに言います。「あなたのしもべたちに全神経を注ぎ給え!」(7,MSG訳)

ダビデ自分自身を変えて立ちました。「こうしてダビデは、すべてのユダの人々を、あたかもひとりの人ののように自分になびかせた(14)」のです。

ダビデをのろったシムイもまた心を変えました(18)。「エルサレムから出て行かれた日に、このしもべが犯した咎を、思い出さないでください。王さま。心に留めないでください。このしもべは、自分の犯した罪を認めましたから、ご覧のとおり、きょう、ヨセフのすべての家に先立って、王さまを迎えに下ってまいりました。(19-20)」

ダビデの心は苦難によってきよめられて、彼の周りにいるすべての人々に明るく照り輝かせました。ダビデはシムイやメフィボシェテ、ツィバやバルジバライに対して寛大な対応を取ったのです(24-39)。

しかし、ダビデはイスラエルとユダとの間に言い争いが起こり、やがて大きな対立になっていくのに直面するのです。(41-43)

祈り:主よ。私の人生の中に変化をもたらす苦難と悲しみの時を、あなたが用いてくださるように備えてくださり感謝します。私の心をきよめてください。そして私の他の人々へのあわれみの思いを増し加えてください。アーメン。

H.K