Tokyo Chapel

2019年1月18日

第18日

あなたの御国が来ますように

エリザベス2世は65年にわたってイギリスの君主として統治しています。存命の君主では英国史上第1位の長期在位君主です。イギリスでは女王がクリスマスの日に国民へのメッセージを送る習わしがあります。数日前の2018年のクリスマスに、彼女はこう言いました。「イエスが生まれた時、わずかな人々しか彼を知りませんでした。今や何十億もの人々が彼に従っています。イエスのメッセージは時代遅れになることは決してなく、いつまでも必要とされるのです。」

数年前に、彼女はイエスについて「何十億もの人々がイエスの教えに今従い、自分たちの人生を守る灯を彼のうちに見出している。」と言いました。

イギリス連邦の女王はもう一つの国を指し示しました。イエスの王国が立て上げられ、イエスの新しい統治が訪れることです。イエスは私たちに祈りを教えてくださいました。「御国が来ますように。(マタイ6:10)」神の国は神の支配と統治です。


社会が変えられるために叫ぶ。

詩篇10:12-18

主は世々限りなく王である。(10:16)」とあるように、神は全宇宙を支配しておられる主です。また、詩篇の作者は叫びます。「さあ時間です。神よ。行きましょう。(12,MSG訳)」彼の祈りはまさに「御国を来たらせたまえ」という叫びです。主が立ち上がってくださる時、「恐怖時代は終わった。ギャングのボスの支配は終わった(18,MSG訳)」のです。

詩篇の作者は、特に次のような人々をとりなしています。

  • 助けのない者(12)
  • 問題の渦中の者(14)
  • 深く悲しむもの(14)
  • 難民(14)
  • みなしご(14、18)
  • ホームレス(18,MSG訳)
  • しいたげられた者(18)

もし、あなたが神の国が来て社会が変革されるのを見たいのなら、上記の人々こそあなたの意識に留めるべき人々です。

祈り:主よ。あなたが王であられることを感謝します。援助なく、問題を抱え、深く悲しみ、被災し、親を失い、家を失い、虐げられている人々を覚えて祈ります。どうか御国が来ますように。


イエスを人々に語り告げる。

マタイ13:18-35

どんなときでも、あなたがイエスについて話をする時、あなたはその人の心にみことばの種を植えているのです。種まく人のたとえのように、すべての種が実を結ぶわけではありません。道ばたに落ちる種(19)もありますし、一時的な結果しかもたらさない場合もあります。富に目がくらんだり、この世の心遣いや、その後困難や迫害で神から遠く離れてしまう(21-22)ケースもあるでしょう。

でも良い地に落ちる種もあるのです。たとえでは、それらの種は驚異的な結果を生み出します。「良い地に落ちた種とは、そのニュースを聞いて受け取った人です。そして、見果てぬ夢のような大収穫を生み出すのです(23,MSG訳)。」

私は5年前、10年前あるいは15年前にアルファに出た人々の幾人かの人生を見ると、絶大な影響を与えている人々がいると言います。ある者は地球規模のインパクトを与えた働きを始めた者さえいました。

イエスは多くの神の国についての譬えを語っています。(マタイが「天の御国」と表現するのは、ユダヤ人はみだりに「神の名」を口にしなかったので、ルカやマルコが記す「神の国」の「神」のかわりに「天」と表現したのです。)

この御国は「すでに」と「やがて」の両方の側面を持っています。毒麦のたとえは、私たちにとっても将来における「神の国」のことを指し示しています。今の時点では麦も毒麦も一緒に育っています。ある日、刈り入れと裁きのときが来るのです。イエスが再び戻って来られる時、神はすべてを成就されるのです(24-30)。

イエスは、続けて天の国が、畑に植えられた、からし種のようだと言われました。その種は種の中では最も小さいのですが、成長すると、畑の中で最も大きく育ち、鳥が巣を作るほどに大きく育つのです(31-32)。

旧約聖書には、鳥が巣を作るイメージがかなりの回数、用いられています。それは全世界が神の家族として集められるたとえとして用いられているのです(エゼキエル17:22-24、31:3-14、ダニエル4:9-23)。イエスはこの話を聞いた人々に、御国がひとつの民族だけで構成されているのではなく、全世界の人々によるのだと印象づけたのです。

たくさんの異なるタイプの種まきの方法があります。たとえば、一つの小さなグループがもう一つを作り、それが成長する(マタイ13:32)。それが「Church Planting(教会形成)」に見られることです。始まりはからし種のように、極めて小さいのです。しかし、植えられる時…それは成長していくのです(31-32)。

私たちの地域教会からの「Church Planting(教会形成)」のいくつかを見れば、ある地域では莫大な影響を与えています。ユダヤの国にあって予期せぬほどの異邦人の信者が押し寄せたのと同じように「どんな種よりも小さくても、鳥が巣を作るほど(32)」神の国に人々が集まったのです。今世界中で「Church Planting(教会形成)」の衝撃を見ることができます。かつて教会成長学の権威であったピーター・ワーグナーが言いました。「教会形成は天の下で知られる宣教の中で最も効果的な方法です。」

イエスは、続けて、天の御国について、それは粉の中に入れられたパン種のはたらきのようだと言いました(33)。あなたの影響は非常に大きくなる可能性を持っているのです。あなたの家、家族、学校、大学、工場、あるいはオフィスで。これがどのように社会が変革されるかということなのです。

祈り:主よ。私が周りの人々にイエスのよき訪れを取り運ぶことを求めるとき、出来る限りの種をまくことができますように。あなたの王国が私の町に来ますように。国に来ますように。そして世界中に来ますように。


王の王なる方の前にひれ伏す。

創世記36:1-37:36

今日からヨセフ物語が始まります。ヨセフは他のどの息子たちよりもイスラエルに愛されました(37:3)。そして彼の兄たちは嫉妬しました(4)。ヨセフは有名な夢を見ました。彼の兄たちが彼にひれ伏すのを見たのです(7,9)。

神が時々夢を通して語られることがあるのは疑いありません。神は確かにこの方法でヨセフに語られたのです(5,9)。これらの夢を通して、ヨセフは、神が彼の人生に為そうとしておられることが何か、将来どのようなことが起こるかを把握しました。

しかしながら、あなた自身の人生のために与えられた夢や幻について、すべての人に告げることは必ずしも賢いことだとは言えません。ヨセフは17歳でした(2)。彼の人生経験は浅かったのです。彼の失敗は彼の夢についてみんなに話したことです。それは激しい憎しみを生み(5,8)、大きな嫉妬(11)を引き起こしたのです。彼の兄たちは言いました。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。(8ア)」兄たちはヨセフが彼らの王となることなど嫌悪したのです。

ヨセフはまた、まさしく「伏し拝んでいる(9)」というほかの夢を見て、それを兄たちに話しました。彼の父は賢明で、ただヨセフが言ったことを「心に留めて(11)」いました。もしあなたが神から来たのかもしれないというような夢や幻に対してどのように応答すればよいのか分からないとき、最も賢明は応答は単純に心に留めておくことです(ルカ2:19)。

しかし、ヨセフはまたもや家族全員に愚かにも話してしまいました。兄たちは以前にもまして嫉妬するようになりました(創世記37:11)。彼らはヨセフを殺そうと画策します(18)。ヨセフはミデヤン人に売られ、さらにエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルに売られました(36)。ヨセフはエジプトののもとにやって来たのです。

ヨセフの夢を兄たちに告げるという賢くない行為の結果、彼は何年もの間、つらい困難な日々を過ごさなければなりませんでした。神はこれらすべてを用いて、彼の人格を成長させ、彼の生涯の務めの準備をされたのです。

私たちが旧約聖書の中に読む王政は新約聖書の神の国を予見させます。今日の箇所では様々な人間の世界の支配者たちが登場します。エドムの王(36:31-43)、エジプトのパロ(37:36)、これらの創世記の章に記された鍵のメッセージは神が究極的に人間の支配者たちの上におられるということです。それは、特にヨセフ物語に現れています。

物語の紆余曲折は突飛で乱雑なように見えます。しかし、読み進むと、ヨセフの夢のような神の介在を読み解くことができます。そして、すべてが神の目的に向かって進んでいるのを発見するのです(50:20)。

ヨセフはキリストの「型」です。言い換えると、彼の人生はイエスの人生の予表であると言えます。(このことについては後日見ることになります。)しかし、物語の初めであるここでは、私たちは対照を見ます。イエスは神がご自身をどのようにお用いになるかをご存知でした。しかし、そのことを語ることについて非常に慎重でした。実際、イエスは「メシアの奥義」について語ることは極めて慎重でした。

私たちはこの箇所でヨセフとイエスの類似点を見ることも出来ます。やがて、人々はヨセフの前にひれ伏す(37:7,9)ということと、やがて、王なるイエスの前にすべての膝がかがめられる(ピリピ2:10,黙示19:4,6)ことです。

あなたの生活に存在する様々な「権力争い」(例えば、教師、上司、政府など)などに関心を持つのをやめて、自ら進んでイエスの前に今膝をかがめる時が来ています。そして最高の王としてあなたの人生にこのお方をお迎えする時が来ているのです。

祈り:王の王なる、主イエス・キリストよ。私があなたに従う時、私はあなたの王権のもとにあることを感謝します。今日、私はあなたにひれ伏し、あなたが主であることを告白します。あなたの御国が来ますように。アーメン。

H.K