Tokyo Chapel

2019年9月8日

第251日

霊的な闘いに勝つ

忘れることのできない悲劇的な写真があります。多くの人々がそうでしょうけれど、私はトルコの海岸に打ち上げられた3歳のアイラン・クルディー君の写真を見た時に、涙を流しました。彼は母と兄とともにシリヤの内戦を逃れる途中で溺死したのです。

ヨーロッパの難民危機の一番大きな原因は戦争です。20万人を超える人々が過去数年間以上にわたってシリヤの内戦で殺されました。イラクでは、ISISが何千もの無実の人々を殺戮しています(その中の多くがクリスチャンです)。そして何万もの人々が(これもまた、多くはクリスチャンです)が居場所を移しました。ゾッとするテロリストの攻撃が世界のここかしこで常に警戒され起こっているのです。

これらの残虐行為は極めて恐ろしい暴力の例です。そして、あらゆる社会の層でいつも起こっているのです。「兄弟は兄弟に対して闘い、隣人は隣人に対して闘う。町は町に、国は国に対して闘う。―無政府状態と混沌、そして殺戮!(イザヤ19:2,MSG訳)」

毎日のようにメディアを通して私たちは戦争の恐怖を見ています。現実の戦争でさらに恐ろしい兵器が常に開発されている世界に私たちは生きているのです。これらの兵器には人を傷つけ、殺し、破壊する力があります。しかし、この戦争は純粋に目に見える世界だけではありません。ここで上げられる課題は、政治やメディアのどちらにもあるように、深く倫理的であり道徳的です。

目に見える世界での戦争だけでもこれは深刻な地球規模の課題です。そして、使徒パウロに従えば、それは霊的戦いです(エペソ6:10-20)。これは目には見えません。しかし、まさに現実です。偉大なウェールズ人の説教家、マーチン・ロイドジョンズ博士は、かつてこう言いました。「クリスチャンの指針において、戦いや葛藤が全くないような容易な人生が供されるような描きほど、大きな誤解はない。…遅かれ早かれ、信じる者は皆、クリスチャンの生活は戦場なのであって、遊び場などではないということを発見するのだ。」

この闘いにおいて、あなたは悪に打ち負かされるように召されているのではなく、善によって悪に打ち勝つ(ローマ12:21)ように召されているのです。あなたには戦いに勝つように武器が与えられています。パウロは記しました。「私たちは…肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。(2コリント10:3b-4)」

これらの武器とは何でしょうか?それらをあなたはどのように使うのでしょうか?


祈りという武器

詩篇106:13-31

詩篇の作者はモーセのリーダーシップと働きを思い出そうとします。ある人々はモーセとアロンが神に力強く用いられたことに嫉妬しました。「彼らが宿営でモーセをねたみ、主の聖徒、アロンをねたんだ(16)」

モーセの反応は自分を守ることではありませんでした。むしろ、彼らのために祈ったのです。彼は神の「御前の破れ」に立ち、彼らのためにとりなしたのです(23)。出エジプト記32章11-14節の説明の内に、私たちは、祈りの力によって、歴史の流れがどのように変わるかを見るのです。

ピネハスは民に代わって「仲裁した」もう一人の人物です(民数記25参照)。彼の仲裁は彼の信仰に由来したものでした。私たちは、ここで、アブラハムに語られたのと同じように、義なる者としてその名が挙げられているのを見ます(詩篇106:31)。

祈りという強力な武器はあなたも用いることが出来ます。あなたの家族、友人、そしてあなたが祈りの中で示された人々の為に、「御前の破れに立って」彼らに代わってとりなして祈りましょう。ホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会の祈りの集いの終わりにジェレミー・ジェニングスが決まってこうお祈りするようにです。「この祈りを感謝します。あなたは変化をもたらします。

祈り:主よ。とりなしの祈りの力のゆえに感謝します。今日、私を御前の破れに立たせてください。そしてとりなすことをさせてください…。


福音という武器

2コリント 10:1-18

あなたの思考は戦場です。あなたの考えはあなたの発する言葉や行動の根源です。悪魔はあなたの思考の中に牙城を築こうと狙っています。パウロは霊的な闘いの中心は、思考の中での闘いであることを知っていました。私たち各々が、私たち自身の思考の中にある個人的な霊的な闘いに関与しているという感覚があるのです。これは、間違った考えの誘惑に対抗しすべての考えを捕えてキリストに従わせるようにするという日々の闘いなのです(5)。

パウロはここで、個人的な思考の闘いを暗示していますが、彼は主に少し違ったことについて考えています。文化的な闘いがそこにあったのです。思想、哲学、世界観の闘いです。パウロは対抗してくる思想、哲学、世界観を相手に闘うことに積極的に、「すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ」従事していました。

パウロは記しました。「この世は節操がない。世の中は食うか食われるかです!この世はフェアな闘いがありません。しかし、私たちは、私たちの闘いをそのように闘ったりしませんし、そのように生きません。そうしなかったし、これからもしません。私たちの商売道具は市場調査や操作のためではなく、腐った文化を根こそぎ粉砕するためのものです。」

「私たちは私たちの強力な神の道具を用いて歪んだ哲学を粉々にし、神の真理に対抗して築かれた障壁を打倒し、損なわれた思考や感情や傾向をキリストによって形作られたいのちの構造へと修復してするために用います。私たちの道具は、あらゆる妨害をこの地から一掃し、成熟した従順の生活を建て上げるために手元に準備されたのです(3-6,MSG訳)」

パウロが用いた「武器」は「神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるもの(4)」なのです。彼の力はキリストの属することからもたらされました(7)。そして彼は主ご自身によって権威が与えられたのです(8)。

人々の中にはパウロが言うことを「実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。(10)」と言っていたということに私は慰められます。しかしながら、彼は「このような比較や格付けや競争によって、彼らは全く見るべきポイントを見失っている(11,MSG訳)」と指摘するのです。比較は心を蝕みます。それはあなたを高慢にさせたり、あなたを失望させたりするのです。

あなた自身を他のクリスチャンと比較してはなりません。あなたの賜物は彼らの賜物と共にあり、あなたの「成功」は彼らの「成功」と共にあるのです。私たちは皆、同じ側にあります。私たちは互いに助け合い、愛し合い、励まし合って、共に霊的闘いを闘うべきです。

感謝なことに、あなたには印象的な容姿は必要なく、福音を語るのに卓越した対人能力を必要はありません。パウロの力は「キリストの福音(14)」からもたらされました。パウロの願いは、まだ聞いたことのない人々に「福音を宣べ伝える(16)」ことでした。

究極的には、それは「キリストのメッセージ(14,MSG訳)」です。それはあなたの文化を変えます。それはこの世で最も力強いメッセージです。それは人生を変えます。それは文化を変えます。それは世界を変えます。

あなたがイエスについて友達に語る時はいつも、たとえば、彼らを教会に誘ったり、アルファに招待したりする時、あなたは福音という強力な武器をもって霊的闘いに従事しているのです(ローマ1:16参照)。

祈り:主よ。すべての考えをあなたに従わせることが出来ますように。要塞を打ち砕くため福音の力強い武器を用いる勇気を与えてください。


一致という武器

イザヤ17:1-19:25

毎年、私たちはリーダーシップ・カンファレンスに世界中から何千というクリスチャンのリーダーたちを迎えることを特権に思います。いくつもの国々からのリーダーたちが共に集って礼拝をささげ、目的を一つにすることはとても力強いものです。預言者イザヤはこのような一致の光景を予見していたのです。

イザヤは「救いの神を忘れて(17:10)」いる人々に対抗して預言を続けます。イザヤはダマスコ、クシュ、エジプトに対する神の裁きを宣告します。

しかしながら、今日の私たちの箇所は希望の言葉で締めくくられています。「その日、エジプトの国の真ん中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、…それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。…彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。(19:19-22)」

イザヤは続けて、エジプト人とアッシリア人(現代のイラク人)が共に礼拝することを告げます。「もはやライバルではなく、彼らはともに礼拝する。エジプト人とアッシリア人が!(23,MSG訳)」

異邦人たちの回心をイザヤは予見したように思えます。主はイスラエルの民のほかに、その他の人々が「主に立ち返る」時のことを見ています(22)。主は彼らの祈りを聴き、彼らを癒されます。異なる国の人々が主をともに礼拝するようになるのです(23)。この一致は大いなる祝福をもたらします。

エジプトから、イラクから、そしてイスラエルから、主の民が共に礼拝するためにやって来る時を予見しているのです。一緒に礼拝するためにこれらの国々からのクリスチャンが共に集う時、一つの方法としてこの預言が成就しているのを確かに私たちは見るのです。

しかしながら、私たちはまた、この預言が完全に成就する日のことのために祈り、期待して待ち望むことができます。「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから」の群衆が神の御座の前にともに集って礼拝するようになることを(黙示7:9)。

祈り:主よ。霊的な闘いのためにあなたが私たちに与えてくださった強力な武器のゆえに感謝します。私たちが一致し、祈り、福音を宣べ伝える時、私たちが自分たちの生活に、そして私たちの社会にイエスの聖名によるあなたの勝利を見ることが出来ますように。アーメン。

H.K

References

Dr Martyn Lloyd-Jones, The Christian Warfare: An Exposition of Ephesians 6:10–13 (Baker Books, 1998) p.20.

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