Tokyo Chapel

2019年9月29日

第272日

価値ある人生

タイム誌にナイジェル・ホークスが書きました。「将来、科学者は寿命を延ばすことが出来るかもしれない。けれどそれは価値ある人生なのだろうか?」

あるオックスフォード大学の教授は寿命が延びて多くの人々が115歳まで生きるようになる日はどうやらそう遠くないと主張しています。しかし、ホークスは正しく尋ねます。「それは価値ある人生なのか?」と。生きている期間が増加することは、価値ある人生にとって、わずかばかりの価値しかないのです。

使徒パウロは人の寿命を主だった主題ととらえていませんでした。「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。(ピリピ1:21)。」実に、彼は死をそれまで以上に価値あることと見なしました。しかし彼にとって、イエスが彼の人生を大いに価値ある人生にしてくれたのです。


神との関係に生きる

箴言23:29-24:4

あなたはイエス・キリストを通しての神との関係のために創造されました。その関係を持たずには、私たちはいつも内面の深みに空虚さを覚えるのです。聖アウグスチヌスは書きました。「あなた[神]は私たちをあなた自身のためにお創りになられました。そして、私たちの心は、あなたの内に休むまで、休息を得ることはありません。」

人々はこの空虚感を別のもので埋めようとします。ある人にとっては、それはアルコールです。ワインを飲む事柄自体が間違っているとは言えませんが、それは私たちの心の中にある深い内面的な渇きを満足させるものではありません。

「ぶどう酒が赤く、杯の中で輝き、なめらかにこぼれる(23:31)」ことは魅力的に見えます。しかしながら、もし私たちがこの道に引き寄せられ、過度に耽ると「あとでは、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す(32)」のです。箴言の作者は飲酒の結果を生々しく描いています。二日酔い、頭が割れるような頭痛、胃のむかつき、二重に見えること、ろれつが回らないこと(34-35,MSG訳)。それは悲嘆、喧嘩、不平、必要のない打撲傷、目の周りのあざをもたらすのです(29)。

それとは対照的に、作者は知恵と知識の祝福について語ります。知性、戦略的な計画、多くの良い助言(24:3-4,MSG訳)。どこに私たちはそのような知恵と知識を見つけることが出来るのでしょうか?使徒パウロはキリストを知ることについて「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。(コロサイ2:2-3)」と語っているのです。

祈り:主よ。私は今日、あなたのもとに来ました。そして知恵と知識の流れから飲みます。私の心から生ける水の川が流れるようになるために。


他の人々の人生を変える

ピリピ1:1-26

あなたは自分の周囲が変わっていたらなあと願いますか?

もし、あなたが大きな試練や困難に直面するなら、あなたの葛藤の真っただ中でもあなたは役立つことが出来るという事実に励まされてください。神はあなたが思いもよらなかった方法であなたを通して働くことがお出来になります。

パウロがこの手紙を書いた時、彼はローマで軟禁状態にありました。約1メートルほどの鎖でローマの兵士とつながれていたのです。彼は非常に劣悪な環境で収監されていました。審理を待ち、処罰されるかもしれませんでした。しかし、彼はキリストにある自分の人生の「働きが豊かな実を結ぶことになる(22)」と信じていました。

パウロが「私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。(7)」という時、彼はピリピの人々への彼の深い愛を表しています。彼はすでに彼らのことを「福音を広めることにあずかって来た(5)」同志であるとを言いました。そして今、彼らとともにある神の恵みを分かち合うことについて語るのです(7)。イエス・キリストのためにともに労する者の間にはそのような近しい結束があるのです。一人の人が他の人の回心に責任を負う時、さらに近しい結びつきがあります。パウロは、自分が「キリスト・イエスの愛の心をもって」どんなに彼らすべてを慕っているかを語ります(8)。

比類なき機会と選択の時代において、多くの人々が、行方を見失って、間違ったステップを歩むのではというはなはだしい心配にさいなまれています。しかし、あなたは、神があなたのうちに良い働きを始め、それを完了してくださるゆえに、確信を持つことが出来ます(6)。神はご自身が始めたことは必ず完成なさるお方です。

私たちは誰もそれを成しえません。あなたの働きは前進中なのです。パウロのピリピの人々への祈りは彼らがさらに次のような豊かな実を結ぶことでした。

  1. 愛のうちに成長する
    他の人々のため、またあなた自身のために、あなたの「愛が豊かになり、多くを愛するだけでなく、良く愛するようになる(9,MSG訳)。」ことを祈りましょう。
  2. 知識のうちに成長する
    愛のうちに成長するだけでなく、「あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように(9-10)」と祈りましょう。愛は感情的な体験以上のものです。「誠実で、知的であり、感傷に浸ってしゃべりまくることではありません。(10,MSG訳)」
  3. きよさのうちに成長する
    パウロは「純真で非難されるところ(10)」がないように祈りました。「純真」という言葉は私たちの動機に混じりけがないという内面的な純粋さが描かれています。「非難されるところがない」という意味は攻撃を与えるものがないことを意味し、生活の外面的なあり方について言及しています。「イエス・キリストがすべての人にとって魅力的だと感じさせるように(11,MSG訳)」、パウロのように、あなたが内面も外面もきよい者となるように祈りましょう。デートリッヒ・ボンヘッファーは言いました。「クリスチャンとしてのあなたの生活は信じていない人々に自分が神を信じていないことに疑問を抱かせるものであるべきです。」

パウロは自分の鎖を耐えることができました。なぜなら、その鎖は彼に福音を語る機会を与え、他の人々に「恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るように(14)」励ます機会をもたらしたからです。

他の人々が福音を語る動機について気に掛けることはありません。「人々の中にはねたみや争いをもって(15)」また「党派心をもって、キリストを宣べ伝えて(17)」います。「一方の人たちは愛をもってキリストを伝え(16)」ています。しかしながら、キリストが宣べ伝えられている限り、パウロはそれを大したことだと思っていません(17-18)。福音を宣べ伝えている他のクリスチャンを批判してはなりません。たとえあなたが彼らのスタイルが好きでなく、彼らの動機に疑問を覚えたとしてもです。

パウロの全生涯はキリストが中心でした。パウロは「生きるにも死ぬにも(20)」彼のからだによってキリストが崇められることを願いました。彼は自分自身が「二つのものの間に板ばさみとなって(23)」いると感じていました。いろいろな意味で、彼は「世を去ってキリストとともにいること(23)」を願いました。

気高い主教座聖堂名誉参事会員ジョン・コリンズは1980年から1985年までホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会の主管牧師でした。彼の妻ディアナが亡くなった2013年7月16日、ジョンはニッキーに手紙を書きました。「私たちが共に過ごした―それは日々よりよくなっていた!― 58年の栄えある年月を私は感謝しています。突然の出来事は恐ろしく、死は敵であっても、…聖パウロのように、彼女は『キリストとともにいることのほうが、はるかにまさっている』と長年切望してきました。私は深く感謝します。…彼女は恐れることがありませんでした。なぜなら、彼女は、これからどこに行くかを知っており、彼女のキリストの約束への信仰は決して揺るぐことがなかったからです。」

パウロはキリストとともにいることを切望しましたが、一方で、また彼の「働きが豊かな実を結ぶことになる(22)」ことを知っていたので、生き続けることも願いました。パウロの願いはピリピの人々が自分たちの信仰で前進し、彼らのイエス・キリストにある喜びが溢れるのを見ることだったのです。

祈り:主よ。私が目いっぱい人生を生き抜くことができますように。あらゆる機会を用いてイエスのメッセージを拡散することができますように。


あなたへの神の愛を経験する

ゼパニア1:1-3:20

あなたはどれほど大きくまた深く神があなたを愛しておられるか知っていますか?この人生で何が起ころうとも神はあなたを愛しておられます。神はあなたを愛しているだけではなく、神はあなたを喜んでおられます。実際、神は喜びをもってあなたを高らかに歌い上げます(3:17)。

ゼパニヤ書のテーマは「主の大いなる日(1:14)」です。これは神の民が予期していた日のことでした。良く通っている考えでは、これはイスラエルが祝福されるのを彼らが期待した日です。ゼパニヤのメッセージは単に祝福されるであろう日というより、それは裁きの日です。

ゼパニヤは悔い改めを勧めます。罪は裁きを導きます。しかし、神は私たちを愛し、あわれみ深くあること、赦すことを切望しています。「主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。主を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、主の怒りの日にかくまわれるかもしれない。(2:3)」

ゼパニヤは残りの者のことを予知しています。彼らは「へりくだった、寄るべのない民」で「ただ主の御名に身を避け」生き残る人々です(3:12)。ゼパニヤは神が再びご自身の民を祝福するのを予知しています。「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。(17)」

イエスが神の国を宣べ伝えた時、主が歴史に介入される日を告げ知らせました。ある日、イエスが再臨為さる時、実にその日は裁きと罰の日となります。しかしながら、主の日のある一面はキリストの内に今も経験することが出来ます。あなたは神があなたを救っておられること、喜んでおられること、ご自身の愛をもって安らぎを与え、高らかに歌って喜んでおられることを知ることが出来ます。なぜなら、キリストにあって「主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた(15)」からです。

キリストにある者にとって、ゼパニヤ書にある主の約束は、あなたのうちに成就しているのです。ラニエロ・カンタラメッサ神父は書きました。「神が聖書の中で為し、言われたすべてのことは愛です。神の怒りはもはやなく、愛があるのです。神は愛です!」そしてそれが人生を価値あるものにするのです。

祈り:主よ。あなたが私を大いに喜んでおられること、愛によって安らぎを与え、歌をもって喜んでおられることを感謝します。あなたの愛がこの人生を価値あるものにしてくださることを感謝します。

H.K

References

Raniero Cantalamessa, Life in Christ (Liturgical Press, 2002) p.7