Tokyo Chapel

2018年1月25日

第25日

神は良いことのために

1947年、ひとりの若いニューヨーカー、グレン・チャンバースは長年の夢がかない、エクアドルでの神の働きに向かいました 。空港で出発を待っている間に、お母さんへの伝言を書こうとしましたが、あいにく、カードを買う時間がありませんでし た。彼は空港の床に落ちていた紙切れを拾い上げました。紙切れには広告のWhy?(なぜ?)という文字が紙面いっぱいに印刷 されていました。彼はその文字の周りにメモを走り書きし、それを郵便ポストに投函しました。その夜、彼が搭乗した飛行機は高度14,000フィート、コロンビアのエル・タブラソの山頂に墜落したのです。彼の死後、彼の母が出発直前に投函された手紙を受け取った時、疑問が込み上げてきました…「Why?(なぜ?)」と。

なぜ」神はそのような苦難をお許しになるのでしょうか?私たちは苦難に立ち向かわねばなりません。それは私たちを踏みにじり、当惑させます。それはキリスト教信仰への最大の挑戦の一つです。苦難は誰に起こるかは無作為のようで、不公平に思えます。

神学者や哲学者は何世紀にもわたって理不尽な苦難の謎に取り組んできました。そして誰も単純で完全な解決をもたらした者はいないのです。今日と明日の箇所には、私たちに部分的な洞察を与える、答えの一部があります。

今日の箇所に、私たちは、苦難そのものは決して良いものではないが神はそれを多くの方法のうちに良いことのために用いることができるということを見ることができます。あなたの苦難はまた神の苦難です。神はあなたの傍らにあって苦難を受けておられるのです。神は必ずしもあなたの人生から苦難を単純に取り除けるわけではありませんが、神は起こってしまった悪い事柄を神の良い目的へと変化をもたらすことができるのです。


神はあなたを変えるために試練を用いられる。

詩篇15:1-5

あなたの生活の中で、環境によって揺さぶられたと感じたことがありましたか?行先に迷い、あきらめたいという誘惑にかかったことはありますか?

今日の詩篇は、たとえ苦難のときでさえも「決してゆるがされない(5)」ことを思い起こさせます。ダビデは神があなたを導くときのガイドラインを書き記しました。それは困難を乗り越えさせてくれます。

  1. 正しい行動
    「正しく歩み、義を行い…、(詩篇15:2a)」
  2. 真実を語る
    「…心の中の真実を語る人。(2b)」
  3. ゴシップを言わない
    「その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行わず…、(3a)」
  4. 隣人を傷つけない
    「隣人への非難を口にしない。(3b)」
  5. 約束を守る
    「損になっても、立てた誓いは変えない。(4b)」これは、あなたがすると決めたことはどんなことでも、それがあなたに適さなくなってもやり遂げるという意味です。(携帯メールでどんなときでも、申し合わせをキャンセルできるとき、私たちの世代において、これはチャレンジです。)
  6. 気前よく
    「金を貸しても利息を取らず、(5a)」
  7. 正直に生きる
    「罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。(5b)」

私たちの人格がもっともっとこの記述のように形作られていくとき、困難な環境や苦難は、私たちを不安定にさせるようなインパクトを持ちません。詩篇の作者が「このように行う人は、決してゆるがされ(5c)」ることなく、「あなた(主)の聖なる山に住む(1a)」ようになるのです。

試練は私たちの人格を変革します。新しくされた品性は、私たちを希望へと導くのです(ローマ5:3-5)。希望と愛は、あなた
が苦難と不確かさに直面する中で、あなたが知ることのできる最も偉大な安定させてくれる力です。

祈り:主よ。あなたが私をありのままに受け入れてくださったことを感謝します。でも、あなたはそのままにはなさいません。どうぞ、きよい生活を生きることができるように助けてください。試練や困難を私の人格形成のためと見ることができますように。


神はあなたを救うために試練をもちいられる

マタイ17:14-18:9

イエスは苦難を取り扱うために来られました(17:22-23)。そして、究極的に、すべての苦難を十字架と復活を通して取り除けられました。

十字架の上の神の苦難は、世界の中心にありました。「『人の子は、神と関係を持ちたくない人々にまさに売り渡されようとしています。彼らは彼を殺害しようとしています。そして、三日後によみがえるでしょう。』弟子たちは、ひどいことだと感じました。(22-23,MSG訳)」人間にとって悪を意図したものが、神にとって、多くの命を救うという善を意図したものであることを理解できなかったのです。イエスは「戦い(war)に勝つために、闘い(battle)に負けた」ということができます。

悪魔が悪に向けたことを、神は良いことに向けたのです。神はかつてなされたことのないような最大の悪(神の子を殺すこと)を最大の善(人類の救い)のために用いることがお出来になったのです。

てんかん持ちの少年のいやし(18)は、もはや病気や苦難がない世界が来ることの前味です。イエスの死と復活は、誰も「燃えるゲヘナに投げ入れられる(18:9)」必要がないことを意味します。

あなたはどのように応答すべきでしょうか?

  1. 信仰を持つ
    この世界には多くの苦難があります。この箇所で、病のため子が患ったひどい苦難(17:15,MSG訳)と結果として親が被った苦
    難を私たちは見ます。この例の場合、弟子たちがいやすことができなかったことは、信仰がなかったことが原因でした。(これがどんな場合でも原因ということではありません。ずば抜けた信仰をもって祈ったけれども明らかな結果が見られないというケースもあります。)イエスは、「もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。(20)」と言われました。
  2. 不要な対立をしない
    元来、イエスは神ご自身の子なのですから、宮(神の家)のための納入金を支払うことは免除されて当然なのですが、イエスは奇跡によってご自身とペテロの二人分の支払いを賄われました。その時、イエスは「しかし、彼らにつまずきを与えないために(27)」と説明なさいました。イエスは必要な対立はともかく、不必要な対立を起こそうとはなさらなかったのです。
  3. 謙遜になる
    「だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。(18:4)」それは業績によるのではありません。
  4. 過激であれ
    イエスは、私たちの生活から罪を断ち切ることにおいて、容赦のない者であることへと私たちを召しておられます。

祈り:主よ。感謝します。あなたは悪を善に変えてしまう出来事を世界の中心に据えてくださいました。私はあなたに信頼を置きます。あなたに拠り頼みます。


神はご自身のよい目的のために試練をもちいられる

創世記49:1-50:26

他の人々が、あるいは悪魔がどんなにあなたに反対する計画を持っていたとしても、神はご自身の良い目的のために用いることがおできになります。それは、あなた自身にとって良いことのため、そしてあなたの生涯と働きを通して他の人にとって恩恵となるようにです。

ヤコブは晩年、子供たちを祝福しました。ユダには勝利と繁栄と指導力のために祈りました。やがてユダ族は南王国として最も強大な力を持つようになり、ユダヤ全体を統治したダビデはその家系から輩出されました。

私たちはここにイエスの予形を見ます。「王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない(49:10)。」後日、私たちは「ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。(民数記24:17)」というみことばを読むことになります。ヤコブはユダに獅子のイメージを当てましたが(49:9)、イエスは「ユダ族から出た獅子、ダビデの根(黙示録5:5)」と描かれています。

ヤコブはさらにヨセフを「実を結ぶ若枝(創世記49:22)」と祝福しました。ヨセフは困難と攻撃を受けてきました。「弓を射る者は彼を激しく攻め、彼を射て、悩ました。(23)」しかし、神はそれらすべてを良いことのために用いました。ヨセフは成功を収めましたが、それは神の手が彼の上にあり、悪に代えて祝福にしてくださったからです(50:20)。

ヤコブが死んだとき、ヨセフの兄たちは、彼らがヨセフにしたすべての悪に対してヨセフが復讐しないかと心配しました(15)。しかしヨセフは彼らにこう答えました。「『恐れることはありません。どうして、私が神の代わりでしょうか。あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。』こうして彼は彼らを慰め、優しく語りかけた。(19-21)」

R.T.ケンドルはこう記しています。「ヨセフにとって、そのとき自分自身のために即座に正当性を主張することができたとしても、それは神の国のためにはならなかっただろう。私たちが理不尽な取り扱いを受けるとき、私たちは、被っている苦難は神の偉大な国のために深く大きな意味をもっているのだということを認識しなければならない。苦難が続くことには目に見えない理由があるのだ。もしあなたが、尊厳あるひどい取り扱いを受けるなら、神があなたの人生に何をなさろうとしておられるのか誰が知ることができるだろうか?」

あなたに起こるすべてのことに神の手を見よ。良いことにも悪いことにも。信仰の目をもってすべてを見よ。ちょうど十字架のイエスの死を通して神がなされたように、すべてを、悪に代えて善をもたらす神の計画の一部として理解せよ。

新約聖書の約束は、神はあなたに起こるすべてのことを、あなたにとって良いことのために用いることができるということです。あなたが試練や、誘惑、葛藤、困難に遭っているなら、新約聖書はあなたにこう約束しています。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」

祈り:主よ。いろいろな場面で私に邪魔してきた人々を皆赦すことができますように。私に起こったあらゆる事柄の中にあなたの御手を見させてください。それが良いことでも悪いことでも。あなたを愛する者たちにはすべてのことが働いてすべてのことが良き事となりますことを感謝します。アーメン。

H.K

References

[For a wider discussion about suffering, see Nicky Gumbel’s booklet: Why Does God Allow Suffering?

It is also available in chapter 1 of Nicky Gumbel’s book Searching Issues

R. T. Kendall, God Meant it for Good, (Paternoster Press, 2003) p.62