2019年5月4日
第124日
あなたの世界を変革する3つの方法
マーチン・ルーサー・キング・Jr(1929-1968)は社会を変革するために生き、そして死にました。1964年、彼は最年少でノーベル平和賞を受賞した人になりました。社会隔離と差別を終わらせる働きのゆえに。
彼は力強く、記憶に残る演説を残しました。ある日、ひとつの国の中で彼の子どもたちが「肌の色によって判断されるのではなく、彼らの人格の内容によって判断される」日が来るという夢を語ったのです。
彼は、すべての人が手と手をつないで「ついに自由になった!全能の神に感謝します。私たちはついに自由になりました!」と言う世界に変革されることを夢見たのです。
マーリン・ルーサー・キング・Jrはイエスに従いました。彼の課題は神の国でした。神の国は個人の回心についてだけではありません。もちろんそれは重要です。しかし、社会の変革もまた大事なのです。
1.あなたの国の祝福となる
箴言11:9-18
あなたの人生はあなたの家族や地域社会など身の周りだけでなく、町や国全体に対してさえ影響を与えることが出来るのです。
箴言の作者は、どのようにして、私たちが個人として自分自身だけでなく、良きにつけ悪しきにつけ、町や国に影響を与え得るのかについて記しています。
「町は、正しい者が栄えると、こおどりし(10)」そして「直ぐな人の祝福によって、町は高くあげられ(11)」ます。その一方、「悪者の口によって、滅ぼされ(11)」そして「指導がないことによって民は倒れ(14)」ます。
では、あなたはどう生きるべきでしょうか?「隣人をさげすむことをせず、むしろ語ることを抑制すべきです(12)。噂話を流さず、秘密を守って信用を得ることです(13)。
私たちは皆、知恵を必要とします。私たちの周りの神の人たちは良いアドバイスを与えます。「指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る(14)。」もし、あなたに知恵があるなら、カウンセラーによく相談しましょう。もしそのようなカウンセラーがいないなら、神にそのようなアドバイザーを与えてくださるように求めましょう。
優しく(16)と真実(17)でありなさい。もし、あなたがそのように生きるなら、あなたの周りのすべての世界はあなたの影響を受けるのです。
祈り:主よ。私の町に、私の国に良い影響を与えることができますように。そして、私の周りのすべての世界が変革するのを見ることができますように。
2.あらゆる分け隔てを打ち壊す
ヨハネ4:1-26
すべての教会は受容的な教会であるべきです。なぜなら神の愛は過激なほど受容的だからです。教会はその愛によって有名になるべきです。私たちは人々を性別、人種、生活スタイルに拠らずに歓迎すべきです。イエスは私たちの社会のあらゆる障壁を打ち壊しました。
イエスの名声は増し加わっていきました。「パリサイ人たちは、主とヨハネが授けた洗礼者の数を数え続けました…彼らはイエスの方がスコアが高いと軍配を挙げ、主とヨハネをライバルだと見なしました(1-2,MSG訳)。
イエスはライバル意識、名声、競争には何の関心もありませんでした。「それを主が知られたとき、…主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。(1-3)」イエスは一人のサマリヤ人を個人的に助けることにとても関心があったのです。イエスは彼女に対する働きに多くの時間を割きました。マザー・テレサは言いました。「数を気にすることはありません。いつも一人の人を助けなさい。いつでもあなたの一番身近な人から始めなさい。」
この出会いにおいて、社会が変革する一つの方法が分け隔てを打ち壊すことによるのだとイエスは見せてくれたのです。
- 性別間の争いを終わらせる
イエスは公衆の面前で女と長話をしました。それは当時の風習を無視した行動でした。厳格なラビたちは、公で女性と挨拶することさえラビに許しませんでした。ましてや女性との長話など言語道断でした。弟子たちが帰って来た時、彼らは「イエスが女の人と話しておられるのを不思議に思った(27)」のも当然です。
ジョン・ストットがこう記しています。「派手に物事を荒立てることなく、イエスは堕落ののろいを終わらせました。イエスは部分的に損なわれていた彼女の気高さを再び取り戻し、ご自身の新しい王国のためのに性別の平等という元来創造における祝福を立ち直らせたのです。」
性差によって対立すべきではありません。教皇ベネディクト16世の言葉を引用すれば、「キリストにあって、男女の間にある醜い敵愾心、敵対心、暴力は打ち負かすことができるし、すでに打ち負かされたのである。」 - 人種差別、差別や隔離政策を終わらせる
ユダヤ人とサマリヤ人との分離は長きにさかのぼります。サマリヤ人は嫌われており、力のない少数者でした。彼らは価値の低い者たちとされていたのです。ヨハネは「その頃、ユダヤ人はサマリヤ人と死んでも話などしたくないと思っていた。(9,MSG訳)」と説明しています。
イエスは真理において妥協してはいません。「救いはユダヤ人から出る(22)」と言いましたが、イエスはこのサマリヤの女性に届いたのです。その行動は人種的な差別や隔離政策ののろいを打ち砕くものでした。社会の変革は人種や民族間の壁を打ち壊すことを求めます。 - 社会分離と社会格差の闘いを終わらせる
彼女に水を求めることにおいて、イエスは私たちに傷ついた人にどのように近づけばよいのかを見せています。誰かを謙遜ぶって教えてやろうとするのではなく、物乞いのようにへりくだることです。
この女性は社会から除け者にされていたでしょう。彼女の遍歴から、同じサマリヤ人からも拒絶され、軽蔑されていたのです。ですから、彼女は日中、人目を忍んで水を汲みに来たのです。
イエスは単にサマリヤ人の女性に話しかけたのではなく、イエスは「罪人」と話したのです。この女性は不道徳な生活をしてきました。「あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。(18) 」彼女は幾度も離婚を繰り返し、今、ともに棲んでいる男とは結婚していませんでした。イエスは真理に妥協するお方ではありません。しかし、同時にイエスはこのサマリヤの女性を彼女の生活スタイルや社会的な立場のゆえに、裁き、非難し、拒絶するお方でもありません。(マルコ2:17、ヨハネ8:10-11参照)
宗教的な人々は「罪人」と接触しようとはしませんでした。イエスがこの性的に乱れた女性と関わりを持ったことによって、イエスはその他の障壁をも打ち壊したのです。イエスの愛は、社会の中にあるすべての、階級、生活スタイル、社会的立場の障壁を超えて届いていくのです。
究極的には、社会に変革をもたらしてくださるのはただ聖霊だけです。性差、人種、社会的立場の分け隔てを打ち壊してくださるのは聖霊です。聖霊を内に宿らせている人々は、性差、人種、社会平等の戦いの最前線にあるべきです。
この女性とのイエスの会話はまさに聖霊についてです。彼女は講義を必要としていませんでした。ただ生ける水を必要としていたのです。イエスは彼女に言いました。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(13-14)」
イエスは、受容、人間関係、意味などについての私たちの渇きをいやすために来られました。私たちが受けたいのちは私たちが与えるいのちです。私たちは他者のためのいのちの源となるのです。
社会の変革は、私たちの人生が聖霊によって変革されることから始まります。それはイエスを信じる者たちすべてにイエスが与えてくださったいのちの水を飲むことから始まるのです。聖霊があなたの内に住まわれるために来られる時、このお方はあなたの生涯を通して、そしてとこしえまで湧き上がる永遠の泉となってくださいます。
あなたは聖霊によって、そしてあなたと神との人格的な交わりによって変革されるのです。ここで用いられている「礼拝」という言葉は「ひざまづき、親密な愛の関係の内に近づく」ことを表します。私たちは「霊とまことによって(24)」礼拝しなければならないのです。
祈り:主よ。私はあなたのもとに参ります。そしてあなたのいのちの水を飲みます。この水が私の心から溢れ流れ、私のすべての関係を変革しますように。
3.良い関係のために神に叫び求める
士師1:1-2:5
私たちは無秩序な混沌とした世界に生きています。いろいろな点で、士師記の中に描かれている世界とあまり違いがありません。
士師記を読み進むと極めて衝撃を受けます。私たちはそこに、暴力、レイプ、殺戮、残虐行為、欺瞞、蛮行が入り混じっていることを見出します。人々が約束の地に定住するようになった時、彼らがどのようにして偶像礼拝に堕していったのかを私たちは見ます。神の警告にもかかわらず、彼らは周囲の民と宗教的、民族的な混交を行ってしまいます(2:1-2)。その結果「彼らはあなたがたの敵(とげ,NIV訳)となり、…わなと」なったのです(3)。
神は悪い物事について、あなたに至って断固とした者になるように召しておられます。神は私たちが妥協的になることを願っておられません。神はあなたに単にあなたが間違っていると分かっているあなたの人生の領域を断つだけではなく、完全に断固としてそれらを切り捨ててしまうことを願っておられるのです。
民は、不従順、敵からの圧迫、神に助けを求めて叫び求めるというサイクルを繰り返します。
神は彼らに士師(指導者)を与えることで答えられます。神は指導者としてむしろありそうもないような様々な人々を用いました。そのことは私たち皆にとって大きな励ましです。聖霊によって力づけられたこれらの指導者たちは彼らを解放し、彼らの世界を変革したのです。
祈り:主よ。私たちの町に、そして私たちの文化に良き指導者を起こしてください。彼らが私たちの世界を変革し、イエスの名に栄光を帰することができますように。アーメン。
References
Cardinal Joseph Ratzinger (Pope Benedict XVI), ‘Letter to the Bishops of the Catholic Church on the Collaboration of Men and Women in the Church and in the World’ (2004) from The Offices of the Congregation for the Doctrine of the Faith, http://www.vatican.va/roman_curia/congregations/cfaith/documents/rc_con_cfaith_doc_20040731_collaboration_en.html.
John Stott, Issues Facing Christians Today, Fourth edition (Zondervan, 2006) p.331.
Eugene Peterson, The Message, (NavPress, 2005) p.292