Tokyo Chapel

2019年9月17日

第260日

導くための最高の方法

主のしもべとは誰のことですか。」これがエチオピアの財務長官が伝道者ピリポに質問したことでした。「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。(使徒8:34)」

主のしもべ」という称号は、偉大な尊厳を持った、アブラハム、モーセ、ダビデのような指導者に与えられるものでした。しかし、4つの「しもべの歌」(イザヤ42:1-4、49:1-7、50:4-9、52:13-53:12)は「しもべの役割」の全く別な概念に焦点が当てられています。

この「しもべ」の役割はアンデレ・クロスの形状を遣って説明することが出来ます。(ペテロの兄弟であった聖アンデレは、時々ローマで処刑に用いられていた斜めに横断したX型の十字架につけられて処刑されたと信じられています。そこから、アンデレ・クロスと呼ばれるようになり、それはスコットランドの国旗にも用いられています。)

そもそも、神はすべての人類がご自身のしもべとなるべきだと意図しておられました。それから堕落の後、神はご自身に仕えさせるためにイスラエルの国全体を選びました。しかし、神が選んだ種族でさえ、ご自身に対して忠実ではありませんでした。焦点はさらに狭くなり、わずかな「残りの者」に絞られたのです。究極的には完全に忠実であるただ一人の人(このX型の中央に位置するお方)になりました。それがイエスです。

イエスはイスラエルが(そして実に人類が)どうあるべきかを啓示しました。イエスはイスラエルに送られたイスラエル人だったのです。イエスはご自身の国とすっかり同一化し、しかしそれとははっきり異なるままにいました。イザヤ書のしもべの箇所のすべての箇所に用いられている描写はどの王やどの預言者にも当てはまりません。ただ、イエスだけが完全に一致します。

イスラエルは失敗しましたが、イエスは成功しました。さらに、教会が、キリストの勝利と聖霊の力を通して成功でき、できるであろうことは神の計画です。ですから、アンデレ・クロスは、神のしもべとなったイエス・キリストの教会のメンバーへと再び広がっていくのです。そして教会はすべての人類がもともとの創造の目的へと人類を呼び戻す使命を与えられているのです。


他者に仕えるためにあなたのすべてのリーダーシップの技量を用いる

箴言22:28-23:9

箴言の作者は私たちの人生を食物や富のような偽物の神(23:1-3)に仕えることに費やすことに反して警告しています。「富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く。(4-5)」鷲が描かれているアメリカのドル紙幣はこの真理を思い起こさせてくれます。

むしろ、私たちが何か良いことをするという行動をどんどん進めて行くことを神から励まされます。「じょうずな仕事をする人を見たことがあるか。その人は王の前には立つが、身分の卑しい人の前には立たない。(22:29)」私は何年も静かに目立たず謙遜に仕えていながら、素晴らしい技量をもって、自分の仕事を成し、神がその人たちを影響力のある立場に引き上げてくださったのをずっと見てきました。」

祈り:主よ。自分の栄光を求めることなく、偉大な技量をもってあなたに仕え、推し進めてきた人々の手本のゆえに感謝します。あなたがそのような人々を私たちみんなのための手本として、起こしてくださったことを感謝します。


イエスの仕えるリーダーシップの究極の行動のゆえに神に感謝する

ガラテヤ3:10-25

私たちイエスに従う者は周りにいる人たちとは違った方法で導かれるべきであるとイエスは言いました。私たちは周りに威張り散らすべきではありませんし、のぼせ上がるべきではありません。(マルコ10:42-45参照,MSG訳)むしろ、私たちは、主の仕えるリーダーシップをモデルにして従うべきです。イエスは言いました。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(45)」

この箇所で、パウロはイエスがそれをまさしくなさった方法について説明しています。十字架はイエスの仕えることの究極の表現です。

私たちは神の律法を守ることを皆しくじりました。モーセの律法に従えば、「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる(ガラテヤ3:10b,申命記27:26参照)」のです。律法によって義と認められるためには、人は律法全体を守らなければならないことになります(ガラテヤ3:12)。だれもこれを成した者はいません。それゆえ、私たちは皆のろいの下あったのです。

十字架の上で、イエスはこののろいをご自身の身に負われました。「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。(13a)」パウロは申命記が語っていることを「木にかけられる者はすべてのろわれたものである(13b,申命記21:23参照)」と指し示しました。十字架にかけられることは恥辱の極みなのです。「彼(イエス)はもろいとなられました。そして、同時にのろいを解決されたのです(13,MSG訳)。」イエスはあなたと私のためにご自身を災禍の中に意図して投じられたのです。

あなたのために十字架にかかり、のろいとなってくださった主のしもべであるイエスがを通して、あなたは義と認められたのです。「このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。(14)」

神の約束はそもそもアブラハムとその子孫に与えられました(16a)。「神は『子孫たちに』と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、『あなたの子孫に』と言っておられます。その方はキリストです。(16b)」とイエスが神の約束であることをパウロは説明するのです。

「では、律法(の目的,NIV訳)とは何でしょうか。(19)」律法には最低2つの中心的な目的がありました。第一に、私たちの罪を指摘することです(19)。それは問題をあらわにします。それは罪を規定します。それは罪にブレーキをかけることを意図していました。

第二に、律法はイエスを指し示します。それはキリストに私たちを導くことを意図しています(21-25)。「律法とはギリシャ人の教師のようです。…彼は子供たちを学校に付き添い、子どもたちを危険や気を散らすことから守り、本当に子どもたちが向かって出発する場所が確かに分かるようにさせるのです。(24,MSG訳)」律法は私たちがそのお方を通して信仰によって義と認められるキリストへと私たちを導くのです(24)。

イエス・キリスト、究極の主のしもべが、私たちののろいとなってくださったことを通して、律法ののろいを取り除けてくださったのです。イエスの死によって、神は多くの人々を義と認められました。あなたは、主のしもべとなるために、律法から自由になったのです。

祈り:主よ。この究極の仕える行動によって、あなたは私にかけられるべきのろいをその身に帯びてくださったことを感謝します。その結果、あなたへの信仰によって私は義と認められますことを感謝します。あなたが私を仕える者へと自由にしてくださったことを感謝します。


イエスのモデルに倣う:導くために仕える

イザヤ41:1-42:25

サンドハースト王立陸軍士官学校のモットーである「導くために仕える」は帽子やバッジやベルトに皆つけられています。このモットーはイエスをモデルとしています。「真のリーダーシップは仕えることを人々に還元することによってではなく、自らを無私の心で人々に仕えることにとって達成される。」とJ.オズワルド・サンダースは書いた通りです。

私たちが見てきたように、神は元来イスラエルをご自身のそばで仕えるしもべとしてお選びになりました。神は彼らに力と助けをお与えになると約束なさいました(41:8-9)。

しかしながら、イスラエルの民は失敗し、問題の一部となってしまいました。両目の視力が1.5であったとしても霊的には見えていないのです。「あなたは私のしもべ。なのに、何も見えていない!あなたは私の伝令。なのに何も聞いていない!わたしが確信をもって、神のしもべとしたまさにその民なのに、コウモリのようにかいもく目が見えていない。見て見ぬふりをして!(42:19,MSG訳)」

イザヤはもう一人の主のしもべを予見していました。

「わたしのしもべをよく見よ。
わたしは徹底して彼を支持している。
彼は私が選んだ一人。
そして、彼より喜ばしい者はいない。
わたしは彼をわたしの霊、わたしのいのちに浸した。
彼はその国の中のすべてのものを正す。
彼は声高な演説や派手な行列で
自分のすることに関心を集めようとはしないだろう。
彼は痛手を負った者や傷ついた者を払い除けたりはしない。
そして、小さき者、取るに足りない者を軽視することはない。
しかし、彼は確固として着実に物事を正していく。
彼はぐったりしたり、やめてしまったりしない。彼はとどまることがない。
彼の務めが完成するまでは。この地が正しくされるまでは。(1-4a,MSG訳)」

マタイは、預言者イザヤを通して語られたこれらの言葉をイエスが成就したことを指し示します。マタイはイザヤ書42章1-4節を直接的に引用しています(マタイ12:17-21)。

イエスにおいて、この預言は完璧に成就しました。同様に、イザヤ書にある他のしもべの箇所もイエスによって完璧に成就したのです(イザヤ49:1-7、50:4-9、52:13-53:12)。イエスこそ「国々を照らす灯台…目の見えない者の目を開き、地下牢から囚人を解き放ち、暗黒の牢獄を空にする。(42:6-7,MSG訳)」

イエスがあなたに為されたことの結果として、これらの素晴らしい約束は今あなたに適用されるのです。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。(41:10)」

神はあなたに知らない道を案内してくださり、あなたの前でやみを光に、でこぼこの地を平らにしてくださるのです(42:16)。

祈り:主イエスよ。あなただけがこの預言を完璧に成就してくださったお方であり、あなたの栄光を他の者に与えることを為さらないお方(8)であることを感謝します。あなたの謙遜と優しさのお手本を感謝します。あなたはまた、私たちを主のしもべとなるように召してくださったことを感謝します。あなたの例に倣わせてくださるようにお助けください。アーメン。

H.K

References

J. Oswald Sanders, Spiritual Leadership, (Moody Publishers, 2007)