2019年11月10日
第314日
あなたの魅力的な美しさ
ブレーズ・パスカルによれば「聖なる生活の静かな美しさは、神の力に次いで、この世界に最も力強い影響を与えるものです。」きよめは美しいものです。そしてそれは外見的な美しさとは関係がありません。それは内側から輝く美しさなのです。これは世界が変わる道なのです。それはあなたや私から始まります。アッシジの聖フランシスコは言いました。「あなた自身を聖別しなさい。そして、あなたが社会を聖別するのです。」
きよめは任意の追加項目ではありません。それはただ聖人や特別なクリスチャンのためのものではないのです。それは私たち皆がこの世界での生活に望むべきことがらです。きよめは激しさと同じではありません。激しさは御霊の実ではありません!自分自身を笑い飛ばす能力はきよめの鍵です。イエスを真剣に受け止めましょう。しかし、あなた自身をあまり深刻に受け止めてはなりません。ユーモアの感覚はきよさと謙遜とを結びつけます。
きよめは退屈ではありません。C.S.ルイスが書いた通りです。「きよめがつまらないと考える人はどれほど凡人でしょうか。本当のことを知ったなら、…それは抗しがたい魅力です。」
あなたはどこにきよめを見出しますか?
詩篇122:1-9
詩篇の作者にとって、彼の喜びの源は神殿で神を礼拝する機会でした。そこは人々が「主の御名に感謝するために(4b)」上っていく所です。これが神の民にとってエルサレムがそんなにも重要である理由です。そして詩篇の作者がその都の平和と安全について熱心になる理由なのです(6-9)。
エルサレムは聖なる都でした。それは私たちの今日の旧約聖書の箇所に「わたしの聖なる山(エゼキエル20:40)」として描かれています。神殿は神の家です。これが、それが聖であるということです。
今は、教会が神の家です。それは新しい聖なる場所で「隅の頭石であるキリスト・イエスと共に、すべての部分が一つとなるのです。私たちはそれが毎日毎日形作られるのを見ます。…聖なる神殿は神によって建てられました。私たちは皆その中に組み込まれたのです。神がまさしくおられる家である神殿です。(エペソ2:20-22,MSG訳)」
人々は新しい場所です。イエスを通して、あなたは新しい神の家です。あなたは聖霊の宮なのです。
祈り:主よ。私はあなたのきよい臨在を切望します。私は主の御名を賛美することを願います。神の家のあなたの臨在から来る平和と安全のために感謝します。
いつあなたはきよめられるのか?
ヘブル10:1-18
きよめは、イエスのいけにえとあなたの内に住むために来られた聖霊の賜物によって、あなたにとって今可能となります。ある意味で、あなたは「インスタントなきよめ」を経験できます。しかし、別の意味で、きよめは、この世の人生で完成することが出来ない非常に長い過程です。
アルファのスモールグループで頻繁に尋ねられる質問の一つは「イエスより以前に生きていた人々はいったいどうなるのですか?イエスが歴史の特定の時点に来られることは果たしてフェアではないのではないでしょうか?そして赦しは可能なのでしょうか?」この質問の背後には十字架の御業はそれ以後にのみ有効であり、イエス以前の人々には効果が及ばないという仮定があります。
しかしながら、ヘブル人の手紙の作者は「しかし、キリストは、罪のために一つの永遠の[すべての時のため,NIV訳]いけにえをささげて後、神の右の座に着き(12)」と言います。イエスのいけにえは「永遠(すべての時)」に効果が及ぶのです。十字架はイエス以前に生きた人々にも以後に生きた人々にも有効なのです。
「古い計画は、新しい計画の中にある良い事柄のヒントにすぎないのです。(1a,MSG訳)」言い換えると、それはやがて来るより優れたものの予表でしかないのです。
律法は完全には成しえません(1b)。いけにえがささげ続けられなければならなかったのは完全な人々がいなかった証明です(2)。人々は自分の罪に罪悪を感じ続けました(2c)。「雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。(4)」キリストの血だけがあなたの罪を取り除くことができるのです。イエスただ一人だけが完全な人生を生きたので、イエスただ一人が完全ないけにえとなりました。
イエスの自発的ないけにえは古い命令を終わらせ、新しい命令を確立したのです(5-9)。イエスのいけにえの結果は、「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。(10)」
これは律法とは全く対照的です。「キリストは罪のための一つのいけにえとなりました。それがすべてです!…それはまさに不完全な人々のために完成された完全なお方による完全ないけにえだったのです。(12-14,MSG訳)」
「座に着き」という表現はとても重要です。アロンに属する祭司たちは至聖所で休むために座ることは決してありませんでした(11)。彼らのいけにえは完全ではなかったのです。他方、イエスは「神の右の座に着き(12)」ました。それはイエスの御業が完成されたことを表しています。「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。(14)」
ここに、あなたがあなたの人生にどのようにきよめをもたらすのかを見ることが出来ます。
- 即時的なきよめ
過去に関する限り、罪の代償はすでに支払われました。「私たちは聖なるものとされているのです。…キリストは聖なるものとされる人々を、…永遠に全うされたのです。(10,14)」これが義認です。イエスのいけにえは完全な赦しと神との完全な関係を可能にしたのです。あなたは完全に赦されたのです。それゆえ、他の人々を赦しなさい。その中でも最も難しい、あなた自身を赦しなさい。罪のためのいけにえはもはやこれ以上必要ありません(18)。 - 過程的なきよめ
現在では、罪の力は打ち破られました。聖化は「聖なるものとされる(14)」過程です。少なくとも私の場合、それは非常に遅く、挑戦的な過程のように思えます。イエスは私たちを罪の力からの自由を与えておられます。きよめは、「このことをあかしされる」聖霊の働きです(15)。聖霊があなたの内に住むために来られることを通して、神の律法はあなたの心とあなたの思考となるでしょう(16)。 - 完全なきよめ
将来、罪の存在さえも取り除けられます。やがてある日、悪は完全に打ち負かされます。イエスは「その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。(13a)」そして私たちの「聖なるものとされる」過程が完成されるのです。(1ヨハネ3:2参照)
祈り:主よ。あなたの犠牲によって、あなたが神との聖なる関係を私にもたらしてくださったことを感謝します。あなたの聖霊を通して、私がきよめの過程にあることを、そして、ある日、完全なきよめに永遠に得ることが出来ますことを感謝します。
あなたはどのようにしてきよくなるのか?
エゼキエル19:1-20:44
きよめの鍵はあなたと神との関係に見出されます。神は言います。「わたしは聖である(20,40,MSG訳)」神とあなたの関係を通して、神はあなたにご自身のようになって欲しいと願っておられます。神は言います。「わたし、神は、彼らをきよくすることに従事している(12,MSG訳)」
これが「聖なる休みの日(20,MSG訳)」である安息日の理由です。それは人々が神と自分との関係を深めるための時間として与えられたのです。週の初めの日を神にささげることは、すべてのものの第一のものを神にささげることを象徴しています。
神の願いはいつもきよい民のためのものです。この箇所で、私たちは再び神がご自身の民のきよさの足らなさに落胆するのを見ます。神の民は神のきよいご性質を反映するように意図されていました。
今日の箇所はユダの最後の王の哀歌とともに始まります(19:1)。「雌獅子」はユダを指しています。そして最後の王は雌獅子の子獅子として描かれています。
描きは根を引き抜かれたぶどうの木に移ります(19:10-14)。しかし、哀歌のメッセージは同じです。私たちが自分たちのために打ち立てるどんな帝国もどれほど強く見えても、簡単にあっという間に滅ぶのです。
残りの箇所はなぜイスラエルが根こそぎにされ、裁かれたのかを、そして彼らがどのような行動を取らねばならなかったのかを説明し続けます。神は、民がいかにご自身のきよさを「汚し」そして「冒涜」したかを描きます。しかし、もはやそうならない時がくるのを待ち望みます。
人々がきよくする、あるいはそうでない鍵となる要素は、神と彼らとの関係にあるようです。神が彼らを告発する核心は、他の神々に彼らが従ったことです。そして彼らが見たもののイメージによって彼ら自身を汚したことでした。(20:16,また、7,26,28,30参照)これは「わたしが彼らを聖別する」とおっしゃる神との近しい関係にあるべきものとは全く正反対です(12)。
始めから終わりまで、私たちは神がご自身のご性質を反映するようになるきよい民を切望しておられるのを見ることが出来ます。神はこの種のきよさが可能になる計画を立てました。その瞬間はただイエスがいけにえとなり、ペンテコステの日に聖霊が注がれる時に来たのです。
あなたはもはやきよめられたのです。聖霊があなたのうちにおられるからです。神をあなたの人生の第一に置き、あなたと神との関係を台無しにするものを避けなさい。あなたのきよい生活の魅力的な美しさは、影響力があり、抗しがたいものとなるでしょう。
祈り:父よ。私は私の生活の中であなたを第一にし、あなたと私の関係を台無しにするものを皆避けたいのです。どうぞ、私をきよい人生に導いてください。アーメン。
H.K
References
C. S. Lewis, Letters to an American Lady, (William B Eerdmans Publishing Co, 1971).
Tony Castle, The Hodder Book of Christian Quotations, (Hodder & Stoughton, 1982) p.146.