Tokyo Chapel

2019年7月19日

第200日

ただ恵み

この地上にある最も大きな問題は、民主主義が行き届いていないことでも、あまりにもひどい貧困でも、エイズの予防薬が少なすぎることでもなく、世界の人口の三分の二が法的保護の外に追いやられていることだと言われています。正義の欠如は世界に蔓延する貧困に恐ろしい影響をもたらします。

聖書の中には正義と恵みというテーマが流れています。私たちは正義の理解なくして恵みを十分に理解することはできません。恵みの定義の一つは「受ける価値なき者に与えられる愛」です。「GRACE(恵み)」という英語を頭文字として恵みを説明すると「God’s Riches AChrist’s Expense(キリストの代価による神の豊かさ)」だと言えます。私たちは、今日、どのようにしてイエス・キリストがあなたや私にただ恵みをもたらしてくださったのかを見てゆきます。


正義のいのちある重要性

箴言17:15-24

世界の数多くの国々で、犯罪者は逃げ、刑務所はしばしば、無実の人々で溢れています。その多くは、罪状認否や裁判にかけられることもありません。「悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする、この二つを、主は忌みきらう。(15)」両方ともひどい不法行為です。それらは神が忌み嫌うものであり、社会に破滅的な痛手をもたらします。

わいろによって、このような大きな問題が起こるのです。「悪者は人のふところからわいろを受け、さばきの道を曲げる。(23)」ある発展途上国の法律家が私に言いました。もし、通常10年はかかるような法廷での案件をもっと早くしたいのなら、「潤滑油」がいるんだよと婉曲的にわいろの必要性をほのめかしました。

正義のための葛藤は大きな責任です。それは大変な仕事であり、容易に燃え尽きてしまいます。箴言は実にバランスのとれた知恵に満ちています。

それは私たちに家族友人の必要性を心に留めさせます。「友達はどんな天気の時だっていつも愛し、家族はどんな問題の時だっていつも一緒だ。(17,MSG訳)」取るに足らないような議論を避けましょう。「そむきの罪を愛する者はけんかを愛する。(19)」不必要なけんかは家族を別れさせ、親しい友人を離れさせます。

家族友人と同様に、楽しいことも大切です。「快活な気質はあなたの健康のために良いものです。ふさぎこんで、失望しているとくたくたに疲れ果ててしまいます(22,MSG訳)」あまり深刻になりすぎないように心がけましょう。私たちには笑いが必要です。笑いは心の筋トレのようなものです。それはあなたの魂をトレーニングし、健康を維持するのです。

祈り:主よ。すべての機会を用いて正義がなされるように、個人的にも、教会としても、あなたが私たちにするように望んでおられることを見せてください。私たちの生活の中でバランスを保つことができますように。私達にゆだねられている責任は重いですが、その中でも家族、友人、楽しみを見出すことができますように。


恵みがもたらす豊かな実り

ローマ5:12-21

あなたは自分自身をどのように見ていますか?あなたは自分について何を信じますか?神があなたをどのように見ていると思いますか?神があなたについて何を感じていると想像しますか?

恵みとは神が私たちを義とみなしておられる、すなわち「適正である(19,MSG訳)」とみなしておられるということです。義は神の恵みがもたらす無償の贈り物です。私たちの罪は「私たちが恵みと呼ぶ過激な赦しと競り合う機会を持ってはいません。『罪 vs 恵み』の対戦があれば、恵みがワンサイドゲームで勝利します。(20-21,MSG訳)」

パウロは恵みのすばらしさをさら展開していきます。パウロは二つの領域を描きます。アダムの領域とキリストの領域です。

普通、私たちは皆、アダムの領域に属するとパウロは言います。神から離れ、罪と死が、アダムを通してこの世界に入りこみました(12-14)。

しかし、パウロはまた、イエスがご自身の死と復活を通してもたらした新しい領域を描いています。驚くべきことはあなたが、アダムの領域からイエスの領域に移されたということです。それは、神の沢山の良い書物に努力して切り込んでいこうとすることによってではなく、イエスを通して受けることができるようになった神の恵みの贈り物をただ受け取るだけなのです。

パウロはアダムによって入り込んだと、イエス・キリストによってもたらされたいのちを比較することから始めます。パウロのキーポイントは「贈り物は違反のようなものではない(15,NIV訳)」ということです。究極的には、いのちの贈り物は、違反よりも大きいので、それらは単に対照的であるにすぎないのです。

ただ似ているのは、どちらも多くの人々に影響したということです。あなたが従うか、従わないかだけがあなたに影響を与えるのではなく、多くのほかの人々にも影響をあたえるのです。アダムの罪の結果、多く人が死にました。しかし、イエスの従順は多くの人があなたが立つ恵みにつながることができるようにし、義認の無償の贈り物を受け取ることができるようにしたのです。そして、無償の贈り物は罪のようではありません。「一人の罪の評決は死の宣告でした。その方に従った多くの人々の罪の評決はこの素晴らしいいのちの宣告です。(16,MSG訳)

アダムの罪の結果として、死が支配しました。しかし、一人の人イエス・キリストはその過程を逆転させ、無償の贈り物としての義認をもたらし、あなたが神の恵みに立つことができるようにしてくださったのです。死の統治に代えて、あなたは「いのちにあって支配する(17)」のです。

アダムの罪は私たちが皆被告席に立たせられていることを意味します。十字架の上でのイエスの義の行為によって、神はあなたを義と認め、あなたにいのちを与えることがお出来になるのです。イエスの義があなたの義を導いたのです。「私たちがトラブルに巻き込まれないというだけではなく、それ以上に、彼は私たちをいのちを得させたのです!神に『いいえ』と言った一人の男が多くの人々を間違いに置きました。神に『はい』と言った男が多くの人を正しさの中に置いたのです。(19,MSG訳)」

イエスは、ご自身の十字架の死を通して、神の恵みとご自身の賜物を可能にしました(15)。私たちの罪の結果は、裁きと有罪判決です(16)。もし、私たちが正義に、ただ正義に頼るなら、それこそがまさしく私たちが受け取ろうとしたものです。しかし、イエスがあなたの代わりに死んでくださったので、あなたは義認の恵みを受け取ることができるのです。

神は正しくあられ、そしてあなたを無罪放免にすることができるのです。ただ恵みがあるのです。イエスは神の豊かな恵みと義の賜物の供給を可能にしました(17)。あなたはいのちをもたらす義認を受け取ります(18)。あなたは「義人とされる(19)」のです。あなたは私たちの主イエス・キリストを通して永遠のいのちを受け取るのです(21)。

このすべては恵みによるのです(15,17,20-21)。これらの真理をあなたの心の奥底にとどまらせましょう。自分自身を神があなたを見ているように見ましょう。つまり、神の目に義とされた者としてです。そして、イエスがあなたのために為してくださったことのゆえに、神があなたをご覧になる時、神はあなたを喜んでおられることを信じましょう。

祈り:主よ。私の身代わりにイエスが死んでくださったことを本当に感謝します。私が裁かれ、有罪判決を受けなければならなかったのに、あなたは私が義と認めてくださり、贈り物としての恵みによって神からの義を受け取ることができるようにしてくださったことを感謝します。


義と恵みの神

アモス8:1-9:15

アモスは再び不法に対して訴えます。

「これを聞け、弱者の上に踏みにじる者よ、
おまえたちは貧しい人々を無価値な者のように取り扱う、
誰が言うのか「私の次の給与小切手が来るのはいつだろう、
そうすれば、私は出かけて行って、面白おかしく暮らせるだろうか?
週末までどれくらいあるだろうか、
いつ私は出かけて行って、楽しい時間をすごせるだろうか?」
誰が少ししか施さず、多くを得るのか、
そして、正直な日々の仕事を決してしないのは誰か。
おまえたちは貧しい者を搾取する―
それから、彼らがぼろぼろになったなら、おまえたちは彼らを捨て去るのだ。」(8:4-6,MSG訳)

人々の状況は、今日の私たちの社会で見る人々の状況とは違います。人々は霊的渇望に死んでいます。「主のことばを聞くことのききん(11)」があるのです。人々が探し求めるものと言えば、ドラッグ、アルコール、セックス、権力です。このすべてで深い飢えを満たそうとしますが、霊的な食物を見出すことができません。(12)

契約の律法の意図するところは、恵まれない境遇にある者たちを保護することでした。しかし、今日でもしばしばある状況ですが、貧しい者が正義を受けることができなかったのです。彼らはないがしろにされたのです。彼らは騙される存在でした。主は私たちを愛し、そして貧しい者たちを愛するお方ですから、不正直を憎みます。不法と不正直はイスラエルの罪の中心にあります。このすべての結果として、アモスは言います。「裁きの日が来ている!(11,MSG訳)」イスラエルは捕囚の民とされていくのです(9:1-10)。

しかし、アモス書はこの言及だけでは終わりません。回復の約束で締めくくられます。「わたしは断片となって倒れているダビデの家を回復する。…すべてのことは一瞬にして起こる。そして、あなたが見るすべての場所を祝福する!山や丘から流れ落ちるぶどう酒のような祝福です。わたしは私の民イスラエルのためにもう一度すべてを正す。

彼らは荒れ果てた彼らの町を建て直すだろう。
彼らはぶどう畑を耕し、極上のぶどう酒を飲むだろう。
彼らは畑で働き、新鮮な野菜を食べるだろう。
そして、わたしは彼らを植えた。彼ら自身の地に彼らを植えた。
彼らは、わたしが彼らに与えた地から二度と追い立てられることはない。」(11-15,MSG訳)

神の民の究極の未来は、あなたの見果てぬ夢のまだ先にあります。罪と不法でさえ神の祝福の計画を究極的に脱線させることはできません。それは私たちの新約聖書の箇所にも同じように見ることができる力です。神の恵みとあわれみは、私たちの罪よりはるかにまさるものです。イエスは究極的に正義と赦しを両立させることが出来たのです。

祈り:主よ。感謝します。あなたが義と恵みの神であられます。聖霊の注ぎを通して、私たちは今、将来を垣間見ることができますことを感謝します。正義が勝利しますように。聖霊のあたらしいぶどう酒が注がれますように。山から流れ来る偉大な恵みにあずからせてください。アーメン。

H.K