Tokyo Chapel

2018年10月7日

第280日

新しい衣

私は毎日同じような服を着る傾向があります。私はあまり着ることについて頓着しません。しかし、信じようと信じまいと、ピッパと私が結婚する前、私はもっとひどかったのです。

結婚してから、私は裾拡がりのズボンと、不格好な穴の開いたセーター、メッシュ地のベスト、叔父からもらったネクタイと着潰したズボンとはおさらばしなければなりませんでした。私はモノを捨てることが嫌いです。特に自分が気に入った服を捨てるのは…。それらは旧友のような感じがするのです。しかし、悲しいかな、服を変えなければならない日が来たのです。

外面的な服装と同じように、私たちの心や思考は内なる服を持っています。あなたがイエスを通して、神との関係に入る時、古い服を脱ぎ捨ててあなたの心と思考に新しい一揃えの服を必要とするのです。


他の人々についてあなたの心と思いを制御する

箴言24:15-22

あなたは誰かになんらかの方法で不当な仕打ちを受けたり、傷つけられたりしたことがありますか?そして、それからもめ事に巻き込まれたことを気づいたことはありますか?

この箇所は私たちに、彼らが報いを受けたり、問題を抱えることを嬉しがったりするのを考えることを警告しています。「あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない。主がそれを見て、御心を痛め、彼への怒りをやめられるといけないから。(17-18)」

私たちに悩みの種と成った人々や私たちに敵対した人々がしくじったり、倒れたりするときに、ほくそ笑むことは容易いことです。その瞬間を楽しむことはやや誘惑的です。しかし、これは間違った応答です。あなた心を見張って、これらのことを考えることに抵抗しなさい。

ジョイス・マイヤーは次のように書きました。「その人が当然の報いを受けるのを見てちょっとだけ嬉しい気持ちになるのを防ごうとするとそれは私たちにとってとても大きな『心の仕事』になります。…私たちは常に覚えなければなりません。『傷ついた人々が人々を傷つける』ということを。私たちを傷つけた人たちは通常、彼ら自身の内に傷をもっています。そして、彼らの痛みは、彼らが私たちを傷つけていることさえ気づかないほどにとても大きいのです。」

祈り:主よ。私たちがほくそ笑むようなことがあることをどうぞお赦しください。そして、そうしてしまう誘惑に抵抗することができるように助けてください。どうか聖霊の助けによって、私の心と思いを制御することが出来るように助けてください。


あなたの心と思いに愛を着させる

コロサイ3:1-4:1

クリスチャンとして、あなたは「キリストにある」のです。あなたはイエスの死と復活の内に、イエスと合一します。それゆえ、パウロは「あなたは死んだ(3:3)」と書くことが出来ました。そして彼はまた次のように書くことが出来ました。「あなたがたが、キリストとともによみがえらされた…あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(1,3)」将来において、「私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。(4)」

イエスがあなたのためにすべてを成し遂げてくださり、可能にしてくださったすべてのことのゆえに、あなたは心と思いに新しく着る必要があります。

  1. あなたが何について考えるかを変える(1-12)
    正しい行動は正しい考えから始まります。あなたは今、イエスによって可能となったこの復活の命を生きることが出来ます。パウロは書きます。「上にあるものを求めなさい(上にあることにあなたの心を定めなさい,NIV訳)。…地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(1-2)」

    あなたは「地上のもの(2)」や誘惑に取り囲まれているので、これは簡単ではありません。思い切って行動しなさい。「それは死への道につながるすべてのことを殺してしまうことを意味します。すなわち、見境のない性的関係、不純、肉欲、感じたままを好きな時にすること、あなたが空想したことを喜ばせることを何でもつかむことなどです。(5,MSG訳)」これは私たちがクリスチャンになる以前によくしたものです。

    古い服を「脱ぎ捨てて」(9)、あなたは、あなた自身の悪いものを「捨ててしまいなさい。(8)」それらは「怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことば」です。「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(9-10)」

    新しい服を身に着けましょう。あなたは神に選ばれた民の一人です。それゆえ、あなたはそれにふさわしく生きるように召されたのです。このことはこの世の中であなたの立場が激しく変化したことを意味します。ただ受け身ではなく、活動的でありなさい。悪いものに代えて、あなたは「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容(12)」を身に着けるように召されたのです。

  2. 他の人々へのあなたの反応を変える(13-15)
    イエスはすべてのクリスチャンのうちに、その背景にかかわらず、生きておられます。キリストにあって、民族の壁はありません(ギリシャ人もユダヤ人もありません)宗教的な壁はありません(割礼を受けた者も受けていない者も)国籍の壁はありません(未開人、スクテヤ人)そして身分の壁もありません(奴隷も自由人も)ただ「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。(11)」

    パウロは「互いに赦し合いなさい。[互いに耐えなさい,NIV訳](13)」と続けます。世間では、もし誰かがあなたをがっかりさせるなら、これはしばしば関係を終わらせます。しかし、「だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(13)」

    この種の赦しはクリスチャンの美徳として独特なものです。他の人々も赦すでしょうが、クリスチャンだけが赦しのための堅い土台を持っているのです。C.S.ルイスは言います。「クリスチャンであることは、許せないことを赦す者であることを意味する。なぜなら、神は言語道断であったあなたを赦したのだから。」

    あなたが身に着ける新しい一揃えの服を一言で言い表すなら、それは「愛」です。パウロは記します。「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。(14)」愛は単に感情ではありません。それは行動です。あなたが「身に着ける」ものです。あなたが身体に服を着るように、あなたは愛を着る者であるべきです。

    これはクリスチャンの共同体の麗しさです。キリストはあなたの人間関係に激しい変化をもたらしてくださいました。クリスチャンの関係の持ち方は、この世のそれとはかなり違います。そしてそれはとても魅力的なものです。

    それはどのようにして可能でしょうか?あなたの心と思いを正しい位置に据えなければなりません。そして、パウロが続けて書くように「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。(15)」

    神の平和の行為はあなたの心の中の審判員のようなものです。あなたに何がアウトで、何がセーフかを告げるのです。あらゆる決定についてあなたがこう自問して考えるべきです。「今から私がしようとしていることについて神の平和を私は感じているだろうか?」

  3. イエスへの態度を変える(16-17)
    「キリストのことば」によっていつも導かれましょう。パウロは言います。「キリストのことば、すなわちキリストのメッセージに家の主導権を握ってもらいなさい。あなたの人生に山のようにある部屋を明け渡しなさい。健全な常識を用いてお互いに教えたり指導したりしなさい。そして歌いなさい。神に向かってあなたの心から溢れる歌を歌うのです。(16,MSG訳)」

    この種の共同体は神への礼拝がその中心になります。そして聖書の中にあるキリストのことばを聴くことになるのです。それは「主を恐れかしこみつつ、真心から(22)」従う愛の共同体です。

    それはまた困難な仕事でもあります。あなたが雇用者であっても被雇用人であっても、あなたはキリストのしもべです。あなたの仕事を心と思いにおいて、良い態度をもって行いましょう。「何をするにも、…主に対してするように、心からしなさい。…あなたがたは主キリストに仕えているのです。(23-24)」祈り:主よ。今日、私をあわれみ深く、親切で、へりくだり、優しく、忍耐強い生活を送らせてください。あなたが赦してくださったように、人を赦すことが出来ますように。あなたの平和が私の心を支配しますように。


あなたの心と思いの方向を神に向けて変える

エレミヤ14:1-15:21

エレミヤ書はエレミヤ自身の心に始まった悔い改めへと招いています。「それゆえ、主はこう仰せられた。『もし、あなたが帰って来るなら、わたしはあなたを帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる。』(15:19)」悔い改めとはあなたの心と思いを変えて、神に立ち返ることを意味します。

エレミヤは神のスポークスマン、神の口でした。彼は主のことばを聴くように心と思いの向きを変えたのです。これは当時の偽預言者たちと極めて対照的でした。主は偽預言者たちを「これらの説教家たちは嘘つきだ。そして、彼らはわたしの名を用いて嘘を隠そうとする。わたしは彼らを送ってはいないし、彼らに命じてもいない。さらに彼らと話したこともない。彼らが手渡した説教はまさに幻影であり、織り交ぜられた嘘、暗闇で口笛を吹くような空威張りだ。(14:14,MSG訳)」

一方で、エレミヤの心と思いは主に聴くことに定まっていました。「エレミヤにあった主のことば。(1)」「主は私に仰せられた。(15:1)」エレミヤは主の言葉を聴くことがどれほど驚くべきことかを知っていました。「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。(16)」究極的には、あなたの心と思いにある深い切望を満足させることができるのはただこれだけなのです。

神のことばを毎日読み、あなたの心と思いの内にそれらを静思し続けることを決心しましょう。一度あなたが主の言葉を聴いたなら、その人生を変えるメッセージをまだ変わっていない人々に手渡しましょう。「あなたの言葉で彼らを変えなさい。あなたの言葉を彼らの気に入るものに変えてはなりません。(19,MSG訳)」

祈り:神よ私の頭の中にいてください。そして私の理解の中に。
神よ私の目の中にいてください。そして、私が見るものの中に。
神よ私の口の中にいてください。そして、私が語るものの中に。
神よ私の心の中にいてください。そして、私が思うものの中に。
神よ私の最期にいてください。そして私が旅立つその時に。(セーラム・ミサ典書より)

H.K

References

C. S. Lewis, The Weight of Glory, (Williams Collins, 2013).

Joyce Meyer, The Everyday Life Bible, (Faithwords, 2014) p.1002.