Tokyo Chapel

2019年8月10日

第222日

良い裁き

私が法廷弁護士であったころ、私が出廷した時の裁判官はほとんどがとても良い人たちでした。しかしながら、一度、良くない裁判官の裁判に出廷したことがありました。それはひどい体験でした。

私は刑事事件の被告の代理として弁護にあたりました。私は陪審の前で弁護するのはまだ二度目のことでした。私はまだ若く、未熟でした。そうであったとしても、私の目から見て、裁判官のその裁判の運営はとても間違っているように思えました。裁判官はニッキーが話そうとするとどんな時も邪魔をしたのです。何度も何度も、裁判官は質問をして妨害しました。私はついには廷吏が「立ち上がって裁判官と喧嘩している」と描写するようなはめになりました。

裁判官の事件要点の論述は、第二の刑事訴追のようなものでした。被告には、正式に有罪判決が出され、刑務所に送られました。私は、被告は公正な審理を受ける資格があるという基本に立てば、彼にはそれが与えられていないと訴えました。

私が控訴院の三人の非常に年配の裁判官の前に出廷した時、彼は極度に緊張しました。彼らに「立ち上がって裁判官と喧嘩している」と判断されたくなかったからです。その救済措置に対して、彼らは、その裁判の運営に関して、私が感じたのと同じく呆れてしまったのです。彼らは最初の判決を覆しました。そして、その時、私は英国の法制度は回復したと確信したのです。

良い裁判官は稀です。世界中の至る所で、裁判官は贈収賄と腐敗の対象です。法の支配がなければ、その結果、不正が起こります。貧しい者は特に被害を受けやすいのです。


この世の裁き

詩篇94:1-11

主なる神は「地をさばく方(2)」です。今のところ、私たちは正義をいつも見るわけではありません。私たちは「悪者ども(3)」「横柄(4)」「自慢(4)」を見ています。私たちは悪者どもが人々を「打ち砕き」「悩まし」ているのを見ます(5)。特に、私たちは貧しい者、つまり、寡婦、外国人、孤児(6)がさいなまれるのを見ます(6)。

詩篇の作者は正義を求めて叫びます。神は義なる神です。神は「復讐の神(1)」です。これは報復的ではなく、悪や悪者への正しい応答として適切です。神は「高ぶる者が手に入れたプライドを払い戻させる(2b,NIV訳)」ことになります。悪者どもはもはや逃げ去ることはできません。貧しい者はもはや抑圧されません。

不正はこの世界の中で多くの苦難の原因です。無実の人々を守るため、例えば、性的搾取に遭っている人々に正義を取り運ぶことは愛の行動です。

時々、私たちは「神はご存じない」とか「神は気にしておられない」と考える誘惑があるかもしれません。しかしながら、本当は神は「耳を植えつけられた方」であって聞いておられ、「目を造られた方」であって、ご覧になっているのです(9)。この意味は神の裁きは愛であり完全であることを意味します。「主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられ(11)」神は正義を完全に行使できるし、行使されるお方なのです。

祈り:主よ。やがてある日、私たちは完全な裁きによって完全な正義が履行されることを見ることになるでしょう。それまでの間、主よ。この地の上で正義を探究することを助けてください。特に、隅に追いやられている人々のために。


教会の中での裁き

1コリント6:1-20

新約聖書の一般的なルールとして、クリスチャンは互いに裁判に訴えるべきではありません。

使徒パウロはコリントの信者たちがお互いに裁判に訴えていたことを知ってショックを受けました(1a)。パウロは書きます。「どうして、愛するあなたがたが互いに訴えるのでしょうか!(1a,MSG訳)」これは教会にとってひどい証しです。信者たちが「神を敬わない(1,NIV訳)」人の面前で互いに闘っていたのです。「クリスチャンの家族の代わりに、神の道を知らない法廷の前に進んでいくなど、考えられないことではありませんか?(1b,MSG訳)」

むしろ不正をも甘んじて受け、むしろだまされている方がましなのです(7-8)。しかしながら、パウロは、もし彼らが論争に巻き込まれたなら、自分たち自身お互いに話をつけるべきだと訴えているのです(4-6)。

もし、論争に話をつける必要が本当にあるなら、彼らは教会から間に入る人を指名すべきです。パウロはやがて来る日に「聖徒が世界をさばくようになること(2)」を指し示しています。「イエスの従者たちによって構成された陪審の前に世が立たされる、その日がやって来るのです。(2,MSG訳)」この裁きは堕落した天使への裁きも含まれるとパウロは示唆しています(3)。

パウロの議論はもし、その日私たちがこの大いなる裁きの日に含まれるのであれば、確かに、私たちは、それに比較して些細な事で今裁くことに対して寛容になれるということです(2-3)。どんなことも「告訴」することを避けて、「不信者」の前でお互いに反目することをやめましょう(6)。

最後の審判はやがて来ます。「正しくない者は神の国を相続できない(9)」のです。パウロは様々なタイプの罪人を挙げています。「互いに利用したり乱用する者、性的に利用したり乱用する者、この地とそこにあるすべてのものを利用し乱用する者は、神の国の市民として資格がありません。(9-10,MSG訳)」

パウロが書き送った多くの人々は、つい最近まで過去にパウロのリストに記載されたような生活スタイルに含まれていました。しかし、パウロは書きます。「それ以来、あなたはきよめられ、新しいスタートを、私たちの主、私たちの救い主であるイエス、そして私たちの内に臨在してくださる私たちの神、聖霊によって与えられたのです。(11,MSG訳)」

私たちは皆、最後の審判で裁きを受けなければなりません。私たちは自己義や自慢によることはできません。あなたのためのイエスの死を通して、あなたは洗いきよめられ、義とされたのです。義とされるということは、神の大法廷の前で無罪となるということです。裁きは繰り越されました。そして、あなたはこの評決を今受け取るのです。

あなたは将来についての大いなる確信を持つことが出来ます。死は終わりではありません。「神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。(14)」やがて来るべき日に主があなたを永遠の命によみがえらせてくださるだけでなく、イエスを通して、あなたはまた、この全地にある裁きの前に「聖なる者とされ、義と認められた(11)」と確信をもって出廷することも保証されているのです。

これは、あなたが道から外れてもいいとか何をしてもかまわないということを意味してはいません。むしろその逆です。あなたの身体は今は聖霊の宮です(19)。あなたは「代価を払って買い取られたのです。(20)」それゆえ、「不品行を避け(18)」ることができます。「私たちは、無責任で、私たちを親密さから遠ざけてもっと孤独にするような類のセックスを追い求めるのをやめなければなりません。(16,MSG訳)」「あなたの身体は神聖な場所です。それは聖霊の場所です。(19,MSG訳)」

どんなことにも支配されないようにしなさい(12)。あなたの身体は神に属します。それを神の栄光のために用いましょう(20)。

祈り:主よ。イエスの血によって私が洗われ、きよめられたことを感謝します。私はすでに無罪放免されたことを感謝します。自由にされた者として生きることが出来ますように。そして私がするすべてのことにあなたの栄光を表してくださいますように。


ソロモンの裁き

2歴代誌1:1-17

あなたは、あなたがしていることを想像したことによって圧倒されるような感覚を持ったことが今までありますか?私は時々あります。ソロモンは「膨大な務め(9,MSG訳)」に直面していました。

ソロモンの王国は堅く据えられました(1)。ソロモンは「さばきつかさ(2)」を含む全イスラエルに告げました。

彼自身もさばきつかさとしての働きをしました。実際、歴史を通じてソロモンは良き裁判官として知られています。「イスラエル人はみな、王が下したさばきを聞いて、王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。(1列王3:28)」

この知恵はどこから来たものでしょうか?その答えは彼の祈りにあります。神は彼に言いました。「あなたが私に与えて欲しいと願うものをなんでも願え。(2歴代1:7)」彼は祈りました。(私もこの祈りをよくします。)「この民に行き、その中にある者として知恵と知識を与えてください。あなたの栄光を現わす、神ご自身の民を導くことが出来るように。(10,MSG訳)」

「神はソロモンに仰せられた。『そのようなことがあなたの心にあり、あなたが富をも、財宝をも、誉れをも、あなたを憎む者たちのいのちをも求めず、さらに長寿をも求めず、むしろ、わたしがあなたを立ててわたしの民の王とした、その民をさばくことができるようにと、自分のために知恵と知識を求めたので、その知恵と知識とはあなたのものとなった。そのうえ、わたしはあなたの前の、また後の王たちにもないほどの富と財宝と誉れとをあなたに与えよう。』(11-12)」

イエスが「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)」と言った通りです。そして使徒ヤコブが「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ1:5)」と記したとおりです。

祈り:主よ。自分自身のため、そして導き、治めることを要求されるすべての人のために知恵と知識が与えられるように祈ります。また、世界中の裁判制度が変革されて、良き裁判官が立てられていきますように祈ります。アーメン。

H.K