Tokyo Chapel

2019年2月16日

第47日

第一のことを第一にする

私たちが結婚して間もない頃、ピッパと私は週末に二人で結婚セミナーに出かけました。そこでは、「優先順位」についてのセッションがあり、参加者に5枚のカードが手渡されました。そのカードには「仕事」「神」「奉仕」「伴侶」「子ども」と書かれていました。そして、優先順位の高い順に並べるようにという課題が出されました。後から振り返ってみると、私の順番は完全に間違っていたということが分かります。

私はまず「神」を第一にして(少なくとも、一つは正解でした。しかし、これは誰の目にも明らかです!)その次に「奉仕」「伴侶」「仕事」「子ども」と並べました。(当時は、まだ子どもが生まれていませんでしたから、そんなに大事だとは分かりませんでした!)

セミナーの講師はこれらの優先順位について取り上げ、私は次のような優先順位にしなければならないことをはっきりと悟りました。第一に神、そして(私の第一の召しである)伴侶、そして子ども、(私の第一の働きである)私の仕事、そして、最後に私の奉仕です。明らかに大切にしなければならないものを、私たちの生活の中で二の次にしてしまってはなりません。哲学者であるゲーテは「最も重要な物事は、他のどんな物事のためであれ、犠牲にしてはならない。」と言いました。

第一のことを第一にする。一番大切な事柄は神のために最も大切にすべきです。


関係の優先順位

詩篇22:12-21

神との関係は何よりも第一に優先されるべきです。この詩篇を見ると作者は神との関係(預言的にはイエスを最優先すること)を第一にしていたことがわかります。

神との関係を回復するために通るゲートは十字架です。この詩篇の最初の部分で、私たちは新約聖書で成就されるイエスの死についての預言の連続を見ます。

この詩篇の中である者が十字架に掛けられたのを一人称単数で書かれているのですが、それはローマ帝国が十字架刑を生み出す何百年も前に記されています。イエスの苦難について、むごたらしい、十字架刑の記述をもって実に正確な預言がなされているのです。

  1. 「私の骨々はみな、はずされました。…私の舌は、上あごにくっついています。(22:14,15)」「わたしは渇く(ヨハネ19:28)」
  2. 「私の手足を引き裂きます。(22:16)」「彼らは自分たちが突き刺した方を見る(ヨハネ19:37)」
  3. 「悪者どもの群れが、私を取り巻き、…彼らは私をながめ、私を見ています。(22:16,17)」「民衆はそばに立ってながめていた(ルカ23:35)」
  4. 「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。(22:18)」「そこで彼らは互いに言った。『それは裂かないで、だれの物になるか、くじで引こう』(ヨハネ19:24)」

私たちが昨日見たように、イエスの十字架の上での苦難は、磔の悲惨さよりも大きいのです。彼は、私たちの身代わりとなって神の前に罪を着せられました。(詩篇22:1)。イエスがあなたのために死んでくださったので、あなたは神との関係を回復することが出来るのです。

祈り:感謝します。父よ。永遠の昔から計画された最も高い優先順位である十字架を通して、あなたとの関係が回復されました。イエス様。感謝します。あなたが十字架の苦痛を私のために担ってくださったからこそ、神との関係が回復したのですから。


イエスの優先順位

マルコ1:29-2:17

私はイエスを愛します。イエスは実に驚くべきお方で、素晴らしく魅力的です。イエスは人々を愛しました。イエスは彼らへの「あわれみ」に満ちていました(1:41)。人々はイエスを愛しました。あらゆる所からイエスのもとにやってきました(45)。そして、みんなイエスを捜し(37)、イエスを見たいと願いました。

彼らはイエスを見るためにどんなことでもしました(2:4)。群衆はイエスのもとに来ました(13)。イエスが「ついて来なさい。」というと、彼らは従いました(14)。彼らは病人を皆イエスのもとに連れてきました。そしてイエスは癒されました(1:32-34)。シモンのしゅうともその中に含まれていました(30-31)。イエスは取税人や罪人を愛し、彼らのところに行くのも彼らと一緒に食事をするのも喜んでしました(15)。イエスは私たち「罪人」のために来られたのです(17)。」

あなたは人々の優先順位を、その人々が費やした時間を見て言うことができます。この箇所はイエスがどのように時間を割いたかを見ていきます。

  1. 神に祈ること
    多くの人々は何か大事なことをするのでなければ、早朝に起きることをしません。イエスの最初の優先順位は父なる神との関係でした。「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(1:35)これは、私たちに祈るための「閑静なスポット(MSG訳)」を探して早く起きることをチャレンジします。個人的には、私の場合、早起きを習慣づけるために、早く寝ることを習慣づけています。
  2. 御国を宣言すること
    イエスは言いました。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。(1:38)」説教したメッセージは神の国の福音についてでした。そして「悔い改めて福音を信じる(14-15)」という人々の必要についてでした。それはすべて赦しに関することです(2:5,10)。そしてそれは特に「罪人(17)」にとってのよき知らせであり、すべての人が聞く必要がありました。イエスにとって、赦しは癒しよりも大切な事柄でした。
  3. 力の伝道
    イエスは「深くあわれみ(1:41)」第一に赦しの福音をもたらしたいと願う人々に愛を注ぎました。しかし、それは言葉だけではありません。イエスは病人を癒しました。(40-42,2:8-12)そして悪霊を追い出し(1:39)、中風の人を癒すことを通して、イエスはご自分が罪を赦す権威と力を持っておられることを示されました。(2:9-11)

イエスの優先順位は明快です。まず神、そして人です。そして、すべてのことはこの大きな二つのためになされたのです。

祈り:主よ。あなたとの関係を優先できるように助けてください。私が人々に赦しの福音を宣べ伝えることができることを感謝します。病人のために祈る時にあわれみで満たしてください。人々が彼らの生活の中で悪の力から自由にされていくのを見ることを求めます。


愛の優先順位

出エジプト19:1-20:26

神はあなたをご自身との親密さへと招いておられますが、神の驚くべききよさと力を忘れてはなりません。神はあなたに情熱を燃やしました。そして、それゆえ、あなたを、あなたの可能性以下のところにとどめたくはないのです。神はあなたにきよさを学んでほしいのです。

今日の箇所から民数記10:10まで。イスラエルの民は荒野に留まり神の民であることを学ばなければなりませんでした。まず、神のきよさと神の力を学び始めました。彼らは神の臨在が留まる山に触れることは出来ませんでした。それで、神は彼らに十戒を通して、彼らの優先順位について話されたのです。

  1. 神はあなたを愛する
    文脈は20章2節にあります。「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。(20:2)」神は「恵みを千代にまで施す(6)」神です。私たちはこの箇所の前半に神の愛の描きを見ます。神は言いました。わたしは「あなたがたを鷲の翼に載せわたしのもとに連れて来た(19:4)」また、あなたは「わたしの宝となる。…(5)」私たちの愛は神の愛への応答なのです。

    十戒の文脈は、神のあなたへの愛です。ある人々はこの事実を見落とします。そして、それを規則集としてとらえてしまいます。神は私たちへの愛の行為として命令を与えたのです。そして、私たちから神への愛の行為として、それに従うのです。
  2. 神を愛する
    最初の4つの命令は神を愛することによって神の愛にどのように応答するかについてです。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。(1ヨハネ4:19)」私たちの愛は排他的です(出エジプト20:3-4)。尊敬し(7)、神との時間を取り分けることを示します(10)。
  3. 人を愛する
    最後の6つの命令は人を愛することに関してです。私たちの家族(12)、私たちの夫や妻(14)、そして隣人です。殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。隣人に偽ってはならない。あなたの隣人の家を欲しがってはならない。また、妻や奴隷も。(13-17,MSG訳)

イエスはこれを要約して、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。(マタイ22:37-40)」と言われたのです。

十戒は神の臨在に上るための梯子として与えられたのではありません。むしろ、彼らがすでに知っていた恵みと贖いのために神が与えた生活のパターンなのです。十戒は自由を奪うためのものではなく、生活をガードするためのものです。それは神との関係に生きる自由を満喫させてくれるのです。神が聖であるように聖である生き方がどのようなものであるかを示してくれるのです。あなたの神への愛がそこから溢れます。そして、それは神があなたを愛しておられることへの応答なのです。

祈り:天の父よ。今日、私は慎みと恐れとをもって、あなたを礼拝します。あなたは、私を鷲の翼に載せ、ご自身のもとに連れて来てくださいました。私のことを宝と呼んでくださいましたことを感謝します。どうか、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたを礼拝することが私にとって最優先のこととなりますように。あなたが私を愛してくださったように、他の人々を無条件の愛で愛することができますように。アーメン。
H.K