Tokyo Chapel

2019年8月3日

第215日

しおれることなく働く

平均的な一生の労働時間は約15万時間だそうです。それは、私たちが目を覚ましている時間のおよそ40%に当たると言います。

「神は私たちの仕事に関心があるのだろうか?」多くの人々は神が24時間7日間の神であるとは見ておらず、僅かばかりに減少した聴衆を相手に日曜日のショーを演じている落ちぶれた役者のように思っています。神と仕事の関わりを考えることがないというのが広く行きわたった見方となっています。競争が激しい、生き馬の目を抜くような仕事の世界は、まるでクリスチャンのあわれみや愛を目のかたきとしているようです。しかし、世界を創造し保持しておられる神はまた、「職場の神」でもあります。もし、キリスト教信仰が職場にふさわしくないとするなら、それこそが全くふさわしくないことなのです。

私の親しい友人であるケン・コスタの著書「ゴッド@ワーク(God at work 参照)」に多くの言葉があります。40年以上にわたって、ケンはロンドンのシティの「世俗」の職場で、キリスト教の働きの最前線に立って信仰をもって生き抜いてきました。

あなたが奉職している仕事がどのような種類のものであれ、それはあなたの人生の大部分を占めているのではないでしょうか?仕事は神が私たちに分配してくださっている事柄の重要な部分です。それは、あなたが創造的に為す働きの一部であり、あなたが天において為すことの一部でもあります。仕事とは本質的な価値を持っているのです。聖書は私たちの仕事に関して多くを語っているのです。


あなたの仕事は不変の価値があります

詩篇90:11-17

あなたは、あなたの人生よりも長く続く何かを今していますか?

詩篇90篇が語っていることは人生の短さに尽きます。(3-4,10)しかしながら、あなたの人生が短かく移ろいやすくとも、この詩篇に従えば、あなたよりも長生きする仕事をあなたがすることができるのです。あなたがすることが不変の価値を持つことは可能なのです。詩篇は希望についての言葉で締めくくられています。「私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。(17)」

あなたの仕事の究極の価値は、神もまた働くお方であるという事実を反映させることです。詩篇の作者は言います。「あなたのみわざ[あなたの力のしるし]をあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見せてください。(16,AMP訳)」

ジェイゴ・ウェインは著書「しおれることなく働く(Working Without Wilting)」でこう記しています。「仕事のような物事はこの地上にいるときにするものであって、一時的で過ぎ去るもの以上のものではないと考える傾向が私たちにあります。」

「聖書は異なる絵を描いています。イエスが再臨する時、神はこの地上を痕跡も残さずに消し去るのではなく、神は刷新するのです。それを贖い、崩壊の束縛から解放するのです。…人間の働きは純化され贖われるのです。そして、私たちが罪から自由にされるように、それも罪から自由になるのです。そして、仕事は確かに新しい創造の一部分です。」これが、私たちが神に「どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。(17b)」と求めることが正しいという理由です。

祈り:主よ。私のこれからの人生にあなたの恩寵を賜ってください。私の手のわざを確かなものにしてください。私の仕事が私より長生きするものでありますように。そして良い影響が変わることなくありますように。


あなた自身をすべて神の働きに差し出す

ローマ16:1-27

クリスチャンであることは仕事に就く者であるということでもあります。特に福音の働きについてです。パウロのローマの教会に宛てた手紙の最後は列挙された人々への挨拶で締めくくられています。その中に、彼らの仕事の価値を大いに強調しています。

プリスカとアクラは「キリスト・イエスにあって私の同労者(3)」と紹介されています。マリヤは「あなたがたのために非常に労苦した(6)」女性です。ウルバノも「私たちの同労者(9)」でした。ツルパナとツルポサは女性で「主にあって労している(12)」とあります。ペルシスは「主にあって非常に労苦した(12)」もう一人の女性です。そしてテモテは「私の同労者(21)」です。

別の箇所でパウロはこう記しています。「あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。(2テサロニケ3:7-9)」

パウロはたぶん、今まで生きた人の中で最も役に立ったキリストのしもべでしょう。しかし、彼は「フルタイム」の働きではありませんでした。彼は身銭を稼ぐのに「天幕作り」をしました。

同じように、ローマ16章で挙げられている人々全員が「フルタイムのクリスチャン・ミニストリー」をしていたのではありません。エラストは「市の収入役(23)」という世俗の仕事をしていました。彼が、自分が召された第一の仕事はその仕事であるとみなしていたことは間違いありません。そのような意味で、私たちは皆、教会の中での「フルタイム」の働きに召されても、世俗の世界の中であっても「フルタイム」の働きに召されているのです。

こんなにもたくさんの女性が教会の中で労していたという記述は興味深いことです。フィベ(1)はディアコノス(diakonos:しもべ)と描かれています。このギリシャ語は「deacon:執事」を意味し、あるいは聖職者(教会の鍵となる代表者,MSG訳)とも言えます。彼女は「多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人(2)」と描かれています。「大いに助ける」というギリシャ語は政治的な応援者、保護者、熱烈な支持者に用いられた言葉です。それは彼女が社会的地位、裕福さ、自立性を所有していたことを示唆します。彼女は明らかに教会の中で非常に重要な役割を担っていたのです。

プリスカとアクラ(使徒18章参照)は共同で働きをしていました。プリスカの名前が最初に記されています(3)。これは、多分、彼女が先に回心し、彼女がアクラをキリストに導いたか、もしくは、彼女が生活や教会の働きでより大きな役割を担っていたからかもしれません。

リストの中に10人の女性たちの名前が記されています。その中にはユニアスの名があります。彼女は「傑出したリーダーたち(7,MSG訳)」の一人でした。ユニアスはほとんど間違いなく女性の名前です。そして彼女は「使徒たちの間によく知られている人々(7)」の一人でした。彼女はもちろん十二使徒ではありませんが、ここでの「使徒」はもっと広い意味であり、宣教師のように送り出されていた人々を意味します。パウロはこれら傑出した宣教師団の中に女性をも含んでいたのです。パウロのチームには女性たちが重要な役割を担っていたことはこれらすべてのことから明らかです。

パウロは感謝と賛美の言葉で締めくくります。「私たちのすべての賛美はイエスをとおして、比類なき知恵ある神に向けられている!そうだ!」(25-27,MSG訳)

祈り:主よ。私たちを皆助けてください。どんな仕事に召されていても、主にあって勤勉に働く者となり、「イエス・キリスト」を宣言することができますように(27)。


働くことと休むことを神に倣う

1歴代15:1-16:36

働くことは神にあなたが倣う一つの道です。神が天地創造において働かれたように、私たちもまた、同じように働きます。労働の命令は堕落の前にありました(創世記2:15参照)。ケン・コスタはしばしば「仕事は原初より神の息吹が吹き込まれた『設立趣意書』に記載されている」と言います。

ダビデは仕事に取り掛かりました。「彼はダビデの町に自分のために家を造り…(1歴代15:10)」、彼は指導者たちを呼び、彼らを仕事に就かせました(12)。

これには「聖」も「俗」も区別はありませんでした。礼拝は彼らがすべてのすべきことの中心にありました。ダビデは「礼拝の仕事(2,MSG訳)」について指示を与えました。彼らを「主の箱の前で仕えさせ、イスラエルの神、主を覚えて感謝し、ほめたたえるようにした(16:4)」のです。ダビデ王もまた礼拝に加わり、「とびはねて喜び踊り(15:29)」ました。

その日その時(16:7)、彼らはジョイス・マイヤーが「一旦停止の礼拝」と表現している時を過ごしました。「どんなことにもまして神をほめたたえることは、私たちが何かをしている真っ最中に、それをやめてただ手を上げて神を礼拝する時のほかにないと私は思います。…例えば、大会社の社長かもしれないビジネスマンのことを考えると、一日の内、何度か彼のオフィスの扉を閉じて、鍵を閉め、『神よ。私はただあなたを礼拝する時間を取りたいのです。』と言うのはなんと素晴らしいことではないでしょうか!」

「同じことは学生にも、家にいる親たち、引退した人々、秘書、キャビン・アテンダント、脳外科医、事務職員、営業担当者…あなたが思いつくすべての人に当てはまります。私たちは皆、『一旦停止の礼拝』を持つことによって素晴らしい恩恵を受けるのです。」

ダビデは「神が成されたこと(8,NIV訳)」、「神の素晴らしい御業(9,NIV訳)」、「神が成された奇しい御業(12)」のゆえに主をほめたたえ、感謝しました。ダビデは神が成された大いなる御業を数え、民に「神のきよさの輝きをもって主を礼拝せよ(29,NIV訳)」と呼びかけました。

神は勤勉です。私たちはこの証拠を聖書の最初に見ることが出来ます。神は創造の御業を為されました。「神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。(創世記2:2)」神は天地を創造しただけではなく、保持し、贖っておられます。働くことはあなたが神に倣う一つの道なのです。

祈り:主よ。仕事のゆえに感謝します。「ハードワーク」さえもそのような祝福であることを感謝します。私の仕事そのものが礼拝の行動でありますように。私のからだを「生きた供え物」としてささげます。それこそが、私の霊的な礼拝です(ローマ12:1-2)。アーメン。

H.K

References

Ken Costa, God at Work, (Alpha International, 2013).

Joyce Meyer, The Everyday Life Bible, (Faithwords, 2014), p.635

Jago Wynne, Working Without Wilting, (IVP, 2009).