Tokyo Chapel

2019年11月27日

第331日

神はおられ、そのお方は偉大

私はおよそ10年にわたって法学を学び、法に仕えました。法的な事例において、証拠は大切です。証拠は私にとって重要です。もし、私たちの信仰が動かしがたい証拠を土台としていることを私が信じられなかったなら私はクリスチャンにはなっていなかったでしょう。イエス・キリストの生涯と死と復活という素晴らしい証拠があるのです。

近年になって、「新無神論者」によって神のための証拠はないと示唆する書籍が相次いで出版されました。それは神が「惑わし」である(「The God Delusion」)とか、「神は偉大ではない(God is Not Great)」(これらの書物の題名の一つ)とかを示唆するものです。もちろんのこと、聖書は神の存在について科学的な証拠を提供することに取り組むものではありません。それは「目撃証言」に基づく証拠を指しています(2ペテロ1:16)。そして「天に秘密をあらわすひとりの神(ダニエル2:28)」を、そして「主は大いなる方(詩篇135:5)」であると告げ知らせるのです。

あなたの信頼を神に置くための良い理由があります。あなたが神の言葉の真理を学ぶとき、あなたは信仰において成長し、「神がおられる」ことと「神が偉大である」ことを大胆に宣言するのです。


神の偉大さを告げ知らせる

詩篇135:1-12

「神はとても良いお方(3,MSG訳)」これが詩篇の作者の主張です。「主は大いなる方(5)」彼は神とご自身の民との関係を覚えます(4)。彼は神が創造し保持しておられる世界を見ます(6-7)。そして、彼は神の素晴らしい守りを証しします(8-11)。この範囲の経験と証拠が神の偉大さへの信仰を実証します。

礼拝の中で神の偉大さに応答しましょう。何度も何度も詩篇の作者は「主を賛美せよ」と呼びかけます。様々な形態で、この反復する呼びかけは最初の3節だけ5回登場します(NIV訳)。主を賛美せよ!

祈り:主よ。今日、私はあなたを賛美し礼拝したいのです。私は私の命をもって今日再びあなたを信頼します


神の言葉の真理を告げ知らせる

2ペテロ1:1-21

もし、あなたが神との近しい関係を望むなら、その関係を育むための時間を取り置きなさい。神と共に時間を費やすのです。あなたが神の言葉を学ぶとき、あなたの信仰は成長し、あなたの生活が変わります。あなたと神との関係を含む、すべての関係の強さはコミュニケーションに拠るのです。

この手紙の中で「イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペテロ(1)」が、彼の「信仰」と「私たちと同じく人生を変える神を経験した(1,MSG訳)」読者について書いています。

あなたの信仰は尊い(1)。「恵み」と「平和」(2)はあなたが人生の中で経験できる最も尊い2つの贈り物です。ペテロは、それらは「神と私たちの主イエスを知ることによって(2)」あなたがたの上にますます豊かになると言います。

あなたの信仰は無分別なものではありません。それは「真理(12)」です。今日、ある人々は聖書は「うまく考え出した作り話(16)」に満ちたものだと考えます。しかし、ペテロは「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。(16)」と書いています。ペテロは、彼がイエスの栄光とアイデンティティーの顕れの証人となった(マルコ9章、マタイ17章、ルカ9章参照)、変貌について特に話しています(17-18)。ペテロは「私たちはそれを自分自身の眼で見たのです(16,MSG訳)」と証しします。

証言は法廷で証拠を与えるための誰かが用いる言葉です。イエスについての証拠は数学や科学の証明よりも、法学的な証拠により近いものがあります。目撃証言からの証拠があるのです。信仰は無分別ではありません。それは彼らが見たものを土台とします。ペテロは「私たちが見たり聞いたりしたことは、これ以上ないくらい確かなことです。(2ペテロ1:19)」と断言します。信じるに足りる理由があるのです。

ペテロはまた彼らにみことばの力と信頼性を心に思い起こさせます。「ここで考えに留める中心的な事柄はみことばの預言は個人的な主張のこととは全く関わりがないということです。それはなぜでしょうか?なぜなら、それは人間の心にでっち上げられたものではないからです。預言は聖霊が人間の男や女を神の言葉を語るように駆り立てる時の結果です(21,MSG訳)。聖霊は今もなお、これらの聖書の言葉を通して語っておられます。みことばを通して神の臨在や力をあなたが経験する時、みことばはあなたの信仰の真理を強めます。

信仰はただの一連の理念ではありません。それはあなたの人生の生き方を変えます。ペテロは聖霊を通して「神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです(3)」と説明します。

この光の中で、彼は、あなたが「自分の基本的な信仰を補う」必要があることを説明します。ですからペテロは、あなたが成長することを追い求める必要がある、様々な性質をリストに掲げます。「良い性格、霊的な理解、油断のない訓練、熱心に耐え忍ぶこと、敬虔な驚き、温かい親しさ、惜しみない愛、それぞれの次元で適応し他者を育てる(5-7,MSG訳)」これらの事柄はあなたを無力なクリスチャンになってしまうことからあなたを保つでしょう(8)。そして、あなたを最後まで自分に信仰において強くして留めるのにあなたを助けるでしょう(10-11)。

祈り:神よ。私たちの信仰が堅い目撃証言の証しとあなたとの関係の経験の上に築かれていることを感謝します。私があなたの言葉の真理に信頼する時にその関係において成長することを助けてください。


「神はいる」と告げ知らせる

ダニエル2:24-3:12

この世の基準に従うことを拒みなさい。人がどう言おうがどうしようが、「神はおられる」と告げ知らせる勇気を持ちなさい。

私は一度、「ギボ」というニックネームの敬虔な男のことを知りました。彼は若かった頃、ロンドンにあるデパート、セルフリッジの従業員として働いていました。ある日、店主のゴードン・セルフリッジがそこに居た時に電話がかかってきました。ギボが電話に出ると、相手はゴードン・セルフリッジと話がしたいと言ってきました。ギボが取り次ごうとすると、セルフリッジは「居留守を使ってくれ」と言いました。ギボは受話器を手渡すと、セルフリッジに言いました。「どうぞ、ご自分で外出中だとお返事ください。」ゴードン・セルフリッジは電話に出ましたが、ギボを煮えたぎる目で見つめました。その後、ギボは言いました。「もし、私があなたの為に嘘を言える人間なら、あなたに対しても嘘をいえるでしょう。」その時から、ゴードン・セルフリッジは敬意をもってギボを最高に信頼するようになりました。

ダニエルと彼の三人の友人たちは「神がおられる」と信じていました。そしてそれゆえ、彼らは妥協を拒みました。彼らの生きざまと彼の唇によって、彼らは「神がおられる」と告げていたのです。

ダニエルは「天に…ひとりの神がおられ(2:28)」ることを確信していました。そしてこの確信は今日の旧約聖書の箇所の二つの物語を底支えしています。2章で私たちはダニエルが神が「秘密をあらわす(28)」ことを確信していたことを読みました。そして、彼は信じていることに基づいて行動することを意志しました。3章では三人の友人たちが死の危険を冒すことさえ辞さないで、神が脱出の道を用意してくださることを確信し、自分たちが礼拝するお方はただ一人だということを貫いたことを私たちは見ました。

ダニエルは夢の解き明かしは与えられるものであって、自分の知恵のゆえではなく、神の恵みのゆえであることを十分理解する謙遜さを持っていました(30)。

神はネブカデネザルに三つのことを語りました。それはあなたにも当てはまることです(36-38)。第一に、あなたが持っているすべてのものは神によって与えられたということ。第二に、神はあなたに今の立場を与えられたということ。第三に神はあなたをあなたそのものとしてお創りになったということです。

それゆえ、誰も高ぶったり、傲慢になったり、自己満足に陥ったりすることはできないのです。あなたの才能も賜物も資源もすべて神によってあなたに与えられたものです。

ダニエルは夢の解き明かしをつづけました。それは王国の継承についてでした。(多分それはバビロン、メド・ペルシャ、アレクサンダー大王の統治するギリシャ、そしてローマを意味します。)鍵となるポイントは世界のすべての帝国は、つまりバビロンもローマも大英帝国も、ソビエトもアメリカも中国も…すべて来ては過ぎ去るものであり、一つとして永遠のものはないということです。

ですからダニエルは、決して滅ぼされることなく、永遠に永らえる王国について語りました(44)。この王国は人の手によらず山から切り出された岩を土台とし(34)、その岩は鉄、年度、青銅、銀そして金をばらばらに打ち壊します(35)。

この岩は「像」を打ちました。そして「その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。(35)」さて、イエスのレンズ越しにこの出来事を見るならば、私たちは岩はキリストであることが分かります(イザヤ28:16、1ペテロ2:4-8、詩篇118:22-23参照)。イエスはもともと神として来られたお方です。イエスは神の御子です(「一つの石が人手によらずに切り出され」,ダニエル2:34)」主の御国は目に見えて成長を遂げます。(「全土に満ちました。」,35)

今、世界中にはイエスの御名を告白する人々は二十億人以上いるのです。主の御国は永遠の尺度で計られるのです(44)。それは「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国(2ペテロ1:11)」なのです。

ダニエル自身の地位は定まりました。それはこの世的な野心によってではなく、人間に従うよりも神に従うという単純な目的を持つ者に対して与えられる神の介在によって、成し遂げられたのです。ダニエルはネブカデネザルの宮殿にいた魔術師たちのように人間的な寵愛を求めたり欲しがったりしたのではなく、父なる神を知り、そのお方の喜ばれることを求めたのです。

ダニエルと、シャデラク、メシャク、アベデネゴは神に献身し続けました。そして彼らは自分たちが信じることのゆえに死ぬことも辞さなかったのです(ダニエル3章)。彼らは本当に神は存在し、その方は大いなるお方であるとい事実の上にすべてを賭ける覚悟を持っていたのです。

祈り:主よ。私の命と私の唇をもって、神がおられ、そのお方が大いなるお方であるとこの世界に告げることができるようにお助けください。アーメン。

H.K

References

Nicky Gumbel, The Jesus Lifestyle, (Alpha International, 2011) p.113–114.