Tokyo Chapel

2019年9月21日

第264日

あきらめない

ウインストン・チャーチル卿はイギリスの最高の指導者と唱えられます。チャーチルは長生きし、英雄的な人生を送りました。また生き生きとした修辞を用いて国民を結束させました。彼の伝記の中で最も目を引く出来事の一つは、第一次世界大戦の際、ダーダネルス遠征に失敗し、海軍大臣を辞めたことです。彼は見事に失敗しましたが、あきらめないことを学んだのです。

かつてこの話を私は聞きました。チャーチルが彼の出身校であるハーロー校に、少年たちに演説するために戻った時、全校生徒が彼の知恵ある言葉を聴こうと集まりました。この偉大な男は立ち上がり声を放ちました。「若者たちよ!あきらめてはならない。あきらめてはならない。あきらめてはならない。」演説そのものは数秒で終わってしまいました。それから、彼は席に着きました。そこにいた者は一人残らず彼の言葉を忘れることはありませんでした。

正確に言うと、これは広く行きわたった説で、チャーチルは実際に演説したのは。もう少し長い演説でした。その演説の最後にあたって彼が言ったのは「決して屈するな、決して屈するな、絶対に、絶対に、絶対に、絶対に。大事であれ些事であれ、重要なことであれ取るに足らないことであれ、信念と名誉と良識の許さぬ限り、決して屈するな、力には屈服するな、たとえ明らかに敵の戦力が圧倒的であっても屈服するな」でした。

今日の世代において、忍耐や辛抱強さを必要とすることは人気がなく、物事がなんでもインスタントになっているように思えます。私たちはインスタントな見返り、インスタントな結果を求めるのです。しかし、時に、長い時間をかけてとても大きなつけを払うのです。


熱心さをもってあきらめない

箴言23:10-18

「あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも(恐れることに熱心で,NIV訳)いよ。確かに終わりがある(あなたには将来の希望がある,NIV訳)。あなたの望みは断ち切られることはない。(17-18)」

聖パウロは良く似たことを記しています。「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。(ローマ12:11)」私たちは、イエスと初めて出会った日と同じように熱心であるべきです。ベア・グリルスが言うように「あなたが知っているもっとも熱心な人になりなさい。熱心であることは、困難な時に大きな支えになります。あなたの周りの人々を励まし、その影響が拡がっていきます。」

何年か前に、私はこの箴言の余白に書き込みました。「私はむしろ人々(その当時の同僚)や彼らの仕事を羨ましく思う。羨まず、彼らのために熱心であること。それは神が私に与えた言葉です。そして神は「明るい未来(箴言23:18,GNB訳)」を約束しています。その約束が私の仕事と結び合わされていることを主を賛美します。」

祈り:主よ。私が熱心さを欠くことがないように、そして私の霊的情熱を保ってください。あなたの「明るい未来」という約束を感謝します。


良いことをすることをあきらめない

ガラテヤ6:1-18

「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(9)」

パウロはこの手紙の最後に至って、ガラテヤの人々にチームとして共に労することを励まします。もし誰かが道から逸れるなら、優しく彼らを立て直すことを求めましょう(1a)。しかしまた、あなたが誘惑に遭う時、陥らないように自分を見張りましょう(1b)。あなたは自分の人生に責任があります。「おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。…人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。(4-5)」

私たちはまた、チームの他のメンバーにも責任があります。「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。(2)」

パウロは私たちが皆、重荷を負っていることを前提とします。ここで用いられている言葉は「重い荷物」を意味します。それは幅の広い言葉で、苦難、病気、肉体的な障碍、悲しみ、悲嘆、心配、責任(経済的、その他)、誘惑、過ち、疑い、弱さ、失敗(倫理的、その他)などを含みます。言い換えると、担うことが難しいあらゆる負荷を含むということです。

イエスがあなたのそれらの重荷担う一つの方法は、人と人との友情関係を通してです。パウロの重荷をテトスが助けて担ったという方法がそれです。

私は他人に頼るよりも独立的で、自己完結することが好きです。しかし、私はあなたの重荷を担うようにデザインされていますし、あなたは私の重荷を担うようにデザインされています。「 互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。(2)」

自分自身のことしか言うことが出来ませんが、私は話しをし、いつも祈り、一人で担うには余りにも重いように思える荷を担うのを助けてくれる親しい友達がいることをとても感謝しています。私たちは多くの事柄を一緒に過ごしていきます。一緒に苦しみ、一緒に喜ぶのです。このすべては重荷を分かち合うのを広げることを助けました。

チームの主題は良い種を蒔き続けることです。「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。(7-8)」

聖パウロはガラテヤの人々に書きました。「飽いてはいけません。(あきらめてはなりません。,NIV訳)」誘惑は良いことをすることに疲れてしまうことです。しかし、約束は、あなたがもしあきらめずに蒔くなら収穫を得るということなのです。すべての人々に良いことをする為にすべての機会を用いましょう。「私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。(10)」

私たちの周りにはがっかりさせることがたくさんあります。あきらめさせようとする大きな誘惑もあります。あなたが種を蒔く時、あなたはすぐに結果を見ることは出来ません。それには時間がかかります。時に、何年も経ってから振り返ってみると、あなたが蒔いた種が最終的に実を結んでいるのを見ることが出来るのです。あなたが天での収穫を見るまでは、蒔かれた多くの種がどうなったかをもあなたは何も知らないのです。前向きであり続ける鍵は、永遠の視点を保持し続けることです。

パウロは「十字架のキリスト(12)」の単純なメッセージを宣べ伝えることをあきらめませんでした。彼は前進し続け、蒔き続けました。彼はこのメッセージに付け加えることも差し引くことも拒みました。彼は迫害を避けるためにもっと人気のあるメッセージを語ることも拒みました(12)。その結果、彼は迫害されました。パウロは記しました。「私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。(17)」

祈り:主よ。蒔き続けることが出来るように助けてください。善を行い続けること、約束を保持し続けることを。もし、私たちがあきらめなければ、時宜を得て、私たちは収穫を刈り取るようになるのです。


神の愛に信頼することをあきらめない

イザヤ49:8-51:16

毎朝、イザヤは神が自分に語り掛け、指示を与えられるのを待ちました。そうして彼はあきらめてしまう誘惑に遭った「疲れた者」を励まして支える正しい言葉を知ろうとしたのです(50:4)。

この箇所で、イザヤがした方法は、彼らへの神の愛について彼らに語ることによってでした。イザヤは神のあわれみ(49:10-13)を語りました。そして、彼は神の愛について5つの類比を用いました。

  1. 羊飼い
    神はあなたを羊飼いが自分の羊をあいするように愛しておられます。イスラエルの羊飼いとして、神はご自身の民を捕囚から引き戻されました。ご自身の愛のうちに、神はご自身の目的に仕える障害物さえ設けられました(11,MSG訳)。イエスはこの良い羊飼いの描きを取り上げて、ご自身に適用なさったのです(ヨハネ10:3-15)。
  2. 母親
    あなたへの神の愛は、母親が自分の子どもを愛するよりもまさって大きな愛です。「母親が自分の胸に抱く幼子を忘れることができようか?自分が産んだ赤子を置き去りにできるだろうか?しかし、たとえ母親が忘れたとしても、わたしは決してあなたを忘れない。― 決して!」(15,MSG訳)
  3. 彫刻師
    主は言われます。「わたしはおのおのの手のひらに、刺青を彫るように、あなたを刻んだ。(16,AMP訳)」バビロン人は自分の愛した者を心に留めるために刺青をしました。神の愛とあなたへの誓約は、ご自身の手のひらにあなたを刻むことによって確かにされるのです。
  4. 勝利者
    神の愛は勝利者のようです(25-26)。神はあなたのためのご自身の目的を成し遂げるのに、そして、あなたを圧迫する者たちに対抗して闘うのに十分な強さを持っています(25)。

  5. 人々は神は自分たちの罪のゆえに自分たちと離婚したのだと言われました。捕囚を引き起こしたのは彼らの弱さと彼らの罪のせいであるけれども、神は彼らを立て直すことができると神は応えられました。神は彼らと離婚したりせず、あるいは奴隷として売り払ったりしなかったのです(50:1)。誰一人として神が届くには遠すぎるという者はいません。神はご自身の民と結婚されました。神のあなたへの愛は夫と妻との愛よりもさらに大きいのです。

イザヤは主に信頼し続けるように民に勧めました。「わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。(49:23)」神は彼らをご自身の苦難のしもべを通して救い出されました。「侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。しかし、神である主は、私を助ける。それゆえ、私は、侮辱されなかった。それゆえ、私は顔を火打石のようにし、恥を見てはならないと知った。(50:6-7)」

侮辱され、その顔につばきをかけられることを知っておられたイエスは、その顔を火打石のようにし、自分がそこで十字架につけられるであろうことを知っていたエルサレムに向かおうとなさいました。イエスは堅く心を定められたのです。イエスはあきらめませんでした。神はイエスの正しさを立証されました(8)。その結果が大いなる勝利と大いなる収穫であったのです。

祈り:主よ。あなたに信頼する者に決して恥を見させないことを感謝します。私に向けられたあなたの大いなる愛を信頼し続けることができますように。アーメン。

H.K

References

Bear Grylls,, A Survival Guide for Life, (Corgi, 2013), p.29