Tokyo Chapel

2019年3月9日

第68日

あなたの心にあるものは?

ノーベル賞受賞者でもあり、20世紀後半の偉大なロシアの文学者であるアレキサンドル・ソルジェニーツィン(1918-2008)氏は、スターリン批判をしたために8年間投獄された経験を持っています。その彼が次のように記しています。「善悪を分ける境界線が通っているのは国家の間でも、階級の間でも、政党の間でもなく、一人びとりの人間の心の中、すべての人びとの心の中なのである。」

私たちはみな神の似姿に創られました。人間は、偉大な愛と勇気と勇敢な行動を行うことができる存在です。しかしながら、イエス以外は、誰ひとりとして罪を持たない者はいません。あなたは、あなたの心の中に何があるかを知っていますか?


あなたの心とその弱さ

箴言6:30-35

すべての罪は神の戒めを破り、それゆえに深刻です。しかし、ある罪は他の罪よりも悪いものです。

箴言の作者は、このポイントを飢えのゆえに盗んだ者についての例を用いることによって示しています。もちろん、盗むことは罪であり、彼は償わなければなりません(30-31)。

しかし、作者は姦淫がもたらす結果はもっと深刻であると言うのです。それは「傷と恥辱」「そしり」「嫉妬」「復讐」(33-34)そして人生の崩壊という代償が伴います。特に姦淫を行った者自身「魂の破壊、自己破壊…評判は永遠に台無し(32-33,MSG訳)」

作者は言います。「嫉妬が、その夫を激しく憤らせて、夫が復讐するとき、彼を容赦しないからだ。(34)」人間の本性は何千年経っても変わっていません。

性やお金は、それそのものが悪ではありません。しかし、それらの周りには大きな誘惑があります。今日の旧約聖書の箇所にあるたくさんの戒めは、それらにしっかりとした境界線を引いて、それらを元来の使い方で正しく安全に用いる術を身につけるためのです。

祈り:主よ。あなたが私たちに賜物を与え、それを本来の目的に従って用いることができるように境界線を設けてくださったことを感謝します。誘惑に近寄らないように導いてください。そして悪からお守りください。


あなたの心と結果

マルコ14:43-72

罪深い人間の性質がイエスの死をもたらしました。チャレンジは今までと違う生き方をすることです。

  1. 純粋であれ
    ユダは裏切りイエスを敵に渡しました。その合図は「口づけするのが、その人だ(14:44)」ということでした。ユダはイエスに近づいて行き、「口づけ(45)」しました。ギリシャ語の「偽善」ということばは「仮面」という意味があります。(古代ギリシャでは演劇において仮面を用いました。)ところで、ユダはイエスに愛の仮面をつけていました。事実、彼の裏切りがイエスを十字架につけました。この口づけは究極の偽善です。ジョイス・マイヤーは、彼女のいう「ユダの口づけテスト」について記しています。それは、私が愛し、尊敬し、信頼していた友から裏切られた時のテストです。リーダーシップの立場にあるほとんどの人は、その立場にある時間の長短によらず、これと同じような体験をするものです。あなたは「あなたを責める人を赦し、神があなたにするように召しておられることをするのを遅らせるたり失敗させたりする原因を彼らに造らせてはなりません。」
  2. 真理を語る
    イエスに対する反証は何もなかったので、彼らは偽証言をあてにしなければなりませんでした。それでも、イエスに反する証言がたくさん用意されました(56)。私が弁護士だった頃、法廷でも「偽の証言」を用意する人たちが何人もいるのを実際に見ました。
  3. 買収と闘う
    今日の世界でも買収された裁判官はいます。「彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた。(64b)」としてもイエスが完全に無罪であったということを、彼らは知っていたし、あるいは、知っているべきでした。
  4. イエスと同一化する
    私はペテロがイエスを否認したことに深い同情を覚えます。彼は本当に否定したかったわけではなく、肯定することに失敗したのです。人とは本当に弱いものです。ペテロが否認の弁明はペテロ自身からしかできません。彼はなんでもオープンであり、傷つきやすい人物です。それが彼自身の弱さと失敗を明らかにしています。イエスが深刻な問題の中にある時「みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。(50)」しかしながら、ペテロは勇敢でした。そして「大祭司の庭の中まで入って行った(54)」ほどでした。イエスが尋問されている様子が見えるほどの距離にいたのです。一体他の弟子たちはどこに行ってしまったのでしょうか?ガリラヤに逃げ帰る途中だったかもしれません!しかし、偉大な使徒ペテロのしどろもどろな言葉が出てきます。ペテロの友であり師であるイエスが尋問を受ける最中、ペテロは「役人たちといっしょにすわって、火にあたっていた(54、67)」のです。ペテロがイエスに起こること、これから苦難を受けようとしていることを見ていた時、ペテロはイエスとの距離が広がって行きました(54a)。その方向に向かい始めた次の段階がイエスを否認することでした。コースから外れてしまい、嘘をつきました。そしてついには「私は、あなたがたの話しているその人を知りません(71b)」と言ったのです。私はペテロはイエスとの距離をそんなにも離れた位置に置くことを意図していたのではないと思います。しかし、私たちは皆、ひとつの罪が簡単に、もう一つの罪へと導き、気が付いたときには、後悔してもしきれない結果に導くことがあるのです。ペテロは我に返った時、「彼は崩れ落ち、泣いた(72c,NIV訳)」のです。

祈り:主よ。あの偉大なペテロでさえ、失敗し、取り乱してしまったことを通して慰めを与えてくださっていることを感謝します。あなたは彼を赦しました。彼を回復させました。そして、あれほどに力強く用いました。あなたの驚くべき恵みを感謝します。


あなたの心と神の律法

レビ19:1-20:27

「神は私たちに純粋できよく生きることを願っておられます。純粋で清い水の流れのようにです。なぜなら、神だけがあなたの源だからです。」とジョイス・マイヤーは書きました。レビ記のこの部分(17-26章)は「聖潔法(the holiness code)」と呼ばれています。「あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。(19:2)」

人間の性質は気まぐれな面があるので、律法の必要がありました。どのような社会にも民法と刑法があります。これらの律法のいくつかは、特別であり、古代イエスラエルの問題を直接的に取り扱っています。他のものは広く一般的でほとんどの社会に適用できるものです。

儀式的な律法は今は廃止されました。食物規定はイエスによって一新されましたし、いけにえはイエスの死によって成就しました。民法は他の国に適用される必要がありません。あるものは人道的であり、他のものは冷酷です。それらはイスラエルの歴史の初期の段階にとって必要なものであったと考えられますが、永続的あるいは普遍的な有効性を持つものではありません。

道徳律法はイエスによって拡大され深められました。そして使徒たちの手紙に、特に律法の禁止事項への彼らの積極的に並置されました。道徳律法は神のご自身の民への御心を啓示するものとして未だに有効です。

道徳律法はイエスによって「あなたの神である主を愛せよ」また「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(ルカ10:27)とまとめ上げられました。これは今日の箇所に振り返ることができます。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。(レビ19:18b)」道徳律法は神の民が聖であるため(2b)のものでした。律法の残りの部分はどのように私たちの隣人を自分たちのように愛するか、そして、どのようにして聖であるのかということを教えています。

私たちにも適用可能な道徳律法は、貧しい者たちを保護する律法(10)、人種差別に反対し(例えば33-34)、同様に、窃盗(11)、詐欺や強盗(13a)などを含みます。

とても現実的に今日に適用できる重要な原則もしばしばあります。たとえば、「日雇い人の賃金を朝まで、あなたのもとにとどめていてはならない。(13b)」は請求金額を期限通りに支払うというチャレンジを私たちに与えます。期限通りに支払いを済ませず滞納するという傾向は現代において増えています。神の民はそれとは違うように召されています。これは小さな例にしか過ぎませんが、民が聖であることを意味します。

あなたの心をきよく保つために、あなたはあなたの人生を汚すものから離れる必要があります。さらに明白な罪のリストがここに挙げられています(2-31)。おもねったり、へつらったりしない(16)、復讐したり、恨んではいけない(18)。確信をもって、誰にも恨みを抱かないようにする。恨みを持ち続けることは、他の誰かにあなたの頭脳を無料で貸すことを許しているのと同じです。

また、「占い(26b)」の危険性を警告しています。星座占い、こっくりさん、手相、タロット占いなど、あらゆるオカルト的な行為(31)を避けなさい。もし、あなたがそれらのものに関わっていたなら、赦しを受けることができます。悔い改めて、本、お札、お守り、DVDや雑誌などそれらに関わりのあるものを捨ててしまいなさい。(使徒19:19)

律法のもう一つの側面は、罪から光へ取り運び、悔い改めと神の恵みへの信頼へと導きます。それらの律法をすべて読むなら、その通りに生きることがどれほど大変かが分かります。神の基準に達することがどれほど大変で主のゆるしを得るためにどれほどの必要があるのか、そして聖霊の助けがどれほど必要なのかが分かります。

祈り:主よ。あなたは、あなたの死によって私たちを律法から自由にしてくださいました。イエス・キリストにある者は、いまや罪に定められることがないことを感謝します。今日、あなたの聖霊に満たしてください。そして、聖い生活へと導いてください。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, Everyday Life Bible, (New York: Faithwords, 2013), pp.189, 1593.

Aleksandr Isaevich Solzhenitsyn, The Gulag Archipelago, Part 1 & 2, (Harper Row, 1974)