Tokyo Chapel

2018年6月19日

第170日

聖書の中に宝を見つける方法

私が初めてイエスと出会ったのは、聖書を読むことを通してでした。それ以来、私は毎日聖書を読むことが生活の中で日課となりました。私は聖書を読むたびに至る所に新しいことを発見します。

イマヌエル・カントは言いました。「聖書はすべての真実の尽きることのない泉である。聖書の存在は人類がすでに経験した最も大いなる祝福なのだ。」聖書を読み、消化することはあなたのための無尽蔵の宝です。そうしてあなたは神と出会うことが出来ます。

しかし、いつも簡単に理解できるとは限りません。より良く聖書を理解するための鍵となる材料は、作者が用いた言語とジャンルを認識すること、すなわち文学様式とそれゆえ作者が意図したことを認識することです。


力強い比喩

詩篇75:1-10

「真実」は必ずしも「字義的」であるとは限りません。この詩篇の中に「比喩的」な表現の中に真実があるという例を私たちは知ります。

神が正しいお方であるというのは私たちの普遍的な土台です。今日の詩篇の中に、少なくとも4つの比喩が神の正しさを表しています。

  1. 悪とその働きについて
    詩篇の作者は、神がこの地に実際に「を立てる」と字義的に言ってるのではありません。作者は故意に比喩的な言葉を用いたのです。これは詩歌で用いられる言葉であって、「文字通り」に読むことが真実な読み方というのではないのです。

    「地とこれに住むすべての者が揺らぐ(3a)」というのは、悪がこの地を混乱させるという比喩です。悪が社会や人々を揺るがしたとしても、主は確固として、ご自身がお創りになった世界を支えて下さると宣言しているのです。「わたしは地のを堅く立てる。(3b)」

  2. 権力とその問題について
    (4)」は権力のたとえです。やはり、これも比喩的に用いられているのです。これは詩的な用語です。神は義の角(すなわち、権力)を高く上げ、悪者どもの角(権力)を、ことごとく切り捨てるのです(10)。権力は容易に堕落し傲慢に陥ります。神は傲慢な者に「もう誇るな(4,NIV訳)」と言っているのです。
  3. 働きと権力
    「主の御手(8)」は神の力と権力の象徴として用いられています。これは擬人化された言葉です。人間ではないものに人間であるかのような属性を付して用いられる言語です。

    私たちが奉仕に「手をつける」とき、私たちの「手」そのものは小さな働きしかできませんが、しかし、神は私たちの働きを通して、ご自身の全能の力をもって働いてくださることを象徴しているのです。

  4. 裁きとイエス
    神の裁きになぞらえて「(8)」はもう一つの比喩です。「神は、溢れるばかりにぶどう酒に満ちた、杯をその手に持っておられる。神はそれを引き寄せ、そして注がれる。それを一滴も残さず飲み干すのだ。地上の悪者はそれをすべて飲みつくす。最後の苦い一滴まで飲みつくすのだ。(8,MSG訳)」

    十字架の上でイエスはその身に神の裁きのを受けました。イエスはそのことを事前に語っていました(マルコ10:38,ルカ22:42,ヨハネ18:11)神の裁きを私たちに代わって受けてくださったのです。

祈り:「私たちは、あなたに感謝します。神よ。私たちは感謝します。御名は、近くにあります。(詩篇75:1)」やがて、あなたがこの世界からすべての悪を一掃してくださり、善と義が永遠に行き渡ることを感謝します。


歴史的事実

使徒13:13-41

あなたが赦されたと確信できる根拠は何でしょうか?あなたは死が終わりではないとどうして知ることができるのでしょうか?あなたは永遠の命を得たことをどのように確証出来るでしょうか?

あなたはこれらすべてをイエスの生と死と復活という歴史的事実のゆえに確かなものとすることができるのです。

ルカは歴史を記しました。彼が記した二巻の作品、ルカによる福音書と使徒の働きの冒頭に、ルカは「証人」たちによる証拠を持って彼らに説明していると語っています。彼は注意深くすべての事柄を精査し順序だてて説明して書きました。「それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたい(ルカ1:3-4)」と説明しています。

今日の箇所はパウロの伝道旅行の経緯や彼の説教のレポートを記しています。同様に、パウロの説教の中で、パウロは歴史的事実について語っています。パウロは神の民の歴史を再び語っているのです。出エジプト、荒野での40年、カナンを勝ち取ったこと、士師の時代、王たちの時代。それらはダビデに通じ、その子孫として歴史の中にイエスが現れたという歴史的事実です。

それから、パウロはその死、特にイエスの復活についての歴史的事実に焦点を当てます。彼の復活についての主張は4つあります。

  1. 神の働き
    「彼らは彼(イエス)を十字架から降ろし、葬った。それから、神は死から彼をよみがえらせた(使徒13:29-30,MSG訳)」それは旧約聖書の中で神が約束しておられたことでした。神は新約聖書の中で「イエスをよみがえらせ(33)」それによって約束を果たされたのです。それは旧約聖書の中で預言されていました(34)。「確かに2番目の詩篇の中に記述されているように、神はイエスをよみがえらせた。(33,MSG訳)」
  2. 歴史的事実
    パウロは「神がイエスを死者の中からよみがえらせた事実…(34,NASB訳)」について語りました。復活は比喩ではありません。それは、私たちの心の中に存在した経験というだけのものでもありません。それは、パウロがいうように「歴史的事実」です。イエスは本当にその肉体において復活したのです。イエスの体は死からよみがえりました。

    「以下のことは議論の余地がない。つまり、何度も何度もそしてあらゆる場所で、彼(イエス)が何年も慣れ親しんだガリラヤの人々に彼は現れた。その同じ人々が彼は生きていると証しし続けているのだ(31,MSG訳)」

  3. 比類なき出来事
    イエスが復活したことは、歴史上2つとない出来事でした。パウロはダビデとイエスを比較してダビデは死に、朽ち果てたがイエスは朽ちることがない(36b)と語りました。他にも蘇生した人はいます(しかし、彼らもやがて死にました。)、しかし、イエスはよみがえり、その体は朽ちることがありませんでした。「神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされた(34a)」のです。
  4. 良きおとずれ
    パウロが語ったのは「良い知らせ(32)」です。復活は、イエスの十字架の御業によって罪の赦しが与えられる(38)ことを意味します。信じる者は皆、義とされるのです(39)。あなたの過去はすでに取り扱われ、あなたは神との正しい関係に生きることが出来るのです。

復活の歴史的事実はあなたの人生とあなたの将来に莫大な意味を持っています。もしイエスが死に、葬られ、そして神によってよみがえらされたのなら、やがてある日、イエスを信じた者は死に、神によってよみがえらされ、永遠に生きることになるのです。(1コリント15、1テサロニケ4:13-18)

あなたが、あなたの「世代に」、「神の目的に仕える」時、あなたはまた「眠りにつき」(使徒13:36)、それから神はあなたを永遠の命によみがえらせるのです。

祈り:主よ。復活という驚くべき良き知らせのゆえに感謝します。私の罪が赦され、私が義とされ、もはや死を恐れる必要がないことを感謝します。どうか、ダビデのように、自分の世代にあなたの目的に仕えることができるように助けてください。


型としての表れ

1列王6:1-7:22

神があなたの人生の細々したことに関心を持っておられると考えていますか?神殿の設計に関して神が精密な指示を与えているのを読むときに、神は新約聖書において覆いが取り除ける、さらに大いなる神殿を、神がどれほど注意深く準備し、予期し、前もって示されたかが分かるのです。もし神が建物の詳細についてそんなにも関心を持っておられるなら、神があなたの人生の詳細にもっと関心をもっておられることを確信することができるでしょう。あなたの関心事は、神にとっても関心事です。

類型論は象徴的な表現についての事柄です。旧約聖書に表されている型を読み解くことは、クリスチャンの聖書理解の鍵となります。新約聖書の大いなる真理のいくつかは、旧約聖書の救いの歴史の中に予見されています。例えば、アダムはキリストのとして記述されています(ローマ5:1,NASB訳)。

旧約聖書の神殿は、新約聖書における神殿である神の民の「型」として見ることが可能です。今日の箇所にはソロモンが7年かけて建てた神殿の事が記されています(1列王6:38)。それは神が御自身の臨在を地に顕す場所でした。神は「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。(6:13)」と語りました。

ですから、神が臨在される場所であるゆえに最高の場所として供えられたのです。神の御名がかかっていました。彼らは自分たちの出来る限りのことをしました。それは「目もくらむばかり(22,MSG訳)」のもので、「費用を惜しむことはありませんでした(7:9,MSG訳)」もし、秀逸であることがそれらにとって高い価値を持つなら、今、私たちの中に表される神の臨在は、どれほど高い価値をもつものなのでしょうか。

神が急いでいないということは注目に値します。「イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建設に取りかかった。(6:1)」

旧約聖書の神殿は神の民を指し示しています。私たちは神の家です。神は私たち一人ひとりに住まわれるのです。あなたの体は聖霊の宮です(1コリ6:19)。今日、教会は主の聖なる神殿であり、神がご自身の霊によって住まわれるのです(エペソ2:21-22)。今日、それは神の」なのです。

祈り:主よ。あなたのみことばの中に無尽蔵の宝を見ることができるように、私の眼を開いてください。さまざまな表現やことばであらわされている聖書の真理を、読み、記し、学び、内面で読み解くことを助けてください。そしてついには、十字架にかかり、死からよみがえられたイエス、聖書全体が指し示すそのお方を見ることが出来ますように。アーメン。

H.K