2018年4月16日

第106日

主の臨在

もしあなたが誰かを愛しているなら、他の何よりも、その人があなたと一緒にいることを切望するでしょう。写真があると心穏やかになります。電話、メール、ショートメッセージもいいでしょう。手紙もいいものです。スカイプやフェイスタイムも素晴らしいコミュニケーションの道具です。でも実際にその人のそばにいることにはかないません。

アダムとエバが罪を犯した時にエデンの園で失ったものは、神の臨在です。イエスラエルの民の際立った特徴は、律法を持っていたということ以上に、彼らと共にあった神の臨在です。神殿において第一とされるものはいけにえではなく、神の臨在の場所であるということでした。捕囚は神の民にとって大きな災害でした。なぜなら、彼らは神の臨在から遠く離れさせられたからです。

神は、ご自身の民のただ中に再びおられることを約束されました。この約束はイエスと聖霊の来臨によって成就しました。その約束はあなたのものなのです。


全能なる主は私たちとともに

詩篇46:1-11

旧約聖書の中で神の臨在はエルサレム、つまり神の都、と関連付けられていました。「神はここに生きておられる(5,MSG訳)。」特に、それは神殿、つまり「いと高き方の聖なる住まい(4b)」、「神はそのまなかに」いまし(5a)「万軍の主はわれらとともにおられる(7,11)」所、と関連付けられました。

イエスが地上におられたとき、イエスはご自分の身体が神が臨在なさる神殿であると宣言されました(ヨハネ2:19-22参照)。ペンテコステの日に、神の臨在がくだり、聖霊を通してご自身の民に臨みました。新約聖書において、神の臨在は物理的な建物にではなく、ご自身の民、つまり「聖なる宮(エペソ2:19-22)」にあるのです。

人生において、しなければならないことがいつもたくさんあるように思えます。そしてそれは、積極的に取り組みたくなり、どんどん進めたくなるという誘惑があります。しかし、主はあなたに「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。(詩篇46:10)」と勧めています。もしあなたが主の前に静まり、主に聴くための時間を取るなら、神があなたとともにおられることを知ることからもたらされる、この詩篇の中にある幾つかの祝福がわかるでしょう。

  1. 平和
    「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。(1-2a)」
  2. 喜び
    「川がある。その流れは、…神の都を喜ばせる。(4a)」イエスは聖霊は「いのちの水の流れ(ヨハネ7:38)」をもたらすと言いました。この川はどこかの都にではなく、あなたの心にあります。
  3. 安全
    「神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。(詩篇46:5)」
  4. 守り
    「万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。(7,11)」「神は私たちのために戦われる」そして「私たちを守られる」(11,MSG訳)

祈り:主よ。今日私は「静まって、あなたが神であることを知る(10)」ことを望みます。私は恐れや、心配、思い煩いをあなたのもとに取り運びます。あなたを信頼することが出来ることを感謝します。あなたがもたらしてくださった、あなたの臨在そして平和と喜びと安全と守りを感謝します。


神の国はあなたの中に

ルカ17:11-37

イエスの到来と神の国の到来をもって、神は御自身の民の内に住まわれました。イエスは「インマヌエル…神ともにいます(マタイ1:23)」お方です。イエスは神の国が「すでに今」と「やがて」の両方であることを教えました。

  1. 神の臨在「
    パリサイ人は神の国がやがていつ来るのだろうかとイエスに尋ねました。イエスは「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。(ルカ17:20-21」と答えられました。

    神の国は神の支配と統治です。御国の福音を語り、病人を癒し(たとえば15-18)、そして死と復活によってイエスは神の国の王として即位したのです。イエスが来られ、そして聖霊が到来したことをもって、神は人々の間にご自身を表しました。しかしながら、主の臨在はいつも目に見えるものではありません。「そら、ここにある」とか「あそこにある」(21)などといつも言えるものではないのです。しかし、主の臨在が誰の目にも明らかになる時がくるのです

  2. 神の臨在「やがて
    その日、イエスは再び来られます。そして神の国は完全に現されます。「いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。(24)」

    それは人の子が栄光を受けられる日です(30)。そして顔と顔を合わせるのです(1コリ13:12)。そして永遠にこのお方と共に過ごすのです(1テサ4:17)。

今は神の臨在を眼で見ることはできません。人々は食べること、飲むこと、結婚すること、買うこと、売ること、計画すること、建てること(ルカ17:27-28)に焦点を当てています。これらのことは、そのこと自体が悪いわけではありません。これらは毎日の日常生活の一部分です。ノアの時代とロトの時代の共通問題は、多くの人々が警告を聴かなかったということです。イエスはあなたに準備し始めるように勧めているのです。

逆説的なことに、自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます(33)。もし、あなたが、いつも自分自身から出る最高のもの…最高のお金、地位、名誉、有名になることなど…によって、その方法を見つけようと試みるなら、あなたは見失います。自分自身を捨てて、イエスに従うなら、実際あなたはそれを完全に見出すことになるのです。

あなたはイエスの初臨と再臨の間の時代に生きているので、神のすべての祝福を感謝することを忘れてはなりません。十人のツァラアトに冒された人のうち、大声で神を賛美しながら帰ってきたのは一人だけでした。彼は「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」のです。(ルカ17:15-16)

残りの9人のように、イエスに感謝することを忘れてしまいやすいのです。祈りが答えられたことをイエスに感謝することを持つ時間を作りましょう。イエスの変わらぬ愛、赦し、優しさ、…特に神がともにおられるという約束を覚えて。私は最近、ハイド・パークで祈っている時、神に100の事柄を感謝しようと決心しました。私はすぐに決心しましたが、それらの事柄を思いつき、リストにし始めるには時間がかかりました。

祈り:主よ。あなたに感謝をささげることを忘れてしまいやすい者であることをお赦しください。あなたのすべての祝福を感謝します。


主の臨在

申命記26:1-28:14

この箇所で「主の臨在」の理解に対する旧約聖書の背景の一部分を見ます。主があなたに遺産として与えてくださる地とは「あなたの神、主が御名を住まわせるために選ぶ場所(26:2)」なのです。

彼らは「神の臨在の中で(5,MSG訳)」彼らの歴史を唱えるべきでした。彼らは「神の臨在の中で(10,MSG訳)」ひざまづくべきでした。「神の臨在」の中で、彼らは、自分たちの上に注がれる神の祝福のために祈るべきでした(9-16,MSG訳)。彼らは「神の臨在」の中で喜ぶべきでした(27:7,MSG訳)。

神は「窮状と労苦と圧迫(26:7)」からご自身の民をお救いになりました。これは神の臨在のない人生をうまく描写しています。神はご自身の民を「主の宝の民」と呼びました(18)。神は彼らに、彼らが「あなたの神、主の前で」喜ぶことができる礼拝の場所を建てるように言いました(27:7)。

罪は神の臨在から遠のけるものです。それゆえ、神はご自身の民に偶像礼拝、家庭を軽んじること、盗み、盲人にまちがった道を教えること、不義、性的不道徳、殺人、賄賂を避けるように警告します(14-26)。

それとは反対に、もし、ご自身の民が主に従うなら、彼らは主の祝福をすべて楽しむようになります(28:1-14)。神は彼らの家庭、家族、仕事、その他の活動を祝福すると約束しています。ジョイス・マイヤーが記しているように「従順は状況的な出来事であるべきではありません。それは人生のあり方であるべきです。毎日神に従うことを意思する人々と、問題から脱出するためにだけ従うことを選ぶ人々との間には大きな違いがあります。神は確かに問題から脱出する方法を民に見せてくださいます。しかし、神は神のために心を尽して生きること、そして、彼らのライフスタイルを神に従わせることを決心した人々に祝福の雨を降らせます。」

もちろん、完全に主に従いきるという人はイエス以外にいません。イエスの死と復活は、あなたを赦し、神の臨在を楽しみ、この箇所で約束されているすべての祝福の前味を味わうことを可能にするのです。そして来るべき日に、イエスが再臨する時、あなたは、父、子、聖霊なる神の臨在を見える形で完全に体験することになるでしょう。

祈り:父よ。あなたが約束して下さったすべての祝福を感謝します。イエスキリストによって、私たちが赦しを受け取ることができるようになったことを感謝します。今、私たちはやがて神を見ることができる完全な祝福を、その前味として味わうことができますことを感謝します。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, How to Hear from God, (Faithwords: New York, 2003) p.222