あなたが蒔いた以上に刈り取る方法
ウォルター・ニシオカはいつも水曜日のブランチを食べるハワイのホテルのサービスが良いことを知っていました。しかし、メニューには載っていない思いもよらないものを注文した時、彼はどんなにか素晴らしいかに気づきました。それは一人のウェイターの腎臓です。
ニシオカ氏は70才の地元のビジネスマンでした。彼は重い腎臓病で早急に腎臓移植の必要があることを医師から告げられていました。彼は、そのウェイターと出会うまでは、適合する提供者が見つかるとは思っていませんでした。ホセ・ロカサ、52才、が名乗りを上げてくれたのです。ニシオカ氏は言いました。「私はそれほど長生きできるとは思っていませんでした。医師は適合する提供者が残念だけど見つからないと言ったのです。しかし、ここにいる素晴らしい男性が多くの助けをもたらしてくださったので、今私はこうして元気に生きながらえているのです。」
22年間、ニシオカ氏はホテルに頻繁に通い続けていました。ホセ・ロカサは彼のウェイターだったのです。そして愛想が良くて親切なので、いつも彼を呼び、気前よくチップをはずんでいました。「私はただ、彼を助けたかっただけなんです。何年も、ランチを食べに来てくれる彼と親しくなって、最善を尽くして彼を幸せにしたいと思ったのです。そして、彼はいつもその見返りをはずんでくれました。ですから、当然、私は言ったのです。『心配しないで、私はあなたに腎臓を提供します。』って。」
ニシオカ氏は気前よく蒔きました。そして、思いがけない大きな収穫を得たのです!
今日、私たちは次のことを見ます。
・あなたは、あなたが蒔いたものを刈り取ります。
・あなたは、あなたが蒔くより後に刈り取ります。
・あなたは、あなたが蒔くより多くを刈り取ります。
正義を蒔く
詩篇58:1-11
80万人以上の人々(その多くは女性や子どもたちです)が性的な悪しき人身売買の被害に遭っています。推定3千万人の人々が現代における奴隷状態にあります。ほとんど毎日のように、ISISや悪しき勢力によって残虐行為が行われているのを耳にします。
詩篇の作者はこの世の不正義を訴えます。「この国はどうなっているのか?正直な政治家はこの家にいるのだろうか?(1,MSG訳)」
彼は正しく語ろうとしない支配者たちに対抗して叫んでいます(1)。彼らの心は不正を生み出し、彼らの手は「暴虐を、はびこらせている」のです(2)。彼らは「悪の大釜」であり、「悪霊を取り扱っている」のです(2,MSG訳)。彼らは偽り(3)、正義を求める者たち(人も神ご自身も)の声を無視しているのです。「耳の聞こえないコブラのよう。これは、蛇使いの声も、巧みに呪文を唱える者の声も、聞こうとしない。(4b-5)」
どのような社会においてもリーダーシップが鍵です。指導者が不正を蒔くと、恐ろしい結果を招きます。彼らは毒を蒔いているのです。「彼らは蛇の毒のような毒を持ち(4)」彼らは不安定な社会を創造し、ついには「ひとしくつむじ風で吹き払われる。(4)」のです。そうなるとき、周り一帯が安堵に包まれます。彼らは蒔いたものを刈り取ったのです。同様に、「まことに、正しい者には報いがある。(11a)」この原則が働くのを見るときに、私たちは「さばく神が、地におられる。(11)」ことを知ります。
しばしば、刈り取りは蒔いてからずっと後になって起こるものです。たとえ、私たちが最後の審判まで待たなければならなくても、この詩篇は必ず正義が訪れることを思い起こさせてくれます。神の裁きは良いことです。それは神の愛から出るものだからです。神は私たち一人ひとりを、互いに私たちがどのように取り扱ったかを価値づけます。究極的には不正義は正義によって打ち負かされるのです。そして義は喜びをもたらすのです(10)。
祈り:主よ。この世界に正義の種を私が蒔くことができるように、すべてのことを成さしめてください。私たちが不正を見たなら、どんなときも不正義に立ち向かうことができますように。
気前よく蒔く
ヨハネ6:1-24
イエスの生涯の出来事から多くのことを学ぶことができます。その一つは気前よく蒔く者は多く刈り取るという原則です。
イエスは多くの群衆がやって来るのを見ました。イエスはピリポに「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」と言われました。イエスはピリポの信仰をトレーニングしたのです(5-6a)。信仰とは筋肉のようなものです。ストレッチが必要なのです。
実際、「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられた(6b)」のですが、あえてイエスは尋ねたのです。あなたがすでに答えを知っていることであっても質問することではっきりすることがあるでしょう。(実際、私が法廷弁護士であった頃、すでに答えを知っていることを尋ねることのみを教わりました。)
「ピリポは答えました。『8カ月分の給料をはたいてパンを買っても足りません。』もう一人の弟子が…言いました。『ここに少年が大麦のパン五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなにも多くの人々にこれが何になるでしょう?』」(7-8,MSG訳)
この少年の気前良い行動は忘れ去られることはないでしょう。イエスは小さなものから大きなことをすることが可能でした。この少年は気前よく彼が持っていた「すべての食糧」を差し出したのです。確かに人の目には「たったこれっぽち」なのかもしれません。それは「このような群衆には『大海の一滴』(8,MSG訳)」でした。
しかしながら、イエスはその手でそれを増やし、少なくとも5000人を満腹させ、さらに余るほどであったのです。イエスは言いました。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。(12)」聖書的基盤が必要だとすれば、ここに、食べ物を無駄にしてはならないという原則を見ることができます。現代社会は不必要に食べ物を無駄にしている恐ろしい状況があります。
世界はすべての人に十分な食料を生み出しています。しかし、8億7千万人(世界人口の8分の1)が慢性的な栄養失調の状態に置かれているのです。同時に、人のために世界で消費される食料の3分の1(約13億トン)が無駄に捨てられています。個人生活においても、社会においてもイエスの教えに緊急に対応する必要があります。「一つもむだに捨てないように(12)」
あなたがイエスにささげるなら、イエスはそれを倍加させます。使徒パウロはこう記しています。「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります(2コリ9:6)。
知る限り最も気前のよい人になることをあなたの目標にしましょう。あなたの金銭、持ち物、時間、そして愛をもって気前良さを表しましょう。神ほど与えることのできる者はいません。あなたが与えれば与えるほど、あなたは収穫し、あなたの人生に神の恩寵をより多く楽しむことができるのです。
5000人の給食の奇跡のすぐ後で、弟子たちは嵐に遭いました(ヨハネ6:18)。イエスは肉体的必要が満たされるという目に見える奇跡に基づく信仰から、イエスご自身とその言葉に信頼する信仰へと弟子たちを招いたのです。
水の上を歩いて弟子たちのところに来るという奇跡をイエスは見せました。それを見て弟子たちは「怖気づいて動転しました(19,MSG訳)。」イエスは「わたしだ。恐れることはない。(20)」と語られました。イエスに従うことはいつも容易いというわけではありません。人生の嵐や試練がやって来ることがあります。しかし、私たちとともにイエスがおられるということは心を変えます。群衆が「イエスを捜した(24)」ことは無理もありません。
祈り:イエス様感謝します。私があなたにお渡しすると、あなたは増やしてくださいます。主よ。お金、所有物、もてなし、時間…すべてにおいて私を気前良い者としてください。
忠誠を蒔く
士師記9:1-57
何年もの経験から、自分の指導者に忠誠を蒔いた人が、どれほど、高い度合で忠誠を刈り取るかを気づかされました。彼らは非常に高いリーダーシップのポジションを得たのです。一方で、人の指導のもとに自分を置くことを拒んだ人がごたごたを起こし、自分が同じポジションに置かれたときに、同じような反目に遭うことを刈り取ることも見てきました。
この箇所で不忠実が引き起こす惨事を見ることが出来ます。アビメレクは父と兄弟たちに暴虐の種を蒔きました。「アビメレクはそれで、ごろつきの、ずうずうしい者たちを雇った。彼らは…エルバアルの息子たち七十人を一つの石の上で殺した。(4-5)」一番若い子は隠れて生き延びました。
再び、私たちは聖書的原則が働くのを見ます。「私たちが蒔いたものを私たちは刈り取る」です。アビメレクは不誠実と暴力を蒔きました。彼は不誠実と暴力を刈り取ることになります。最初、アビメレクはシェケムの人々と共謀しました(2節以降)。しかし、3年後、アビメレクとシェケムの人々との関係が悪化したときに、シェケムの人々はアビメレクに反抗して裏切りの行動に出るのです。
アビメレクは自分が蒔いたものを刈り取ることになったのです。シェケムの者たちは「アビメレクを裏切った。そのためエルバアルの七十人の息子たちへの暴虐が再現し、彼らの血が、彼らを殺した兄弟アビメレクと、アビメレクに加勢して彼の兄弟たちを殺したシェケムの者たちの上に臨んだ。(23-24)」
アビメレクはシェケムの者たちに誠実のかけらも見せませんでした。アビメレクは自分が必要な時に彼らを使いました(2)。しかしながら、彼らを抹殺してしまうことに何の躊躇もありませんでした(42-49)。
最終的には、彼らは皆、自分が蒔いたものを刈り取りました。そしてアビメレク自身はすぐそのあとで不名誉な死を迎えました(53-54)。作者はそれらをまとめてこう記しています。「こうして神は、アビメレクが彼の兄弟七十人を殺して、その父に行った悪を、彼に報いられた。神はシェケムの人々のすべての悪を彼らの頭上に報いられた。(56-57)」
祈り:主よ。教会、職場、家庭、友人たちの一人ひとりに忠実であることができますように。社会の中で真実と正義を蒔くことが出来ますように。気前よく。誠実に。アーメン。
H.K
References
Walter Nishioka story from, Charles Laurence, ‘Need a kidney? It’s all part of the service’, The Telegraph, 06 Apr 2003. https://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/northamerica/usa/1426772/Need-a-kidney-Its-all-part-of-the-service-sir.html