Tokyo Chapel

2019年4月25日

第115日

あなたの愛の身代わり

リズという名の小さな女の子が、珍しい奇病に罹っていました。彼女が回復する唯一のチャンスは、彼女の5歳になる兄から輸血を受けることでした。兄は同じ病気でしたが抗体療法の発展によって奇跡的に生き延びていたのです。医師は状況をこの小さな男の子に説明し、妹に彼の血を輸血する意思があるかどうかを尋ねました。彼はしばらく躊躇しましたが、大きく呼吸してから「わかった。妹が助かるならそうするよ。」と答えました。

輸血の日になって、彼は妹のベッドの隣に横たわりました。そして輸血が終わると、妹の頬の血色が戻るのを見て微笑みました。しかし、彼の顔は青くなって、顔の笑みが消えました。彼は医師を見上げて震える声でこう尋ねました。「ねえ、そろそろ僕、死んじゃうの?」

この少年は医師の話を誤解していました。彼は妹の命を救うために、自分のすべての血液を妹に与えるのだと思っていたのです。この少年は、妹の命を救うために、自分が身代わりとなって、死んでもいいと覚悟するほどに妹を愛していたのです。このお話は(フィクションかも知れませんが)犠牲の愛の意味をシンプルに描いています。

神はあなたを愛しています。聖書の驚くべき素晴らしいメッセージは、神はこの地に御子の姿となって、イエス・キリストとして来てくださり、あなたの身代わりとなって死んでくださったということです。ことば、イメージ、たとえ、絵、そしてこの5歳の男の子のお話のような描きは、私たちの理解の助けとなります。しかし、それらは神の言葉に尽くせない愛を完全に描き出すことはできません。イエスはあなたの悪い物事をすべて取り除けるために死なれたのです。イエスはあなたや私のために死なれたのです(マルコ10:45)


私の

詩篇51:1-9

「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ(51:1)」とダビデは神に叫びました。この詩篇は告白の祈りとしてしばしば用いられます。この詩篇は預言者ナタンによってダビデが隠そうとしたバテ・シェバとの姦淫を指摘された後でダビデによって書かれたものです。

  1. 誰に祈るのでしょう?
    神のあわれみと赦しを請うこの祈りは、ダビデが神のご性格について理解していたことに基づいています。ダビデは祈りました。「御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってくださる。(1)」
  2. 何を告白するのでしょう?
    ダビデは自分の咎(2)、そむきの罪(1、3)、罪(2、4)を告白しました。ダビデは言いました。「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。(5)」この祈りは、自分の犯した具体的な罪への応答ですが、ダビデはもっと深い問題があることを認識していました。罪は状況的な行動であるだけでなく、すべての人間の中に、とても早い段階からある根深いものなのです。神は「心のうちの真実」と「心の奥に知恵」(6)を願っています。

    神はあなたに正直であって欲しいのです。あなたが神の前に自分自身や自分の罪に関してありのままに心を開いて欲しいのです。
  3. 何を求めるのでしょう
    ダビデはあわれみを叫び求め、罪と咎が拭い去られ、洗い去られることをダビデは切望しました(1-2)。きよめられることを求めました。「ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。 そうすれば、私はきよくなりましょう。 私を洗ってください。 そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。(7)」と。あなたの罪が拭い去られるように求めましょう。「私の悪い記録を消し去ってください(1c,MSG訳)」「私の咎をしみ抜きしてください。(9b)」

    あなたの罪が完全に取り去られるように祈りましょう。そうすれば、神はどんな罪もご覧にならずに、 「御顔を私の罪から隠し(9a)」てくださいます。
  4. その結果どうなるのでしょう?
    ダビデは言いました。「私に、楽しみと喜びを、聞かせてください。 そうすれば、あなたがお砕きになった骨が、 喜ぶことでしょう。(8)」完全な赦しを得る時、何にも比べることの出来ない喜びが訪れます。ダビデは神が愛とあわれみに満ちたお方で、赦してくださるであろうことを知っていました。ダビデがはっきりとはわからなかったこと、そして新約聖書だけが完全に啓示していることは、神はどのようにしてそれを可能にしてくださるのかということです。

祈り:主よ。感謝します。私が自分の罪を告白する時、イエスが私のために死んでくださったので、私はきよめられ、罪赦されます。


イエスの犠牲

ルカ22:63-23:25

ルカの説明はイエスの死についての事実の記録だけではありません。ルカはまた、イエスがなぜ死んだのかという驚くべき真理を私たちに見せることを探求しています。5歳の少年のようにではなく、イエスは実際にあなたや私を救うためにご自身の命を捨てました。ルカは私たちがこの身代わりの行動を理解するのを助けます。

  1. イエスはどんな苦難に遭ったのでしょう?
    イエスはむち打たれ(22:63)、侮辱され嘲弄され(23:11)、悪口を浴び(22:65)、冤罪に問われ(23:10)、十字架につけられ(23:23)ました。ルカは、ピラトが「イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた(25)」という冷淡な言葉に集約しています。
  2. 誰の責任でしょう?
    ルカは全ての人の責任を問うています。「民の長老会、それに祭司長、律法学者たち(22:66)。」全会衆(23:1)、ヘロデとピラト(22:66-23:25)、すべてがそれぞれの役割を果たしています。(イエスの死はヘロデとピラトを友にしました。「とても親しい間柄」(12,MSG訳)それまでは敵同士であった者達が、共通の敵によって一致したのです。)ルカは祭司長、律法学者や会衆(13)が「声をそろえて叫んだ。(18)」と言っています。私たちはユダヤ人やローマ人やその他の人々を非難することはできません。究極的には私たち全ての人が責任を担うのです。
  3. あなたの身代わりに死なれたのは誰でしょう?
    私たちに代わって神の罰を受ける無垢な「第三の存在」がいるわけではありません。神ご自身が御子イエスという人となって来られ、あなたや私のために死なれたのです。神はそれを誰も考えもつかない方法でなされたのです。ユダヤ人たちはメシア、救い主を待ち望んでいました。しかし、それが神ご自身であろうとは誰も予想していませんでした。

    聖霊に満たされた、新約時代の教会はイエスがどのようなお方かを現実に知ります。イエスがご自身に用いられたご自分の肩書唯一無比です。

    イエスは「人の子」です。人の子は全能の神の右の手に座しておられるお方です(22:69)。それは明らかにメシアとしての肩書としてイエスが用いています。

    イエスは「王なるキリスト(23:2)」です。「ユダヤ人の王(3)」それは、長く待ち望まれたメシアでした。

    それらの中でもっとも顕著なものは、イエスは「神の子」であるということです。 彼らはみなで「ではあなたは神の子ですか。」と言った時、イエスは彼らに「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです」と言われました(22:70)。ここでイエスは実際に神の名前(わたしはそれです。”I AM”)と言いました。イエスが神であるという直接的主張です。それを聞いた長老たちが怒ったのはそのためです(71)。
  4. 身代わりとは何か?
    罪なきお方が、罪を持つ者の身代わりになることです。イエスは罪なきお方です。そして私たちは罪を持つ者です。

    イエスの死に至らせたピラトでさえ「この人には何の罪も見つからない(23:4)」と言いました。繰り返し、「あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。…この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。(14-15)」と言いました。ピラトは三度目にこう言いました。「あの人がどんな悪いことをしたというのか。あの人には、死に当たる罪は、何も見つかりません。(22)」ルカは罪なき神の子」が罪を背負って下さったことを明示しているのです(22:70-71)。

    一方、バラバは、私たちのように、罪人でした。彼の場合、暴動と人殺し(23:19,25)の罪を負っていました。ルカは身代わりのヒントを与えます。「この人(イエス)を除け。バラバを釈放しろ。」(18)「すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入っていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。(25)」

祈り:主イエス・キリストよ。私の身代わりとなって死んでくださった神の子であるあなたに何と感謝すればよいのでしょうか。罪ある者のために罪を背負ってくださった罪なきお方よ。


神の王権

ヨシュア8:2-9:15

神はあなたの人生に目的をもっておられます。神は宇宙を支配しています。神はあなたが犯した悪いことやあなたになされた悪いことをも良いことに変えることがお出来になります。(ローマ8:28)

この箇所で、私たちはその例を見ます。神の民はアカンの罪によりアイの攻略に失敗しました(7:4)。今、神は以前の失敗を用いて新たな攻略法を与えました(8:6-7)。時に神はあなたの過去の失敗や罪さえも用いられます。(しかしながら、ギブオン人について神に尋ねなかったことのように、これは同じ失敗を繰り返した時の言い訳にはなりません。)

極めつけは、もちろん、神が罪深い人間の失敗をイエスを十字架につけることによって、大勝利を常にもたらした事です。十字架は失敗ではありません。それは、私たちのために十字架上のイエスの死を通して、赦しときよめ、私たちの罪を洗いきよめる神の偉大な目的の一部分なのです。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。」(1ヨハネ3:16)

祈り:主よ。あなたを愛する者に良いことをなしてくださるあなたの働きのすべてのゆえに感謝します。悪かったことをも良いことに用いてくださることを感謝します。私に代わって死んでくださったイエス・キリストに啓示されたあなたの驚くべき愛を感謝します。アーメン。

H.K

References

Introductory illustration from David Wiles, Stories from the Edge, (Monarch, 2010).