Tokyo Chapel

2018年5月28日

第148日

対立に応える方法

スプリングボックはガゼルに似た羚羊(レイヨウ)の一種です。普段、彼らを襲って食べようとする獣に対して非常に警戒心を持っています。しかしながら、BBCの自然を題材にした番組の中で、カラハリ砂漠で闘いを交える二頭のスプリングボックの様子が流れていたのを私は興味深く見たのを覚えています。闘いも佳境に入ってきたとき、二頭はライオンが彼らの周りをうろついて、攻撃の機会を見計らっていることに気づきました。

私はそれを見ながら、それが特に教会のための警鐘のように感じ入りました。教会において、私たちが互いに戦っているとき、私たちは敵の攻撃に対して無防備になっているということなのです。「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(1ペテロ5:8)

神があなたに従うように召されたとき、神はあなたを安易な生活に招かれたのではありません。地上での生活には多くの闘いがあり、神はそれらすべてにおいてイエス・キリストを通しての勝利があなたに約束しておられるのです。あなたの地上での人生で、すべてが完璧であるようなときは決してないでしょう。いつも試練があり、解決されなければならない困難や問題があります。しかしながら、それらが増大し、私たちが攻撃にさらされているように思えるときがあります。

マーチン・ルーサー・キングは、言いました。「本当の人間の価値は、全てがうまくいって満足しているときではなく、試練に立ち向かい大きな困難や逆境と闘っているときにわかる。」


不必要な争いを避ける

箴言13:10-19

箴言の作者は知恵ある者(「知恵は勧告を聞く者とともにある。」,10b)と愚か者(「愚かな者は悪から離れることを忌みきらう。」,19b)とを対照的に描きます。私たちが対立を経験することは驚くことではありません。特に、この箇所で、私たちは二つの例を見ます。

  1. 争い
    「高ぶりは、ただ争いを生じ(10a)」とあります。人生でもっとも消耗する経験は争いです。結婚関係、友人との関係、同僚と、あるいは教会で。ここに、争いが起こる原因の一つはプライドであることを理解します。もし、あなたが謙遜になってあなたの失敗や間違いを認めることを意思するなら、あなたは多くの争いを避けることが出来ます。

    もう一つのカギは相手のことに注意深く耳を傾けることです。「横柄な知ったかぶりは、不一致を掻き立てます。しかし、知恵ある男も女も、お互いに忠告を聞くものだ。(10,MSG訳)」

  2. 失望
    「期待が長びくと心は病む。(12a)」MSG訳では次のように翻訳されています。「勢いのおさまらない失意はあなたを深い悲しみに沈ませる。」

    もう一種類の攻撃とは「うんざりすること」です。何かについて私たちが持ったビジョンが頓挫したとき、または、何かの攻撃や期待外れで私たちの計画が遅れたりするとき、失望は心を病ませます。私たちは私たち自身の計画と戦いますし、私たちの環境と戦います。

    他方、忍耐してあなたのビジョンが達成されるのを幾ばくか見ることより、満足させるものは他にありません。「望みがかなうことは、いのちの木である。(12b)」「望みがかなえられるのはここちよい(19a)」のです。

人生の攻撃の真っただ中にあって、大いなる喜びの瞬間があり、充足と満足があるのです。

祈り:主よ。試練の真っただ中にあって、イエスに目を留めて忍耐し、競争を走り抜くことが出来るように助けてください。(ヘブル12:1-3)


神は悪からも善をもたらすことができると信頼する

ヨハネ18:1-24

時々、私たちの生活の中に対立が生じるとき、責めを負うのは自分しかありません。しかしながら、これは常にそうだというわけではありません。イエスへの攻撃はご自身の罪や失敗の結果として生じたわけではありませんでした。むしろ、攻撃は他の人々からの悪行の結果であったのです。しかし、神はそれさえもよいことのために用いるのです。

一致のために祈ると、今、イエスは対立の世界に入っていかれました。一人で、傷つきやすい者として、愛と親切に満たされて、イエスは捕縛され、死刑宣告を受けました。イエスは自分のいのちを投げ出して、与えてくださったのです。

  1. 裏切り
    これはイエスの生涯の中でも恐ろしい瞬間でした。3年間苦楽を共にしたイエスの友であり弟子であったユダが一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて(3)やって来たのですから(1-3)。

    友や同僚から来る攻撃ほど、つらいものはありません。イエスの尊厳に満ちた応答は実に手本とすべきものです。彼は落ち着いて、暴力を避け、人並み外れた自制を実践なさいました。(4-12)

    弟子たちを守るため、イエスは強力な武装集団の前に立ち、ユダの訴えのままにされました。イエスは、ペテロがご自身を警護するために暴力を用いようしたことを抑止なさいました。イエスはこの世が用いる方法で対立に関わることを望まなかったのです。

  2. 不当な扱い
    無実の者を守るべき当時の権威者たちはイエスを攻撃することに加担しました。彼らはイエスを捕らえ、縛り(12)、最初アンナスとカヤパのもとに送られ、縛られたまま大祭司の前に立たされたイエスは顔を殴られました(12-14,19-24)。

    もしイエスがこのような取り扱いを受けたのであれば、この世のあるいは宗教的な権威者たちがこのような圧力をかけて来たとしても驚く必要はありません。

  3. 否認
    ペテロの否認(17)は悪の心から出たものではなく、単純に人間が持つ弱さからのものでした。ペテロはイエスの弟子の一人かどうかを問われたときに「そんな者ではない(17)」と答えたのです。

    ペテロは最善を尽くそうとしたのですが、彼自身の生れながらの力ではイエスを否認することしかできなかったのだと思います。私は時々、言ったことしたことが、本当に臆病だったと後になって思い返すことがあります。極限の状態で平静を保つことがどれほど困難であるかが分かります。

しかし、イエスは我を失うことはありませんでした。「イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられた(4)」のです。イエスは前の章でご自身が祈ったことを成就したのです。(9,17:12)イエスは「父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。(18:11)」と語り、私たちの罪や間違った行いの罰を支払うためにご自身を死へと引き渡されたのです。

イエスは私たちの罰を受けてくださいました。「ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である(14)」とカヤパが言ったように、イエスの死はペテロや私たち各々に代わって死んでくださったのです。イエスは死と裁きの攻撃に面しました。それは、私たちがその攻撃を受けなくてもよいようにです。イエスはご自身が縛られることをお許しになりました(12,24)。それは、あなたが縛られることなく、自由にされるためです。

祈り:父よ。私が攻撃にさらされたとき、尊厳と恵みをもってどのように応じればよいかを知る知恵と勇気を与えてください。あなたの目的のために召されたあなたを愛する者に、あなたが良いことをなすためにともに働いてくださることを信頼することができますように(ローマ8:28)。


互いに力づける。

1サムエル21:1-23:29

今日の箇所は、ダビデが最も葛藤の中に置かれた時期です。

サウルの嫉妬をここに見ますが、それは容易に取り除くことのできるものではありませんでした。サウルの冷血さは増し、ついに祭司の街を滅ぼすまでになりました(22:19)。

ダビデはなし得る限りの方法で攻撃を避けなければなりませんでした。彼は臨在の聖なるパンを食べました(21:1-9,MSG訳)。気がふれたふりをしたり(13)、ほら穴に隠れたり(22:1)しました。そのようなプレッシャーのもとでのダビデの態度を学ぶことができます。

  1. 忠誠
    ダビデは忠誠に関して高い評価を得て(14)深く尊敬されました。またダビデとヨナタンは互いに忠実でした。「サウルの子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに来て、神の御名によってダビデを力づけた。(23:16)」

    ヨナタンは次期王の候補であったにもかかわらず、ダビデに対するヨナタンの態度は特筆すべきです。「あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。(17)。」彼らはお互いに高度な献身を示しました。「こうして、ふたりは主の前で契約を結んだ。(18)」

    対立状態の中で、家族や親友からの忠誠ほど励ましとなるものはありません。そのような人々は困難な時の助けです。そして、かれらが攻撃される時、あなたの忠誠によってあなたが彼らの助けとなることができ、神の力を見出すのを援護するのです。

  2. 祈り
    あなたの人生に対立が生まれた時に、最初の寄港地はどこでしょうか?ジョイス・マイヤーは、問題が起こった時、「電話(phone)をかけに行きますか?それとも御座(throne)に走り寄りますか?」と問うている通りです。ダビデは人生のこの局面でさらに祈りをもって決断することを学びました。度重なる攻撃の最中に彼は祈りました(23:2、4)。このようにして、攻撃はあなたを神に引き寄せるすべとなり得るのです。

悲劇は実際の敵が攻撃しようとしている(27)にもかかわらず、神の民が、まるで二頭のスプリングボックのように、内乱に興じていたことです。それによってペリシテ人が攻め込む隙を与えたのです。今日の教会も同じ危険をはらんでいることに注意しましょう。

サタンが悪意をもって仕掛けた悪や分裂を、神は取り除けて、それを神の良きものに変えることがお出来になります。神はペリシテ人の攻撃をダビデを救うために用いられました。「それでサウルはダビデを追うのをやめて帰り、ペリシテ人を迎え撃つために出て行った。(28)」もし教会が内輪もめをやめて、本当の敵に対して一致して立ち向かうなら、それは素晴らしいことです。本当の敵は、不正、人身売買、疾病や貧困というような私たちの世界から盗み破壊する敵なのです。

祈り:父よ、私たちがお互いに忠実であることができますように。教会が内輪もめすることをやめ、外からの本当の攻撃に一致して向き合うことができますように。アーメン。

H.K

References

Joyce Meyer, New Day, New You (Faithwords, 2007), p.365