Tokyo Chapel

2018年10月8日

第281日

敗北の中にある栄光

私は、フランシスコ会の修道僧で教皇公邸付説教者であるラニエロ・カンタラメッサ神父と話した会話を忘れることが出来ません。彼はイタリアで「新・無神論者」の一人と公開討論したことについて話しました。

私は彼がその討論に勝つと思っていたかどうかを尋ねました。彼は分からなかったと返事をしました。もしかすると負けるかもしれなかった言いました。「しかし」と言うと、「主は敗北の中に栄光を現わすことがお出来になります。」と付け加えました。

イエスは天地をひっくり返すことがお出来になります。イエスは世界の価値を反転させたのです。その極みが十字架です。イエスは天地をひっくり返すことがお出来になります。究極の謙遜な行動と外見的な敗北において、未だかつて世が知りえなかった偉大な勝利をイエスはもたらしたのです。

主に従う者たちに言われたのは、彼らが「世界をひっくり返す(使徒17:6,NRSV訳)」ということでした。今日、私たちが見る箇所のそれぞれに、どのようにそうなるのかを見ます。そしてどのようにして主は敗北の中に栄光を受け取ることができるかを見るのです


神は明らかな失敗から成功をもたらすことができる

詩篇118:17-29

私の人生を振り返ってみると、神はいくつかの見掛けの成功よりも困難や敗北を用いられたように思えます。

詩篇の作者は明らかに困難な時を過ごしました。彼は書きます。「神は私をテストされた。神は私を困難へと押した。(18a,MSG訳)」それでも、彼は感謝と賛美と喜びに溢れます。「私は…、主に感謝しよう。(19)」「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。(24)」

神が明らかな敗北を成功に変えることがお出来になることを彼は知っているので彼は感謝に満たされたのです。彼はこう記します。「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。(22)」

イエスは、神が明らかな失敗から成功を生み出すことの最高の見本です。イエスは家を建てる者たちが捨てた石でした。そして、そのお方が今は教会の礎の石となったのです。イエスは詩篇118篇のこの節をご自身に当てはめて引用しています(マルコ12:10)。ペテロもまたこれを1ペテロ2章で、イエスが「人には捨てられたが神に選ばれた生ける石(4)」として指し示して適用しています。イエスは今、全教会が基礎とする教会の中心的な礎石です。

詩篇の作者のように応答しましょう。「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(詩篇118:29)」

祈り:主よ。あなたが明らかな敗北から成功をもたらした方法にとても感謝します。「あなたは私の神です。そしてあなたに感謝します。あなたは私の神です。そして私はあなたをほめたたえます(28)」


神はあなたの環境にかかわらずあなたを用いることができる

コロサイ4:2-18

時々、私たちは多くの「あのときああしておけば」によって気が逸らされてしまいます。もし私たちが結婚してさえいればもし私たちが間違った人と結婚していなければもし私たちが正しい仕事についておればもし私たちが仕事に行く必要がなければもし私たちに子どもがおればもし私たちにこんなたくさんの子がいなければもし私たちが正しい場所に住んでいたら…。しかし、神は、パウロが置かれた環境にもかかわらず、それどころか、その環境のゆえに、彼を用いました。

パウロは記します。「すべての機会を最大限に生かしなさい。(5,MSG訳)」私たちはすべてを首尾よくできるわけではありません。しかし、私たちは皆、自分が置かれた状況がどのようなものであれベストを尽くすことが出来るのです。パウロは彼らにアルキポに、「主にあって受けた務めを、最善を尽くして果たしなさい。ベストを尽くしなさい(17,MSG訳)」と告げるようにと書き送りました。

パウロは人並みならない賜物を持っていました。彼はこの世に告げ知らせるべき生けるメッセージを持っていたのです。神は彼を最善に用いてそのメッセージを告げ知らせるために、彼を権威と権力のある地位に置くことが出来たのではないだろうかと考えるかもしれません。

しかしながら、神は彼が人生を獄中で終わることを許されました。パウロは手紙の最後にこう書き記します。「私が未だに獄中にあり鎖に繋がれていることを覚えてください。(18,AMP訳)」しかし、主は外見上の敗北にご自身の栄光を現わされました。神はパウロの状況をひっくり返しました。およそ二千年経って、あなたはパウロが獄中で書いた手紙の言葉を読んでいます。神は彼が書いた言葉を用いて世界を変えました。

あなたの言葉には力があります。パウロは記します。「あなたがたのことばが、いつも親切[喜ばしく、魅力的]で、[あなたが決して途方に暮れないように]塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、[あなたに質問する]ひとりひとりに対する答え方がわかります。(6,AMP訳)」たとえば、アルファでホストを務める時、いつ話すか、何を話すか、どのように話すかという知恵を求めて祈りましょう。

神はまた、パウロの祈りを世界を変えるために用いました。私たちの優先順位に対してこれはもう一つの挑戦です。パウロは「たゆみなく祈りなさい。(2)」と書きました。この世は祈りは全く時間の無駄だと考えます。パウロはそれを私たちの生活の最重要事項だと見なしていました。パウロはエパフラスに言及して「彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。(12)」と記しました。

パウロは読者に「神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように…(3-4)」と祈りを要請しています。

しかし、ここで私たちの優先順位に違った挑戦があります。パウロは彼らに大勢の群衆が彼の所に来て、彼に聞くようになることを祈って欲しいとは願っていません。むしろ、彼はメッセージをはっきりと告げ知らせるようにと祈っています。

パウロは彼らに獄の扉が開かれるように祈って欲しいとは願っていません。しかし、福音のメッセージの扉が開かれて、告げ知らされることを願っているのです。将来を考えてより良い状況で神に仕えることが出来るようになることを望むよりも、あなたがどんな状況であれ、今、神にどのように仕えることができるかに焦点を合わせましょう。

祈り:主よ。私が正しい優先順位を持つことが出来ますように。それは、自分自身を祈りにささげ、自分の環境がどうであれ、福音を宣べ伝えることです。今日、私に知恵を与えてください。いつ話し、何を言い、どのように言うかを知ることができますように。


神は「最悪の時」を「最善の時」にすることがお出来になります

エレミヤ16:1-17:27

「それは最善の時でした。そしてそれは最悪の時でした。」これは1859年に、フランス革命の前後の時代のロンドンとパリを舞台に書かれたチャールズ・ディクソンの「二都物語(A Tale of Two Cities)」の冒頭の言葉です。

再び、私たちは、神が外面的な敗北にご自身の栄光を帰することが出来るということを見ることが出来ます。「日照りの年」であっても「いつまでも実をみのらせる(17:8)」年にすることが出来るのです。教会にとって悪い時は良い時になりえます。良き知らせは社会が暗くなればなるほど明るさを増します。

リック・ウォレンはこう指摘します。「1930年代、不況の頃、二つのことが増加しました。映画館の入場者数と教会の出席者数です。人々は逃避願望を満たすか、生きる意味を探すかしたのです。経済は今も大変厳しいのです。これは実は良いことです。これは、自分たちがリトリートするためではなく、私たちが拡がり、外に向かって押し広めるための時なのです。」最悪の時は最善の時になりえます。

これとよく似たことがこの箇所に記されています。エレミヤは、民が神に従うことに代えて、頑固さと彼らの悪い心に従っていたので、裁きが来ることを続けて警告していました(16:12)。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。(17:9)」とエレミヤは私たちが自分自身を偽ることの危険性を警告しています。

私たちは容易く自分自身を騙すことが出来ます。もし、私たちが何かをしたいとすると、私たちの思いは私たちがそれをしなければならないありとあらゆる理由を思いつくのです。私たちは、間違ったことをしている時でさえ、簡単に自分を正当化できるのです。

これはあなたが神のそばから離れないでくっついている必要がある理由の一つです(7,MSG訳)。常にあなた自身を神の言葉とクリスチャンの共同体の知恵でで点検しましょう。さもないと、あなたの信頼が間違った場所にさ迷い出てしまいかねません。主は言われます。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。(5)」

他方で、主は言われます。「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。(7-8)」

再び、神は物事をひっくり返します。「日照り」の時には、私たちは葉が枯れて茶色くなってしまうと想像するものです。しかし、その木は流れのほとりに根を伸ばして水分補給するので、葉はいつも青々と茂っているのです。詩篇の作者はこれを主に信頼する人になぞらえました。その人は主に確信を持っている人です。その人は日照りが来た時も恐れたり思い煩ったりしません

あなたの人生には「日照り」がやって来る時があります。あなたは困難な状況や試練によって試されます。もし、あなたが主の近くにとどまり、主に信頼するなら、神は物事をひっくり返すことがお出来になります。「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。(7)」

祈り:主イエスよ。あなたは明らかに敗北に見えてもそれを成功に変えることがお出来になります。たとえ環境が私に敵対しているようにさえ思える時も私があなたを信頼できますことを感謝します。今日、私は信頼をあなたに置きます。

H.K

References

Charles Dickens, A Tale of Two Cities, (Penguin Classics, 2003).

Rick Warren interviewed by Nicky Gumbel at the Leadership Conference 2012 in the Royal Albert Hall. www.alpha.org/lc