2018年4月7日

4月7日

内から溢れる愛

セリーヌは、彼女の言葉を借りれば「スピリチャルな探究」のために、アルファにやって来た若い女性です。彼女はこう記しています。「私は一体全体何が起こったのかわからないの!コースを通して、神の臨在への渇きがどんどん大きくなっていったわ。まるで真夏の暑く乾いた日に冷たいひとくちの水を得たようだった。普通の温度で、いつも飲んでばかりいても、誰もこの体験を得ることはできないわ。」

「今は、スキップしたり笑ったり、そしてみんなに神がどんなに驚くべきお方であるかを話したくなるの。…それに、誰をも愛したくなるのよ。アルファに来るまでは、赦したくても、苦々しさや腹立たしさがどんどん大きくなるようだったけれど…でも今は、本当に赦せるし、それに愛することもできるのよ。」

彼女が言っていることは「キリストと共に燃えるように愛する」者となったということです。彼女の内面の渇きは満たされました。彼女は今は新しい内なる光と新しい内なる愛を持っているのです。


内なる渇き

詩篇42:1-6a

あなたは漫然とした気持ちになり、どういう訳かこんなにも気が滅入るのだろうかと思うような時がありますか?もしそうなら、それはあなただけではありません。詩篇の作者はこの気持ちを知っていました。「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。(42:5)」神はあなたにずっとその状態にとどまって欲しくありません。神はあなたを愛し、あなたを励ましたいと願っておられます。

詩篇の作者は内なる渇きについて語っています。「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。(1)」さらに続けて、「私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。(2)」

ただ神だけが、この渇きを癒すことができるのです。神についての知識はあなたの内なる渇きを満たすことはできません。神の臨在を叫び求めましょう。神と出会い(2)、あなたの魂に注いでいただくのです(4)。

礼拝が鍵です。「私はいつも礼拝する群衆の先頭に立って、誰よりも前に行き、彼らみんなを導こう。生き生きと礼拝することに燃え、賛美を叫び、感謝を歌おう。私たち皆で祝おう。神の宴だ!(4,MSG訳)」これが、あなたを神に信頼し続けることに覚醒させるでしょう。そして主に再び礼拝をささげる力を与えるでしょう。(5b-6a)

祈り:主よ。私の魂はあなたに飢え渇いています。ただあなたの臨在だけが私の深い魂の渇きをいやします。あなたの内にとどまり、賛美をささげることを願います。私の救い主、私の神よ。


内なる光

ルカ11:33-54

きよい心と良心は清い手よりもはるかに大切です。あなたの心と思いの中で起こっていることこそ重要です。あなたの眼は鍵です。眼はあなたの内面の生活の門です。それがあなたが見るものが重要である理由です。あなたの眼を通してあなたの内面の生活に物事が入っていくのです。あなたの眼はまたあなたの心に起こっていることを反映します。

イエスはあなたに心を光で満たすように召しておられます。「あなたの眼はランプです。あなたの全身を照らしだします。もし、あなたが驚愕と信仰に目を大きく開くなら、あなたの体は光で満たされます。もし、あなたが目を細めて貪欲と疑念の内に生きるなら、あなたの体はじめじめした貯蔵庫になります。眼を開き続けなさい。あなたのランプを灯し続けなさい。そうすれば、あなたはカビ臭く、陰気になることはありません。あなたの人生を最高にライティングされた部屋と同じように良い照明を保ちなさい。(34-36,MSG訳)」

イエスはあなたを神との親密で愛に満ちた関係に招いておられます。それはあなたの秘密の場所に、あなたの心にです。そここそ、神との本当の出会いがなされる場所なのです。主はあなたを、ただ外面においてではなく、内面がきよめられた者になるように召しておられます(39)。もし、内面において、あなたが「強奪と邪悪とでいっぱい(39)」であるなら、外面をきよめても何もなりません。

内面の生活の焦点は、イエスによれば、貧しい者です。「とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。(41)。」与えることはあなたの心をきよめます。

イエスは続けて、もし、あなたが「公義と神への愛(42)」を無視するなら、外面的な施しそのものでは十分ではないと言いました。

ラニエロ・カンタラメッサ神父が記したとおりです。「内面の生活を強調することが、御国のため、正義のための精力的な献身を妨げることになりかねないという考え方は間違いです。神のための働きの重要性を弱めるどころか、人の目に隠された生活はそれを土台にしており、それを保持し続けるのです。」

イエスはこれら宗教指導者たちに、私たちが簡単に陥る、心の間違った態度について警告しました。これらの言葉はあらゆる種類のリーダーシップに携わる私たちにチャレンジを与えます。イエスは次のようなものを警告しました。

  1. 自分を重要視すること
    「おまえたちは会堂の上席…が好きです。(43)」
  2. 認められることを愛すること
    「市場であいさつされることが好きです。(43)」
  3. 偽善
    基準を教えていながら、自らがそのように従って生きることに失敗するという危険性があります。「おまえたちもわざわいだ。律法の専門家たち。人々には負いきれない荷物を負わせるが、自分は、その荷物に指一本さわろうとはしない。(46)」

イエスは、人々の内面の生活について、それらの人々に直面することを恐れませんでした。イエスは対立を恐れませんでしたし、敵を作ることを恐れませんでした。イエスの攻撃の対象である宗教指導者たちが獰猛にイエスに反対し始めたことは驚くに値しません。(54)

祈り:主よ。私の眼がただ内面にライトアップされたものを見ることができますように。今日、私を聖霊で満たしてください。私の心を寛大さ、正義、そして神の愛で満たしてください。


内なる愛

申命記6:1-8:20

旧約聖書の中心は、新約聖書と同様にです。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(6:5)」ここで用いられているヘブル語の単語は、ただしっかり置き換えて翻訳すればよいというようには片づけられません。そのことは、新約聖書には4重の翻訳(心、精神、力、知性)がなされていることからもうかがえます。この文章には「人生のすべて」を合計したものということを意味しています。それは思考と意思の両方を含みます。

神はいつも愛の律法は内面的、つまり心の内にあるべきだと意図しています。「私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。それらをあなたの内面に受け取り、あなたの子どもたちの内面に受け取らせなさい。(6,MSG訳)」

あなたの神へのは、神のあなたへの愛から流れます。あなたへの神の愛は、あなたがそれを受けるに相応しいかどうかにではなく、ただ神のあわれみによるものです。それが神の恵みです。私たちの罪、弱さ、失敗にもかかわらず私たちを愛してくださる恵みです。「主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから…、(7:7-8a)」神はあなたを愛しているので、神はあなたを愛するのです!

神はご自身の愛をあなたの上に注がれます。それは神の愛の性質と神の誠実のゆえです。「あなたの神、主は、あなたの先祖たちに誓われた恵みの契約をあなたのために守り、あなたを愛し、あなたを祝福し、あなたをふやし、…祝福される。(12-13)」

あなたはこの親密で愛に満ちた神との関係に召されているのです。しかしながら、6章の中で3つの警告がなされています。

  1. 周りの偶像礼拝の影響で神を捨ててしまう危険性―「ほかの神々、あなたがたの回りにいる国々の民の神に従ってはならない。(6:14)」周囲の文化に合わせたり、周りの人々の信じていることを選ぶという誘惑があります。しかし、神はあなたにあなたの周りにあるものに同化することよりも、神に忠実であって欲しいと願っておられます。
  2. 試練のために神を疑ってしまう危険性―「あなたがたの神、主を試みてはならない。(6:16)」
    試練がやって来ると、神はもはやあなたのことを気にかけてくださらないと考える誘惑があります。しかし、あなたは忠実さと神のことばをしっかりと握る必要があります。

    神はあなたがテストを通過することとを許しておられ、神の方法に従って事を行うことが最善の方法であることを経験することによってあなたが学ぶことができることができるのです。もし、あなたが人生の困難な時、つまり谷を通る時、神に仕え礼拝することをしなくなれば、あなたは良い時、つまり山の頂上においても、変わることなく神に仕え、礼拝することは難しいでしょう。頂上の体験はあなたを励まします。しかし、谷の体験はあなたに成熟をもたらします。

  3. 物質的豊かさのゆえに神を忘れてしまう危険性―「主を忘れないようにしなさい。(6:12)」
    プレゼントを喜んでプレゼントしてくれた人を忘れる危険性があります。「あなたの神、主を心に据えなさい。主があなたに富を築き上げる力を与えられるのは、あなたの先祖たちに誓った契約を今日のとおりに果たされるためである。(8:18)」

これら3つの警告の底流にあるのは、自分の所有物や「偶像」というモノは満足を与えることはできないという現実性について警告しています。「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる(8:3)」

イエスが荒野で悪魔がイエスの肉体的な飢え渇きに間違った方法で満足させようと誘惑した時に、イエスはこの節を引用しました。イエスの悪魔に対する反応は、内面の生活そのものでした。―内面の飢餓―それは物資的なものよりはるかに大事です。この内面の飢餓は、主の口から出るすべての言葉によってのみ満足されるものです。

あなたが物質的に裕福であろうとなかろうと、あなたの人生の焦点はあなたの内面の生活に当たられるべきです。それだけが、神がすべての人間の心の内に設けられた、深い内面的な切望を満足することが可能なのです。

祈り:主よ。あなたの私への驚くべき愛を感謝します。私を愛し祝福してくださる約束を感謝します。心を尽し、精神を尽し、力を尽してあなたを愛することができますように。アーメン。

H.K

References

Raniero Cantalamessa, The Mystery of Easter, (The Liturgical Press, 1994) p.105.