Tokyo Chapel

2019年4月18日

第108日

遅すぎることはない

私は自分のことを若いと思うのが好きです。最近、私は中年というのは35歳から58歳のことをいうのだと聞きました。そうすると、私は若くもなく、さらに中年でもないことになります!

人々はしばしば中年になるとは、「中年の危機(Midlife crisis)」の始まりだと言います。中年の危機は加齢そのものから起こり得ますが、それ以外に、同僚や伴侶の加齢、問題、仕事上の後悔、キャリヤ、人間関係、子供や加齢による肉体的変化などが原因です。

中年の危機を個人的に体験することはしばしば漠然とした夢やゴールを探し求めることです。私たちはゴールが未達成であるという呵責の念を深く感じるものです。周りにもっと成功した同僚に囲まれて屈辱感にさいなまれます。しばしばもっと若ければと思うのです。

これらすべての感覚の根には何か失ったという感覚があります。しばしば中年の危機における悲劇は、今まで努力してきた事柄に虚しさを覚えてしまうということです。

今日の新約聖書の箇所に登場するザアカイのことを考えると、彼はきっと中年の危機を経験していたのではないだろうかと思えます。いずれにせよ、彼は多くの人々が探し求めている答えをイエスとの出会いを通して見つけ出したのです。

あなたが、間違った方向にどれだけ長くいたとしても、いつもあなたは方向を転換することができるのです。イエスとともに新しいスタートを切るのに遅すぎるということはありません。あなたの人生を確かなものにするのは正しい方向にセットすることによるのです。

ロッキング・チェア・テストを応用する

箴言10:1-10

ある、品格のある成功している著名なビジネスマンは、決断しなければならない時に、「ロッキング・チェア・テスト」をするそうです。つまり、やがて引退してからロッキング・チェアに腰かけて、過去を振り返った時に、今決断しなければならないことを後悔するかどうかを想像してみるのです。そして、これから決断することが良い決断か、悪い決断かを考えるのだそうです。彼は今決断することが後になって後悔しないように確かにしたいのです。

この箇所には、無精な生活(4)、むだ口をたたくこと(8,10)、など私たちの生活の中で避けるべき事柄が描かれています。

正直さと誠実さは後悔しないで生きる鍵です。「不義によって得た財宝は役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。(2)」「正しい者の呼び名はほめたたえられ、悪者の名は朽ち果てる。(7)」

もしあなたが、正直に誠実に生きるなら、「その歩みは安全」です(9)。「しかし自分の道を曲げる者」は暴露されることになります。

祈り:主よ。今日、知恵深く、正しくあらせてください(3,7)。むだ悪意を持つことや(10)、愚かなうわさ話(8,10)を避けることができますように。勤勉に(4)、正直に誠実に(9)生きることを得させてください。


あなたの生活を正しい方向に向ける

ルカ18:31-19:10

イエスは、私たちの人生が贖われ、変革されるためにこの地に来られました。

イエスは十二弟子たちを取り分け(18:31)、彼らに、ご自身が来られた目的を説明するために「人の子は異邦人に引き渡され、あざけられ、はずかしめられ、つばきをかけられ、むち打たれる」ことを示しました (32) 。しかし、「殺された後に三日目によみがえる(33)」ことも示しました。それが、すべての人類に希望を与えるイエスの十字架と復活です。

盲人のエピソードは、イエスとの出会いによって人生が全く変革された人の例です。それまで、道端で物乞いをするしかなかった盲人は、イエスにあわれみを求めて叫んだことによって変革されました。イエスは「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです」(42)と言われました。癒しは瞬間的でした。彼は見えるようになり、「神をあがめながらイエスについて行った」のです。(42-43a)

その次に、イエスと出会ったのはザアカイです。彼は「取税人のかしら」でしたから、若くはなかったでしょう。彼は自分の仕事においてトップに上り詰めていました(2)。彼は依然として木に上り詰めました(4)。しかし、彼はもはや若くはありませんでした。彼はすでに裕福でした(2)。彼にとって、たぶん仕事が一番だったのでしょう。取税人のかしらとして、彼には彼のもとで働く人々がいたことでしょう。

彼はそれまで何度も昇進したことでしょう。そして、自分の業績を振り返って満足数ことも出来たでしょう。しかし、取税人として、個人的に人々から不評を買い、人々から疎外され人気はありませんでした。ザアカイの状況にある人々は、しばしば、自分の仕事に嫌気がさし、追い詰められていると感じるものです。

彼は「この家(9)」を持っていたので、たぶん家庭を持っていたのでしょう。彼は家族のためにとてもハードに仕事をこなしたことでしょう。中年の危機は家庭生活を荒廃させます。中年の危機にある人は、怒りっぽく、時に鬱々とし、周囲に腹を立てます。…彼らがどんなに一生懸命仕事をしても、家族は彼が稼ぐことより大切なものを求めているのです。

ザアカイは宗教的な家に生まれたことは間違いないでしょう。彼の両親は彼に「ザアカイ」つまり「義なる人」という名をつけたからです。しかし、今や彼は宗教的な人々からは「罪人(7)」とみなしていました。なぜなら、彼は神の民から税金を集め、ローマに納め、多くのうわ前で私欲を肥やしていたからです。

それでも、彼はイエスがどのようなお方かを知りたかったのです(3)。彼は自分の必要に気づかねばなりませんでした。彼のすべての財産も、成功も、家族生活も、「宗教」も、依然として彼は物足りなさを感じさせました。ザアカイはイエスに見られることなく、イエスを見たかったのです(4)。

多くの人々が自分の罪や不完全さから、神が背を向けておられるように感じます。しかし、神は不完全な民を愛し、あなたが神に背を向けていたとしても、神はあなたに向かっておられるのです。

ザアカイは自分か神から隠れることなど出来ないことを知りませんでした。イエスは彼を知っており、名前さえ知っていました。ザアカイはイエスが彼を愛し、彼のことを知りたいと願っておられることを知りませんでした(5)。
あなたが人生において何かをやり遂げようと、不完全であろうと、イエスはあなたを愛し、あなたと関係を持ちたいと願っておられるのです。しかし、イエスは応答を求めます。劇的な出会いの瞬間、イエスは「急いで降りて来なさい(5)」と言われたのです。

ザアカイはへりくだって、イエスに従いました。彼はそれを先延ばししませんでした。イエスは群衆の否定的な応答によってたじろぐことはありませんでした(7)。

その結果、ザアカイの人生は全く変革させられてしまいました(8以降)。ザアカイは決心しました。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。(8)」彼の所有物に対する態度は一変しました。私たちへの質問は「私は稼いだのはいくらか?」ではなく、「私が与えたのはいくらか?」であるべきです。

彼の全家族は変革されました。イエスは彼に言いました。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから(9)。」イエスの到着とともに家族に救いが来たのです。救いとは自由です。それは永遠に続くイエスとの関係を意味します。これは中年の危機を洞察することにも当てはまります。

最後に、ザアカイのように、あなたも神による社会の変革の一部となることができます。ザアカイとその家族の変革は、貧しい者たちや、うわ前をはねられていた人々にも恩恵をもたらしたのです。

イエスに従うというザアカイの重大な決断は、確かにロッキング・チェア・テストをパスさせたのです。

祈り:主よ。あなたが私を愛してくださったことを感謝します。そして、しばしば、あなたは私の人生をよりよく変革するために危機を用いてくださいます。今日、あなたと新鮮に出会うことができますように。


心を尽くして日々を生きる

申命記29:1-30:10

最近、私は86歳になる女性の隣でランチをともにしました。彼女は車いすに乗っていました。すぐに私は、彼女の肉体は衰えているけれども、精神は衰えていないことに気づきました。彼女はとても難しい神学的な話題を取り上げました。私がそれらの質問の答えが何だと思うかを彼女に尋ねた時、彼女は、この箇所から答えました。「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。(29:29)」

彼女は、私たちには答えを知り得ないものがあるということを認識しなければならないけれど、知るものもある(彼女が質問してきたようなもの!)ということを言ったのです。私たちはこの地上での生涯では答えがわからないものもあります。それらは「隠されていること」であり、「主のもの」なのです。

しかしながら、あるものは私たちのものです。神は私たちにどのように「よりよく、賢く(9,MSG訳)」生きるかを啓示なさいました。私たちは「主を離れて(18)」脇道にそれることに気を付けなければなりません。「私は自分の生きたいように生きますので、結構です。」と考えるなら、すべての人々の人生を台無しにしてしまうのです(19)。

あなたがロッキング・チェアで平安に過ごすようになることを知る手立ては、心を尽くして神に聞き、神に従うことです(30:2-10)。「心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、…あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。…あなたは、再び、主の御声に聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を、行うようになる。…これは、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従い、このみおしえの書にしるされている主の命令とおきてとを守り、心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主に立ち返るからである。」(2-10)

心を尽くして生き始めるのに遅すぎるということはありません。

祈り:主よ。あなたに心を尽くして従う人生を今から送らせてください。今日、新たにスタートします。心を尽くしてあなたに従います。アーメン。
H.K