Tokyo Chapel

2019年12月21日

第355日

あなたの上にある神の手

手はとても大切です。彼女の結婚式の日、私は娘のを取り、聖職者の手に渡しました。彼の手神の手を表しています。彼はそれから、彼女の手を彼女の夫の手につなぎました。象徴的に、私は彼女を神に委ね、神は彼女を夫に委ねたのです。結婚式の鍵となる儀式は「手をつなぐ」ことです。

あるレベルでは、手は単純に「人間の腕の手首より先にある一部で手のひらと指から成る」と言えます。しかし、私たちが「手」という言葉を用いる時、それはしばしば肉体的な感覚以上のものを意味します。「手」は行為、世話、所有の比喩として用いられます。

神は手を用います。私たちはイエスが病人に手を置いて癒されたことを読みます。時には手を置いただけでした(たとえば、マルコ6:5,8:23)。他の時には、イエスは人々を祝福するために手を置きました(10:16)。イエスは弟子たちに病人を癒す時に彼らの手を置くように告げました(16:18)。実際、人々は、彼らが手を置くことを通して癒されたのです(たとえば、使徒8:17-18)。他の場合は聖霊に満たされました(9:17,19:6)。手を置くことで賜物を受けました(2テモテ1:6)。

神の手」とは何でしょうか?それは何を意味するのでしょうか?聖書の中で、「神の手」はとても深みのある言葉です。エズラは言いました。「主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、…(エズラ7:28)」と言いました。神の、目に見えない、形のない手はまたあなたの上にあります。導き、諭し、励まし、守り、力を与え、奮い立たせるのです。


神の手は開かれ、寛大である

詩篇145:13b-21

「あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。(16)」この比喩は神の尋常ではない寛大さを表します。神はあなたの願いを満足させるために手を開いておられるのです。そしてこの詩篇の半ばでは、神の偉大な愛と誠実さが記述されています。

ロバート・ブラウニングの詩に「私は生きた。生きている間、神の手を見て。そしてすべては最善であった。」と記しました。「主は、運尽きて倒れる者に手を差し出される。(14a,MSG訳)」「主御業のトレードマークはいつも愛である。(17b,MSG訳)」

「主はすべてのご自身の約束に誠実である(13b,NIV訳)」この詩篇は素晴らしい約束に満ちています。主はあなたを引き起こしてくださる(14)。「主は近くあられる。(18)」主はあなたの願いをかなえてくださる(19)。「主が守られる。(20)」このすべては賛美を鼓舞します。「私の口が主の誉れを語り、すべて肉なる者が聖なる御名を世々限りなくほめたたえますように。(21)」

祈り:「父よ。あなたの手で私をとってください。そしてあなたと一緒に歩く子どものように、私のすべての日を、あなたの愛と力で守ってください。」(トマス・ア・ケンピス,[c.1380-1471]の祈り)


神の手はあなたの名をいのちの書に書き記す

黙示録13:1b-18

神の手あなたの名前が「いのちの書」にイエスの属する者として書き込まれるというのはなんと驚くべき特権でしょうか(8b)。迫害に直面して「神のきよい民は情熱を持って、そして忠実に自分たちの地に立つ。(10b,MSG訳)」

最初の「獣(1b)」は迫害する力として現れます。この章は最悪の、すなわち悪魔の力による人間の支配の記述を含んでいます。それは、人間の支配が理想的に思える、すなわち敬虔な権威によるものであることを記したローマ13章と並行して読む必要があります。すべての人間による政治は黙示録13章とローマ13章の混合したものです。ある政府はローマ13章に近く、ある政府はここでの記述に近いのです。ですから、政府が反キリスト教的な法律を作ったり、教会を迫害さえしたとしても驚くには足りません。

多分「七つの頭(黙示録13:1b)」はローマが築いた七つの丘(「山」,17:9参照)を指しています。預言者ダニエルは豹、熊、獅子のような獣を見ました。それは覇権を誇った3つの世界的な権力を指しています(ダニエル7:3)。ここでは、それらは一つにまとめられています(黙示録13:2)。

「致命的な傷」は「治って(3)」しまいました。これはAD68年に自殺したネロ帝(彼はクリスチャンを激しく迫害したことで有名です。)が死後に生き残り、再び生きたという伝説が流布したことに言及したものでしょう。これはイエスの死と復活を風刺したものと見ることが出来ます。

獣の神の民への攻撃は四十二か月あるいは三年半にわたります。三年半はイエスの最初の到来と第二の到来の期間を表す典型的な表現です。すなわち、教会の時代です。獣は教会を迫害します。獣は「聖徒たちに戦いをいどんで(7)」多くの従者を得ます。

獣に従わなかったものは「ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされて(8b)」いた者たちです。

第二の獣はにせキリストの姿を持っています。獣は「火を天から地に降らせるような大きなしるし(13)」を行いました。彼は欺く者です。彼は「すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせ」ました(16)。その数字は666です。

この数字はある意味で再びネロ帝を際しています。ヘブル語の文字で「皇帝ネロ」と記すと、その文字は666に相当します。また別の意味では、黙示録の数字は通常象徴的です。7が完全を表す数字であるのに対して、6は不完全を表す数字です。666はですから三重の不完全さ、あるいは完全に罪に染まっていることを表します。

「ここに知恵がある。(18a)」サタンそのものは光の天使を装い、その配下にある悪霊は義の使いを装います(2コリント11:13-14参照)。最初の獣は「口は獅子の口のよう(黙示録13:2)」でした。第二の獣は二つの角を持つ「小羊のよう(11)」に見えました。あたかも獣たちは、獅子であり子羊であるイエス(黙示録5:5-6参照)のふりをしようとしているようです。

次に、私たちは第三の獣、バビロンを見ることになります(黙示録14:8、17-18章参照)。三つの獣はひどく不愉快なことに三位一体を風刺して真似ているように見えます。これらは多大な偽りを多くの人々に与えます。私たちは知恵深く善と悪とを見分ける必要があります。

主の御手によってあなたの名が子羊のいのちの書に書き記されていることを感謝しましょう。

祈り:主よ。私に知恵を、忠実さを、忍耐する力をお与えください。善をもって悪に打ち勝つことができますように。


神の手は神を見つめる者の上にあり

エズラ7:11-8:14

神の手はエズラの上にありました。エズラ記はコミュニティーの新鮮なスタートについて記しています。それは一人の人についてではありません。神はエズラを特別な方法で用いました。

エズラは主の手自分の上にあることを知りました。「私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。(7:28)」エズラは千五百人を超える男たちを集めました。たぶん、彼と共にいたのは、およそ全部で五千人のほどの人々であったことでしょう(8:1-14)。

明日の箇所で、私たちはまた、「私たちの神の恵みの御手が私たちの上にあった(18)」、「私たちの神の御手は、神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し…(22)」、「私たちの神の御手が私たちの上にあって(31)」ということを読みます。あなたが神を見る時、あなたは神の手が同じようにあなたにあることを確信できます。

エズラは祭司であり、聖書をとても親しく学んだ教師でした。「祭司であり学者、真理と神の道についての重要なエキスパート(7:11,MSG訳)」だったのです。

神は世俗の指導者(アルタシャスタ)を通して良い目的をもたらすために働かれました。再び、私たちは「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。(箴言21:1)」ということを思い起こします。アルタシャスタはエズラのために資金調達を命じる手紙を書きました(7:12以降)。

ここで、私たちは黙示録13章よりもローマ13章にもっとよく似た世俗の政治の例を見ます。アルタシャスタは書きました。「あなたは、あなたの手にあるあなたの神の律法に従ってユダとエルサレムを調査するよう、王とその七人の議官によって遣わされており(エズラ7:14)」彼は続けて「私はあなたを任命する。エズラよ。あなたの手にしている神の知恵を実践しなさい。正義を行使することができるように行政長官と判事を任命しなさい。…教えを知らない者たちすべてをあなたが教えなさい。(25,MSG訳)」

エズラは言います。「私たちの父祖の神、主はほむべきかな。主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ、王と、その議官と、すべての王の有力な首長の好意を私に得させてくださった。私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。(27-28)」

神の手があなたの上にある時、あなたは山の上にある光のようです(マタイ5:15)。主はあなたから輝き出します。そして、それは主に向かう人々を喜ばせます。主はあなたをリーダーとして用いられます。そしてあなたが必要とする勇気と権威をもってあなたを整えます。

祈り:主よ。あなたに向く者たちすべてにあなたの恵み深い手を置いてくださることを感謝します。あなたの愛とあわれみと守りを感謝します。あなたの恵み深い手が私の上にあるので、私はあなたを今日見つめ勇気を戴きます。

H.K