Tokyo Chapel

2018年12月22日

第356日

純潔と力

私たちのクリスマス礼拝では、私はオーケストラと聖歌隊の横に座ります。オーケストラは約50名の音楽家たちで、聖歌隊は90名です。彼らは皆、教会員で時間と賜物をささげてボランティアで奉仕しています。私は全く音楽的才能がなく、実際、まさに音痴なのですが、いつも素晴らしい音楽と歌声にあっけにとられるのです。それは天の前味です。

使徒ヨハネは書きました。「私は天からの声を聞いた。大水の音のようで、また、激しい雷鳴のようであった。また、私の聞いたその声は、立琴をひく人々が立琴をかき鳴らしている音のようでもあった。彼らは、御座の前と、四つの生き物および長老たちの前とで、新しい歌を歌った。(黙示録14:2-3)」天のオーケストラと聖歌隊は天の会衆の前で新しい歌を歌うのです。

ヨハネは続けて天の完成された教会を描きます。―彼の純潔と彼らのです。この二つは結び合わさっています。リック・ウォレン牧師が「奉仕において、個人的な純潔は、公的な力の源です。」とトゥイッターで記した通りです。


純潔と力なき者

箴言31:1-9

「リーダーには自分を愚かにする余裕はない。(4,MSG訳)」レムエル王は母から賢明な教えを与えられたリーダーでした。彼女は彼に不純さ(3)と酩酊(4-7)を避けるように警告しました。

それらはあなたの人生を台無しにします(3)。それらはあなたがしなければならないこと(5a)が何であるのかを忘れさせてしまい、力の弱い者たちの権利を彼らから剥奪してしまいます(5b)。

欲しいままに自己満足のためにあなたの力を使う代わりに、それを良いことのために使いなさい。「あなたは口のきけない者のために、また、すべての不幸な人の訴えのために、口を開け。口を開いて、正しくさばき、悩んでいる人や貧しい者の権利を守れ。(8-9)」

私たちの社会の中で誰が「口のきけない者」でしょうか?あなたや私が口を開いて権利を守るべき人々とは誰でしょうか?確実に次のような人々のためです。

  1. 貧しい人々
    全世界の人口の10%が毎晩空腹のまま寝床に就かねばなりません。数秒ごとに、貧困のために子どもいのちが消えていきます。今日、そして私たちが何か行動しなければ、毎日、何千人もの子どもたちが治療可能な疾病や貧困の為に死んでいくのです。年間何百万人もの五歳以下の子どもたちが死んでいます。そのうち半数以上の小さな子どもたちは簡単に手当てを受け予防を措置することができないために死に至るのです。彼らこそ「貧しく欠乏した者たち(9,MSG訳)」です。
  2. 奴隷にされた者
    大西洋間奴隷貿易が行われていたころよりも現在世界中で隷属状態になっている人数の方が上回るものだと思われています。全世界での人身売買による隷属状態の人々は何百万人に上ると推定されています。その多くは十八歳以下です。奴隷は恐ろしい不正です。「正義のために声を上げよ(9a,MSG訳)」
  3. 堕胎
    胎の中に胎児は声なき声を挙げています。ジャーナリストのニジェラ・ローソンは「堕胎される前」の声として次のように書き記しています。「もし事例証拠が判断基準となるなら、(私はそれに疑義を持つが)、[堕胎は]もっともっと価値判断に基づかないものとなり、事後的代替避妊の方法となっている。」しかし、今日、「口のきけない者(8)」である生まれてこない子どもたちのために声を上げる勇気を持つ人々はわずかです。
  4. 囚人
    世界中で不当に収監されている多くの人々、そしてたとえ理由があって収監されている人々であっても、しばしば彼らは非人道的な扱いを受けています。そして圧倒的多数は「口のきけない者」です(8)。

祈り:主よ。私が声なき者の声となって口を開くことができますように。公正に裁きがなされ、欠乏している者、貧しい者、困窮している者たちの権利を守ることができますように。


純潔と宣言

黙示録14:1-13

「それに私は息を呑んだ!(1,MSG訳)」イエス(神の子羊)はシオンの山に「その額に主の名と主の父の名が刻まれた(1,MSG訳)」十四万四千人の従者と共に立ちます。彼らは完全にされた教会がともに礼拝する様子を描き出しています。完全な純潔として五重の記述があります。彼らは…

  1. 子羊の血によってこの世から贖われた(3)
  2. 自分自身を清く汚れのないように保った、―「妥協することなく生きた(4a)」
  3. 小羊が行く所には、どこにでもついて行く。(4b)
  4. 神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われた(買い取られた,4c)。聖パウロが私たちは「代価を払って買い取られた(1コリント6:20)」という通りです。
  5. 正直な人々である。「彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。(黙示録14:5)」

純潔の教会の幻の後に続いて「あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるため(6)」の永遠の福音を宣べ伝える幻があるのは偶然の一致ではありません。これこそが教会の召し、すなわちイエスの良き知らせを宣べ伝えることなのです。これは第一の御使いによって告げられたものです。

第二と第三の御使いは人類が救い出される必要があるものが何かを見せました。すべての人々は「大バビロン」、「不品行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者(8)」の不健全な影響から救い出される必要があります。彼らはまた、「獣」から救い出される必要があります。この獣は自分のしるしを彼らのにつけたいと願っており、彼らを苦しめようとしているのです。

良き知らせは誰もこのしるしを自分の額につける必要がないということです。神の民である私たちは、その額に書き記されたイエスの名と父なる神の名を持つことができるのです(1)。あなたは忍耐強く耐え忍ぶように、神の命令に従い、イエスに忠実であるように召されています(12)。

そのメッセージを告げましょう。あまりにも多くの人々が平和を失っています。「だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない(11)」のです。他方、子羊に従うこと以上に大きな祝福はありません。「また私は、天からこう言っている声を聞いた。『書きしるせ。「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。」』御霊も言われる。『しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。』」(13)

祈り:主イエスよ。私たちをきよめ、あなたに従う者を汚れのない者としてください。私たちが贖われ、代価を以て買い取られた者であることを知り、正直なものであろうように助けてください。すべての国、民族、言語、人々に永遠の福音を宣べ伝えることができますように。


純潔と祈り

エズラ8:15-9:15

あなたは、自分の人生の先行きについてチャレンジに直面していますか?エズラはエルサレムへの帰還の旅を導き、神殿を再建するのに大きなチャレンジに面していました。

彼は女や子どもも含む五千人からなる人々の群れを導かなけれななりませんでした。四か月間の無人地帯を通過する冒険的な徒歩での旅です。―しかも莫大な量の金銭と高価な品々を運びながらです(8:15-27)。

エズラは賢明にもリーダーたちと一緒に始めました。「それで、私はかしらの…と、教師…を呼び集め(16)」リーダーシップは帰還と再建のためのエズラのビジョンを成就するための鍵でした。

ほとんどすべての神が与えたビジョンを成就するためには3つのことが要求されます。

  1. みんなで祈る
    エズラは祈りの人でした。彼は旅の出発の前に断食を布告しました。彼らは皆、へりくだって神に旅の安全を願い求めました(21)。神は彼らの祈りを聞かれました。「だから、私たちはこのことのために断食して、私たちの神に願い求めた。すると神は私たちの願いを聞き入れてくださった。(23)」
  2. みんなでささげる
    「王や、議官たち、つかさたち、および、そこにいたすべてのイスラエル人がささげた、私たちの神の宮への奉納物の、器類を量って彼らに渡した。(25)」
  3. みんなで仕える
    「捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のいけにえをささげた。…それから、彼らは王の命令書を、王の太守たちと、川向こうの総督たちに渡した。この人たちは、この民と神の宮とに援助を与えた。(35-36)」

神は、神の家の再建においてあらゆる方法で彼らを祝福しました。しかし神が彼らに誠実であったにもかかわらず、民は神に忠実ではありませんでした。彼らは自分自身をきよく保つことをしませんでした。彼らが異なる民族同士の結婚をしたという事実ではなく、むしろ彼らは国中で自分たちを「忌み嫌うべき実践(1,NIV訳)」によって「汚した」のです(9:11)。しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです(2)。

対照的に、エズラは軽率に罪を犯さなかった偉大な手本を私たちに与えます。彼は精神的にひどく落ち込みました。「私がこのすべてを聞いた時、私は衣と上着を引き裂き、…地面にへたり込んでしまい愕然とした。(3,MSG訳)」

彼は膝から崩れ落ち、手を主に向けて放ち、祈りに祈りました。その祈りは今日の私たち自身のため、また教会のための祈りとして適切かもしれません。「私の神よ。私は恥を受け、私の神であるあなたに向かって顔を上げるのも恥ずかしく思います。私たちの咎は私たちの頭より高く増し加わり、私たちの罪過は大きく天にまで達したからです。私たちの先祖の時代から今日まで、私たちは大きな罪過の中にありました。私たちのその咎のため、私たち…は、…恥を見せられて、今日あるとおりです。(6-7)」

しかし、エズラの時代の民とともにあったように、今日の今日のために、「しかし、私たちの神は、…私たちを見捨てることなく(9)」恵みをほどこしてくださるのです。

祈り:主よ。私たちをイエスの血によってきよめ、洗ってください。声なき者の声を挙げ、永遠の福音を国々に告げ知らせ、私たちの町や国に教会が立て直されますように。アーメン。

H.K

References

Nigella Lawson, The Times, 28 May 1997