2019年11月17日
第321日
クリスチャン生活の5つの「T」
クリスチャン生活とは多面的です。あらゆる瞬間において、同時に数多くの違った事柄があることに私は気づきました。今日の箇所で、私たちは5つのそれらの側面を見ます。それらは英語の表現ですべて「T」で始まる語で表されます。
1.信頼(Trust)
詩篇127:1-5
クリスチャン生活は、自分の力で一生懸命頑張るということではありません。それは信頼することによります。信頼は平和と安眠をもたらします。
「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。(1-2)」ビクトル・ユーゴーは「あなたが…自分の一日の仕事をやり遂げた時、平和の内に眠りなさい。神は目を覚ましておられる。」と書きました。
私達の生活、家族、奉仕のために自分自身の計画に忙殺されることは容易です。この詩篇は究極的にはあなたは主に完全に依存する者なのだということをよく思い起こさせてくれます。
これは偉大な安息のメッセージであるとともに、チャレンジに富んでいます。あなたがするすべての事柄の中に神の役割はありますか?あなたが独りでしようとしているあなたの人生の領域がありますか?それゆえ「むなしい働き」になっていませんか?
神はあなたの人生のすべての領域に関わることを願っておられます。もし、あなたが永遠の価値がある仕事をしたいと願うなら、あなたは、独りでそれをしようとせずに、主と共にあなたが提携していることをはっきりさせる必要があります。あなたの子どもたちも同様に神に信頼しなさい。子どもたちは祝福です(3-5)。そしてあなたは彼らのために、そして彼らの将来のために神に信頼すべきです。
祈り:主よ。私はわたしの生活、私の家族、私たちの教会を、そして私がかかわるすべてのことをあなたの手にゆだねます。私はあなたに信頼します。
2.試練(Trials)
ヤコブ1:1-27
すべてのクリスチャンがどのような所においても共通していることは、私たちは皆「さまざまな試練に会う(2b)」ということです。ヤコブの手紙は様々な国に散らされた十二部族(すなわち、ありとあらゆるところにいるすべてのクリスチャン)に向かって書かれました。
新約聖書の中で最も奇妙な節の一つとして、ヤコブは「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。(2)」と述べていることです。困難な状況を喜びなさい。これは世界観がひっくり返るものです。「試練」は人生の挑戦であり、あなたの信仰を試すもの、そして忍耐を養うものです(3-4)。
「すべての嵐は学校です。すべての試練はテストです。すべての経験は教育です。すべての困難はあなたの養いのためにあるのです。」と言われる通りです。
ジョイス・マイヤーは書きました。「神が私のやり方では物事を進めないということを私はついに理解しました。神は、私の人生に人々や状況を置かれました。その人生の中で、すべての過程を止めたくなるようなことが私に起こりました。そして、神はわたしと論争したくはなかったのです。神はただ、『はい、主よ。あなたの御心がなりますように。』と聞きたかったのです。」
あなたの試練の中で、あなたは知恵が必要です。ユージン・ピーターソンが言う通り、「知恵は第一に事実を知ることについてではなく、しかしながら、それを確かに含んではいるのですが、生きるための技です。」ヤコブは言います。「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(5)」
問題を取り扱うには二つの方法があります。一つは一人でそれに向かうこと。それは自然なことです。もう一つはどうすればいいのかを知るためにあなたを助ける神的な知恵を神に求めることです。
ヤコブは、あなたの「信仰がためされる(3)」ことについて語ります。彼は続けて「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。(12)」と言います。ほとんど、ヤコブはまるで全生涯はテストのようなものだと言っているようなものです。あなたがそのテストに立ち得た後で、あなたは神を愛する者に約束された冠を受けるようになるでしょう。
祈り:主よ。どうか私が決定しなければならないすべてに、そして私が直面する試練のすべてに知恵を与えてください。
3.誘惑(Temptation)
かつてある人が言いました。「機会は一回しかノックしないものです。しかし誘惑はドアチャイムを何度も鳴らします。」ウィリアム・シェークスピアは書きました。「誘惑とは、私の肘の脇に来る悪魔」と書きました。誘惑は、私たちが間違ったことをしていると感じるときです。誘惑そのものは罪ではありません。しかしそれは闘いへの呼びかけです。
誘惑はどこからくるのでしょうか?確実なことは神からではないということです。ヤコブは言います。「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。(13)」
しばしば、聖書の中で、誘惑は悪魔から来るように見えます。イエスは悪魔によって誘惑されました。アダムとエバは蛇によって誘惑されました。ヨブはサタンによって攻撃されました。
しかしながら、悪魔は私たちの悪い願いの上に働きます。「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(14-15)」
罪はいつも欺きです。ヤコブは書きます。「愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。(16)」良いことは神から来ます。「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。(17)」
あなたが、あなたが必要なものをそれは良くないと考える時、あなたは欺かれるのです。エデンの園での欺きはアダムとエバが、自分たちは良いことと同様に悪いことも経験することが必要だと考えたことです。神はただあなたに良いことを経験して欲しいのです。いつもあなたが悪いことをするような気持になった時に、正しいことをするように選ぶなら、あなたは熟練し、力と知恵において成長します。
祈り:主よ。すべての良い、完全な賜物はあなたから来ますことを感謝します。良くないことを経験することを願う欺きに騙されないようにお守りください。
4.舌(Tongue)
あなたの人格のテストの一つは、あなたの舌です。ヤコブは舌についての主題を大きく取り扱っています。舌をしっかり制御しなさい。あなたの口を支配しなさい(26)。
ヤコブは書きました。「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。(19-21)」
神のことばはあなたを変革する力があります。あなたは、神の言葉を聞き、それが言っていることを行うために、神の言葉をあなたの内にしっかりと植え付けるための時間を作る必要があります。多くを話すことよりむしろ、神のことばを聴き、そしてあなたの生活の内ですべての悪いものを取り除けるのです。
それそのものを聴きなさい。それだけでは十分ではありません。「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(22)」もしあなたが、それが言っているようにするなら、あなたは「祝福されます。(25)」これには、孤児や寡婦のお世話をすることや、この世から自分をきよく守ることを含みます(27)。
祈り:主よ。今日、私の舌を制御することが出来るように私を助けてください。特別に神のことばを聴くことが出来るように助けてください。
5.立ち返る(Turn)
エゼキエル32:1-33:20
神の御心は「すべての人が救われて、真理を知るようになる」ことです(1テモテ2:4)。
「立ち返る」という語は、エゼキエル書33章の中で7回登場します。神はエゼキエルを、見張りとして指名しました。彼には責任が与えられました。神は彼に「あなたが、悪者にその道から立ち返るよう警告」するように言いました(エゼキエル33:9)。」
神があなたに与えたメッセージをあなたが話すようにしなさい。あなたはその結果については責任を負っていません。エゼキエルは彼が警告を与えることをしなかったなら責めを負わねばなりませんでした(8-9)。
これは、家族、友人、イエスに従っていないとあなたが知っている人々、たとえば、アルファのゲストなどについて覚えておくべき重要なことです。あなたの責任は彼らを愛し、彼らを励まし、福音を聞く機会を提供することです。彼らが積極的な反応を示してくれなかったら大変がっかりします。しかしながら、彼らの決断の重荷をあなた自身がその肩に担ってはなりません。
エゼキエルが告げるようにと、彼に話されたメッセージはこうでした。「正しい人の正しさも、彼がそむきの罪を犯したら、それは彼を救うことはできない。悪者の悪も、彼がその悪から立ち返るとき、その悪は彼を倒すことはできない。正しい人でも、罪を犯すとき、彼は自分の正しさによって生きることはできない。(12)」
神は言います。「わたしは悪者の死を喜ぶことはしない。わたしは悪者が自分のやり方と人生を変えることを願っている。あなたの人生を立ち返らせよ!あなたの悪の道から戻って来い!(11,MSG訳)」
神はすべての人々が自分の罪を悔い改め。「義の生活を生き始めること、どん底にある人々に気前よくすること、盗まれたものを回復し、他者を傷つけない命を養う方法を耕し、…公明正大な人生を生きること」を始めましょう。(15-19,MSG訳)」
祈り:主よ。悪から立ち返り、いのちを見出すことを助けてください。そして、アルファで、私たちの教会で、そして世界中の教会で、多くの多くの人々があなたに立ち返り、いのちを見出すことを助けてくださいますように。アーメン。
H.K
References
Joyce Meyer, The Everyday Life Bible, (Faithwords, 2013), p.2060
Eugene Peterson, The Message, ‘Introduction to James’, (NavPress, 1993) p.1669.