Tokyo Chapel

2019年8月26日

第238日

神の恵みの小箱

私は最近、祈りが答えられたことを綴ったずっと以前の祈りの日記を読み返しました。

1976年9月26日、私は母のために祈ったことを綴っています。「主に母の不眠症の癒しのために祈った。」(私は彼女のために祈ったことを本人に告げていませんでした。)正確に3か月後、1976年12月26日、私の母が「4年間ずって眠れなかったのに、ここ数週間はよく眠れるようになって、もう問題はないと言った。」と綴られていました。

もちろん、祈りの答えを土台としてキリスト教を証明することはできません。なぜなら、懐疑主義者はいつもそれを偶然ということで片づけるからです。しかし、かつてカンタベリー大主教であったウィリアム・テンプルは言いました。「私が祈りを捧げると偶然が起きます。でも、祈らないと偶然が起きないのです。」祈りの答えの積み重ねは神を信じる信仰を強化します。

過去12年間、私は年初の私のお祈りに今日の新約聖書の箇所を書き留めてきました。これらの多くの祈りに神が答えてくださった方法はどれも思い返す度に驚くべきものです。すべての祈りの答えを忘れてしまうのはとても簡単なことだと私は気づきました。そして、祝福を忘れることもいとも簡単なのです。

ダビデは自分自身に今日の詩篇の箇所で言い聞かせています。「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」多くの人々は、自分たちの雇用に関係して得られる、あるいは国家からの「恩恵」を自覚しています。しかし、愛する天の父なるお方から私たちが受け取る「恩恵」についてはどうでしょうか?


神のすべての恵みを覚えて感謝する

詩篇103:1-12

神に賛美すべきことはとてもたくさんあります。ダビデはまるで自分自身に対して語り、自戒しているようです。「あぁ、我が魂よ。神をほめよ。頭のてっぺんからつま先まで。私は神のきよい名を祝します!あぁ、我が魂よ。神をほめよ。ただ一つの祝福も忘れるな!(1-2,MSG訳)」

ダビデは彼の人生で多くの問題に直面しました。罪、病気、そして「穴(3-4)」。しかしダビデは、使徒パウロのように(2コリント1:3)、神のたくさんの恩恵を賛美することから始めます。

  1. 赦し
    神はあなたのすべての罪を赦します(詩篇103:3)。「私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。(10)」「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。(12)」
  2. 癒し
    神は「すべての病をいやし(3)」ます。やがてある日、私たちは完全な癒しを受け取ります。神が直接的にそして超自然的に私たちを癒す時、私たちはこのしるしを今見ているのです。付け加えると、神は私たちの身体に免疫系、抗体、修復過程を組み込まれました。
  3. 贖い
    神は「あなたのいのちを穴から贖い(4a)」神の贖いが届かないほど深い穴は存在しません。

  4. 神はあなたに「恵みとあわれみとの冠をかぶらせ(4b)」ます。「天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。(11)」
  5. 満足
    神は「あなたの一生を良いもので満たされる。(5a)」

祈り:私はあなたを賛美します。主よ。あなたの恵みのゆえに…あなたの赦しと癒し、私を贖い、愛とあわれみの冠をかぶらせ、良いもので私を満たしてくださることを。


苦難の中であっても主の恵みを見る

2コリント1:1-11

あなたは離別や死別の苦難を味わったことがありますか?あなたは健康問題に直面していますか?経済やその他の生活の領域で大きなプレッシャーがありますか?誰かの反対や批判を受けていますか?あなたは困難、失望、困窮の時を過ごしていますか?

パウロはコリントの教会を創立した牧師です。パウロのほとんど個人的な手紙である、この書の中で、彼はリーダーの心を顕しています。パウロは問題(4)、苦難(5-8)、窮地(6)、困窮(8)、プレッシャー(8)を通り抜けていくことを知っている血肉を持つ人間としての感覚を顕しています。パウロが用いた言葉の意味は大きな重量の下敷きになることを意味します。

パウロは絶望の中にありました(8)。パウロは「死を覚悟しました。(9)」彼は「死の危険(10)」に直面しました。肉体的な迫害と同様に、批判、冷笑、病気、うつ、死別、不正、失意、誘惑、困難な個人的な人間関係に直面したのです。

ウィンストン・チャーチル卿は言いました。「悲観論者はすべての機会を困難とみなす。楽観主義者はすべての困難を機会とみなす。」この定義によれば、パウロはまさしく楽観主義者です!

パウロは手紙を賛美で始めます。彼らを通してもたらされる問題のゆえではなく、積極的な恵みのゆえにです。これらの恵みとは何でしょうか?どのようにしてあなたや私はすべての困難の中に恵みを見ることが出来るのでしょうか?

  1. あなたは慰められる
    「慈愛の父、すべての慰めの神が…どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。(3-4)」慰めという言葉は励ますこと、元気づけること、寄り添うことを意味します。神は「慈愛の父(3)」です。神は苦難に無関心ではありません。神は私たちの傍らに来られ、私たちとともに苦難に遭われます。神の聖霊は「慰め主(ヨハネ14:26)」です。
  2. あなたは他の人々の助けとなります
    あなたが今苦難の中にあるなら、慰めがないように思えるでしょう。しかし、やがてある日、あなたは他の人々に大いなる慰めを取り運ぶようになるのです。「神は、私たちは困難な時を通り過ぎる時、私たちのそばに来てくださいます。そして、それをあなたが知る前に、神は誰か困難な時を通り過ぎている人のそばに私たちを取り運びます。それによって、神が私たちにしてくださったのと同じように、私たちはその人のそばにいることが出来るのです。(2コリント1:4,MSG訳)」生活の難しさに直面している人々は最も効果的な働き手になるのです。
  3. あなたは変えられる
    困窮は「苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。(6)」金が火によって精錬されるように、またぶどうが刈り込まれてもっと実を結ぶようになるように、困難は忍耐、持久力、堅固さ、根気を与えます。
  4. あなたは一人ではありません。
    パウロは記します。「あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。(7)」ここで「ともにしている」と訳されている言葉はギリシャ語の「コイノニア(koinonia)」から来ています。その語は最も近しい関係を記述するために用いられます。困難な時に、私たちはお互いに慰め励ますように、極めて近しい関係を体験すべきです。「あなたが困窮するときはまた私たちも困窮する時です。(7,MSG訳)」
  5. あなたは神に信頼することを学びます
    物事がうまくいっているときは、独立独歩で行くことは容易いことです。しかし、すべてが上手くいかず、万策尽きた時、私たちは神を信頼するようになるのです。パウロはそれを次のように言います。「自分の力やそこから出てくる機知に信頼する代わりに、私たちが神を完全に信頼するように向けるのです。(9,MSG訳)」
  6. あなたは救われる
    パウロは書きます。「ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。(10)」過去において神があなたをどのように解放してくださったかをあなたが振り返る時、あなたは神が将来において、あなたを解放してくださるであろう確信をたしかに持つことができるでしょう。
  7. あなたの祈りは人の助けになる
    祈りは力強いものです。神は本当に祈りに答えてくださいます。あなたが他の人々を助けるための最善の方法は、彼らのために祈ることです。「あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。(11)」あなたの祈りに神が答えられるとき、神は栄光を受けられるのです。

祈り:主よ。すべての困難の中にあっても恵みを見ることが出来ますように。あなたの慰めを受け、自分ではなくあなたに拠り頼むことを経験させてください。あなたに助けを叫び求めます…。


神の恵みをあなたの誇りにすり替えない

2歴代26:1-28:27

物事がうまくいっている時は、物事がうまくいかない時と同じように、私たちの信仰がより多く試される時です。アメリカ大統領であったアブラハム・リンカーンは力についてよく知っていました。彼の言葉です。「ほとんどすべての人は逆境に耐えて立つことが出来ます。しかし、もしあなたが誰かの人格をテストしたければ、その人に権力を与えればいいのです。」

ウジヤの最初はとても良かったです。彼はたった16歳で王になりました(26:1)彼は「主の目にかなうことを行った。(4)」彼は「神への忠実な求道者であった。(5a)」「彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた。(5b)」「神は彼を助けて(7)」彼は有名になり、極めて力強くなりました(8)。「すべてが彼の思い通りに進んだように思えた(15,MSG訳)。

ウジヤが神を追い求める間、神は彼の祈りに答え、彼を助け、彼に成功を与えました。

しかしながら、「彼が強くなった(15c)」時、すべては悲惨なことになりました。名声、成功、権力は人を酔わせるものです。それらは人を高ぶりと傲慢の危険へと取り運びます。

「しかし、権力と成功は彼を自信過剰にした。高ぶりと傲慢に彼は陥った(16,MSG訳)。」彼がしたことは聖書の中で厳しく禁じられていることでした(民数記16:40、18:7参照)。多くのリーダーたちが彼の前に「立ちふさがって(2歴代26:18)」、「不信の罪(18)」であると警告していたにもかかわらずです。彼らに耳を傾けるどころか、彼の高ぶりが彼を「正気を失わせた(19,MSG訳)」のです。これは警告です。もし、物事がうまくいくなら、決して高ぶってはいけません。神を信頼し従い続けるのです。

祈り:主よ。あなたを賛美し続けることができますように。あなたに拠り頼み、全生涯を通じてあなたを追い求めることができますように。アーメン。

H.K