神はあなたに良いものを与える
私たちは皆、幸せを追い求めます。私たちは皆、愛を探します。私たちは皆、平和を切望します。しかし、しばしば、私たちは探す場所を間違っています。
聖アウグスチヌスは「主よ、あなたは私たちをあなたのために御創りになりました。私たちの心はあなたのうちに休むことを見出すまでは決して休まることはありません。」と祈りました。神こそがすべての良きものの源なのです。
喜びと平和の源
詩篇4:1-8
人は喜びと平和を間違ったところに求めやすいものです。「人の子たちよ。いつまで…むなしいものを愛し、まやかしものを慕い求めるのか。(2)」財産や所有物や成功こそが答えだと考えてしまいます。しかし、それは幻想であり偽りの神々なのです。ダビデは喜びと平和の源をどこに見出すべきかを告げています。神はあなたをご自身との関係のために御創りになったのです(4:3)。
毎日の生活に問題が生じない生き方などというものはありません。この詩篇は神への叫びで始まっています。「私の苦難から私を救い出してください。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。(4:1b,NIV訳)」ダビデは、神が聴いてくださることを確信していました。「私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。(3b)」
神だけが喜びと平和の本当の源です。「主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。(6b-8)」
物質的な繁栄や贅沢さよりも、神の臨在の中に大いなる喜びがあるのです。目に見える安全対策があったとしても、安らかな眠りの保証にはなりません。ただ神のみが「安らかに住まわせてくださる(8)」ことがお出来なるのです。
祈り:主よ。あなたの御顔を私に輝かせてください。あなたの臨在の喜びで私を満たし、平和に満ちた眠りをお与えください。
神の好まれるところと本当の幸せの源
マタイ4:23-5:20
本当の幸せとは、贅沢や美しさ、健康など、この世が指し示すものから得られるものではないとイエスは教えました。それはあなたがどう感じるか、何を持っているか、何をするかが問題ではないのです。
5:3-11で「幸い」と訳されているギリシャ語「マカイオス」には「祝福された」「幸運な」「幸せ」などと訳され、神の好意にあずかる特権という意味があります。英語の詳訳聖書では「うらやむほどの、霊的な豊かさ、すなわち外面的な状況に左右されない深い充足感を伴う、幸せ」となっています。
美しい態度(beautiful attitude!)である「八福(Beatitudes)」には、神の好意と祝福を受け取るためにイエスが指し示した、考えもつかない事柄が記さています。
- 霊的に神だけを切望する
「心の貧しい者は幸いです。(3a)」の「貧しい」の意味は「ただ他に頼ることしかない」ということを意味します。ここでは、イエスに頼る必要を認識して、身を低くすることを意味します。MSG訳では「あなたがロープの端にあるとき、あなたは祝福されている(3a)」となっています。霊的に貧しい者が祝福されているのは、イエスが可能にしてくださるために来られたということを通して、「天の御国(3b)」が到来したからです。 - 自分の状況のゆえに泣く
「悲しむ者は幸いです。(4a)」自分の罪を悲しみ、損なわれた周りの世界を悲しむこと。泣く者とともに泣きなさい。泣くことは間違いではありません。また、愛する人を失ったことを悲しむことは間違いではありません。イエスは「その人たちは慰められるから(4b)」と約束されました。神の慰めはこの世のどんな慰めにもまさるものです。ジョイス・マイヤーは「それを経験することが出来るので、問題を持つことは無意味ではないのです。」と言った通りです。 - 自分自身であることに満足する
「柔和な者は幸いです。(5a)」ギリシャ語で「柔和」は「優しい」「思いやりがある」「気取らない」などの意味があります。それは他人に親切にし、愛を示すことです。その逆は傲慢と自己中心です。柔和とは良く御された馬のように、しっかりと自分自身をコントロール出来ていることです。そのような人はイエスによって祝福され「地を受け継ぐ(5b)」のです。「自分が、自分以上でも自分以下でもなく、自分であることに満足している人は祝福されています。(5a,MSG訳)」 - 神に飢え渇く
「義に飢え渇く者は幸いです。(6a)」神との関係を第一にして生きることを求めましょう。他のものを第一にしていると結果的にすべては空っぽになります。しかし、神第一に生きるときに「その人たちは満ち足り(6b)」のです。「神を求めることに旺盛に取り組んでいる時、あなたは祝福されています。(6a,MSG訳) - 赦しとあわれみを受け取る
「あわれみ深い者は幸いです。(7a)」人々が受ける価値のあるものを与えのではなく、彼らが受ける価値がないと思うものを与えなさい。C.S.ルイスは言いました。「クリスチャンであるということは、言い訳の立たない者を赦すことを意味します。なぜなら、神は言い訳の立たないあなたを赦したからです。」「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。(7)」 - すべて嘘偽りなく
「心のきよい者は幸いです。(8a)」これは外面における純粋さだけではなく、内面の誠実さ、心が開かれ、嘘偽りがないことです。そのような純粋さこそが「神を見る(8b)」ことを許させるのです。純粋な心は、あなたの思考から始まります。なぜなら、思考はあなたの言葉となり、あなたの行動となり、あなたの性格となるからです。心が純粋であるということは、自分の傷や弱さをありのままに人に開示することを許すことです。 - 平和をもたらすことに努める
「平和をつくる者は幸いです。(9a)」対立を生み出すのではなく、平和を作りだしましょう。神の子、イエスはご自身の十字架の上で平和を作るために来られたのです(コロサイ1:20)。「その人たちは神の子どもと呼ばれるから。(9b)」
「競争し争う人々に一緒になれることを示すことが出来るとき、あなたは祝福されています。(9a,MSG訳)」 - 迫害を除いて見返りを期待しない
「義のために迫害されている者は幸いです。(10a)」この世界の中に批判はつきものです。神は迫害される教会とともにあります。「天の御国はその人たちのものだから。(10b)」
「あなたの神への献身が迫害を引き起こすのであれば、あなたは祝福されています。(10a,MSG訳)」
今日の箇所で、イエスが旧約聖書を成就した3つ目の様相を見ることが出来ます。私たちはすでにイエスが旧約聖書の歴史を成就したのを見ました(1:1-17)。第二にイエスは旧約聖書の預言を成就しました(1:18-4:16)。山上の説教において、イエスは旧約聖書の律法をその意味深さを掘り下げることによって成就したのです。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(5:17)」
かつてアメリカのロックシンガーで後に牧師となったジョン・ウィンバーは「イエスには限界がない。私たちは彼を喜ばせることは出来ても、決して満足させることはない。私はイエスによって満足を与えて頂いたけれど、私は彼を満足させたことはなかった。彼の基準はとどまることなく、彼は高嶺を歩んでいる。」と言いました。
山上の説教において、イエスは私たちのために基準を下げるのではなく、私たちをその基準まで引き上げてくださるのです。「わたしはあなた方を丘の頂上、灯台の上に立たせた。さあ輝け!(5:16,MSG訳)」
祈り:主よ。この年、山上の説教が教える価値観をもって過ごすことができますように。そして八福によって人格が整えられますように。どうか私が光となって、私の周りの世界を照らすことが出来ますように。
愛と一致の源
創世記9:18-11:9
愛は覆い、愛は守ります。愛は他人の弱さや失敗をあげつらうことをしません。愛は他人の不幸を喜びません。
今日の箇所はノアが酔っぱらってしまうという記述から始まります。ノアは正しい人でしたが、それは彼が完全であったということを意味するのではありません。セムとヤペテは「父の裸をおおった(9:23)」と記されています。
愛と一致はいつも相互に伴います。バベルの塔は不一致の象徴です(11:1-9)。人々は「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。(4)」と言いました。プライドと権力を求める行動は不一致をもたらすことになりました。それはこの世界の言語が混乱してしまうことに象徴されています。「それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(9)」
ペンテコステの日の出来事はバベルの裏返しです。聖霊は、人々に「私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。(使徒2:8)」と言わせることができたのです。異言の賜物は、聖霊がバベルの不一致を逆転させ、人々と言語に一致をもたらしたことの象徴です。
今日も、これは共通の体験です。聖霊は教会に、言語に、国家に愛と一致をもたらしてくださるおです。
祈り:主よ。どうか私たちが自分自身や自分たちの教会の名を高めることを求めることがないようにしてください。そうではなく、あなたのお名前に栄光を帰することを求めさせてください。主よ。ペンテコステの日のように教会にあなたの霊を注いでください。バベルの出来事を逆転し、不一致を終わらせてください。あなたの霊、そして神の国の価値観は愛、喜び、平和、本当の幸せ、そして一致をもたらします。アーメン。
H.K
References
[For a more detailed explanation and application of ‘The Sermon on the Mount’ (Matthew 5–7) see Nicky Gumbel’s book The Jesus Lifestyle]
C. S. Lewis, The Weight of Glory (New York: HarperCollins, 2001; Originally published 1949), pp.181–183.
St Augustine, Confessions: Book 1 (Penguin, 1961) p.21.