パーティー!
私はある日、イギリス女王から昼食の招待状を受け取りました。最初、彼は実に手の込んだジョークだと思いましたが、実際そうではありませんでした。私はその日、バッキンガム宮殿に愛用の自転車で出かけました。面白がっている警官が私を案内してくれました。私は、女王陛下の隣に座り、立派な御馳走を頂きました。「ホワイトチョコレート添えルバーブのパフェ」が運ばれてきた時、女王陛下は私の方を向き、話しかけてこられました。
それは実に美味しそうでしたが、ほおばりながら女王と話すこともはばかられたので、女王が話している間、じっと食べずに話を聞いていました。すると突然、女王は食事は口に合わないのかと尋ねました。「いえ、いえ、いえ…大好きです。」と言って、私はすぐに食べ始めました。私は女王には言いませんでしたが、その時、食べ物に手をつけなかったのは、イギリス女王のランチに招かれた特権に深く感動してのことでした。
イエスは神の国を王との盛大なパーティーになぞらえています。そこに私たち皆が招かれているのです。それはイギリス女王とのランチよりもさらに偉大な特権なのです。しかも、驚くべき事ですが、人によってはこの招待を断ることもあり得るのです。
王なる神に叫び求める
詩篇44:13-26
あなたは、あなたの信仰のために、あなたの隣人に「とがめ」を感じていることに気づくときがありますか(13a)?あなたの周りの人々から「あざ笑いやさげすみ」に遭ったことはありますか?私は確かにあります。時々あなたも、自分が間違ったことをしているわけではなく、むしろ正しいことをしているゆえの人生における困難に直面するかもしれません。
この詩篇は「神よ。あなたこそ私の王です。(44:4)」と告げています。神がイスラエルの王(本当のリーダー)であることは詩篇の中に共通した思想です。王への不従順の結果、迫害に遭うというよりも、むしろ王に従った結果として迫害に遭うことがあるのです。
反対に遭うということは、神の民の何かが間違っているというしるしと言うわけではありません。「このことがすべて私たちに降りかかるのは、何も私たちのせいであるのではない。私たちはあなたの契約を裏切ったりしなかった。私たちの心は決して偽っていない。私たちの足はあなたの道からはずれてはいない。(17-18,MSG訳)」
パウロは、キリストの愛からどんなものも引き離すものがあるだろうかと尋ねた時に、この詩篇(22節)をローマ人への手紙で引用しています。「『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ8:35-37)」
私自身の人生においてもしばしば振り返ってみるとき、この王は誠実なお方です。主は私たちが助けを求める叫びに応えてくださいます。主の愛は絶えることがありません。(詩篇44:26)
祈り:主よ。わが王、わが神よ。「立ち上がって私たちをお助けください。あなたの恵みのために私たちを贖い出してください。(26)」
王の招待にお応えする
ルカ14:15-35
「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう」(14:15)とあるように、神の国は盛大なパーティーのようです。イエスはこのパーティーの主催者です。神の子はあなたに素晴らしいもてなしと神の愛を経験させてくださろうと招待してくださっているのです。あなただけが主催者とともに居るのではありません。他の招待者もともに居るので、お祝いムードが高まるパーティーになるのです。
イエスが用意してくださった、あなたのために素晴らしい食べ物は、私たちの魂の奥底から満足を与えます。心の空洞を埋め、人生に意味を与え、赦しと死を越えるいのちをもたらします。祝宴の飲み物はすべての人の心の霊的渇きをいやします。
しかし悲しいことに多くの人々はそれを祝宴とは見ず、退屈なものと見なします。彼らは欠席のための口実を探し始めます。「みな同じように断り始めた(18)」のです。一人の男が不動産の理由で断りました。「畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。(18)」二人目は所有物の理由で断りました。「五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。(19)」三人目は人の理由で断りました。「結婚したので、行くことができません。(20)」
分析すると、惨め過ぎる弁解です。それらは全く道理のない、完全に不合理な理由です。すでに畑や牛を買ったのですから、それほど緊急に見に出かける必要性がありません。パーティー会場は狭すぎることはありませんから、結婚したばかりの男は夫婦同伴で出席すればよかったのです。
しかし、イエスの言葉は今日正しく響きます。神の国の盛大なパーティーに人々が招待された時、「みな同じように断り始めた(18)」のです。
イエスはまた、ご自身に従う犠牲について群衆に話しました。イエスは「まず座って…費用を計算(28)」することを彼らに勧めました。そのあとで、「まずすわって、考える(31)」ことについて勧めています。イエスは「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。(26)」と言われます。「憎む」という表現はセム語の言い回しで「愛・より少ない」という意味です。それは比較する言葉で、何かに上回る栄誉や特権ということを意味してはいません。言いかえれば、イエスはあなたの人生にとって、家族やあなた自身の命にさえまさって第一とならなければならないということです。
さらに、「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。(27)」と続いています。十字架が描いている者は明らかに苦難を受けるであろうということです。最後に「そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。(33)」とイエスは言います。あなたは自分の手のひらを開かなければなりません。そして主が自由にお使いになるように、すべてをお任せするのです。
イエスに従うことによる支払う価値ある覚えておくべき代償は、次のようなものとは比べ物になりません。
- あなたが受けたもの
神はあなたのためにパーティーを祝宴を設けてくださいました。それはこの世の何ものにも比べることはできません。 - イエスに従わないことによる代償
イエスは招きを断った人々の中で「食事を味わう者は、ひとりもいない(24)」と言いました。神があなたのために用意して下さったすべての祝福を見過ごしにするほどもったいないことはありません。 - イエスのために支払う代償の可能性
イエスはあなたに十字架を負うことに召しておられます(27)。しかし、あなたが担う「小さな十字架」はイエスがあなたのために担われた十字架とは比較になりません。
イエスがあなたのために可能にしてくださったことすべてを見過ごしにしてはなりません。神の国のパーティーへの招待を受けましょう。「急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。(21)」というイエスのあなたへの命令への応答として、他の人々を同じように招待しましょう。
祈り:主よ。神の国でのあなたのパーティーに招待された特権のゆえに感謝します。今日、私は手のひらを開けてあなたの思いのままに私のすべてをお委ねします。
イエスをあなたの神として王として礼拝する
申命記16:21-18:22
イエスこそ真の王です。この方を、この方だけを礼拝しましょう。この箇所には「他の神々」を礼拝することに対して警鐘を鳴らしています(16:21-17:7)。
厳しく警告されていることは、予言、超能力、星占い、タロット、手相、ウージャ占い、その他のそうのような活動をすべて避けるようにということです。(28:10-11)
天地を創ったお方を知れば、お天道様を拝む必要はないのです。あなたの時間とエネルギーと財産を、あなたの将来についてあれこれ言うような人々につぎ込んではなりません。将来に関わることまでも神に導いて頂きましょう。
歴史はイスラエルの民が「回りのすべての国々と同じく、私も自分の上に王を立てたい(17:14)」というかもしれないという時点まで進んできたことを示しています。もちろん、神と違って王は完全ではあり得ません。今日も多くのリーダーが失敗するようにイスラエルやユダの王たちの多くが誘惑にさらされるであろうことを神は示したのです。その誘惑とは「不道徳(17a)」「強欲(16,17b)」そして「プライド(20)」を含みます。
この箇所は理想的な王を描き出します(18-20)。この高い理想にかなった王政はダビデの時代にほぼ近しく到来します。しかし、それは完全に実現はしませんでした。後年、「ダビデの王座に着いて、その王国を治め(イザヤ9:7)」るべき王が到来する希望の土台が供されているのです。
イエスは理想的な王であるだけではなく、理想的な預言者でもあります。モーセは、彼のような預言者が神の言葉を語るであろうことを預言しました(申命記18:15)。使徒ペテロも、最初の殉教者であるステパノもこの箇所を引用してイエスがそれを成就したことを理解しました。(使徒3:21-22、7:37)。
神の国の王としてイエスが在位した時代に生きることが出来るとは何と言う特権でしょうか。偉大な預言者はよみがえられました。すべての旧約聖書の預言は成就しました。イエスは王です。
祈り:主イエスよ。あなたは私の神、私の王です。私はあなたを愛します。そしてあなたの愛してくださっていること、私を永遠のパーティーに招待してくださったことを感謝します。アーメン。
H.K