Tokyo Chapel

2019年9月6日

第249日

あなたの主を愛する方法

これらの人々はどうにかしてるんじゃないのか?彼らは異様な集団なのだろうか?カルトかもしれない?どうしてこの奇妙な表現を彼らはなんとよく使うのだろう?

もちろん、神やイエスが「主」と呼ばれることを私は知っていました。しかし、それまで、人々の一団が「主」という表現をこんなにも使うことを聞いたことがありませんでした。それから何年間か、私は聖書を学び、なぜ大学で初めて会ったクリスチャンたちがこの表現をこんなにもしばしば使う理由を理解し始めたのです。彼らは自分たちの主を愛していました!今、神は私の「主」なのです。私もまた、「主」を愛します。

「主(The LORD)」は旧約聖書の中で最も一般的に神を指す言葉です。それが大文字で書かれる時、この語はユダヤ人にとって神のための契約の名ヤーウェ(YHWH)を翻訳したものです(訳者註:新改訳聖書では太字で「」と表されます。)。神を畏れかしこむあまり、ユダヤ人はこの語を用いません。歴史的には、私たちはしばしばこの語を「エホバ」と発音してきました。しかし実際には当時は「ヤーウェ」に似た発音だったのです。やがて旧約聖書がギリシャ語に初めて翻訳された時(BC 250年頃)、YHWHという名は「キュリオス(Kurios)」とギリシャ語に訳されました。この翻訳はですから新約聖書にも反映されています。

新約聖書はさらに三位一体論的な理解で「主」を私たちに示します。それはイエスは主であるという特筆すべき主張を与えます。実際、「イエスは主」ということが出来るかどうかはクリスチャンの信憑性を試すことになります(1コリント12:3)。それはまた、聖霊は主であるという主張を導きます。「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。(2コリント3:17)」

父なる神は主です。子なる神は主です。聖霊なる神は主です。しかし、唯一の神が存在し、「主は一つ…神は一つ(エペソ4:5-6)」なのです。唯一の三位一体なる神は主です。主についての新約聖書の理解は旧約聖書で用いられている「主」を解釈する助けとなります。旧約聖書は新約聖書が意味する「主」についての理解を豊かにしてくれます。

あなたはどのようにあなたの主を愛しますか?


礼拝の中で主を賛美する

詩篇105:37-45

「ハレルヤ。(「主を賛美します」45b,NIV訳)」という言葉はこの詩篇全体を集約します。詩篇の作者は神を礼拝し賛美します。それは神が神であられるゆえ、そして神がご自身の民のために為された事柄のゆえにです。救い出し(37)、守り(39a)、導き(39b)、祈りに答え(40a)、満足を与え(40b)、誠実で(42)、喜び(43)、希望(44)です。

詩篇の作者は「主は、彼らに国々の地を与えられた。彼らが国々の民の労苦の実を自分の所有とするために。(44)」と記します。もちろん、これは第一義的には出エジプトのことを指しています。しかしながら、私たちの生活の中で、他社の労苦の実を、私たちが相続し、所有とすることが往々にしてあるものです。

私はしばしばこれをアルファでの関連で思います。とてもたくさんの人々がアルファの基礎を築くために何年も何年もかけて極めて大変な労苦を費やしてきました。チャールズ・マーンハム、ジョン・アーバイン、ジョン・コリンズ、サンディー・ミラー、ニッキー・リー名前を挙げれば枚挙いとまがありません。私たちは今、そのような人々の労苦の実を相続して得ているのです。

あなたの人生にこのような人々はいますか?今日のあなたがあることを神に感謝できる両親、友人、牧師、その他、そのような人々がいますか?あなたがその人々の労苦の実を自らのものととして所有するようになった、その人々です。

最高には、私たちはイエスによってこの詩篇の節が成就しているのを理解します。あなたはあなたのためにイエスが十字架と復活で成し遂げてくださったすべての財産を相続するのです。イエスが労苦し、私たちが相続します。

神のすべての祝福のゆえにあなたの主を賛美し感謝することを忘れてはなりません。

祈り:私はあなたを賛美します。主イエス・キリストよ。あなたは私に赦し、平和、喜び、目的、満足、充足、希望、交わり、自由、愛、力、導き、光を与えてくださいました。主を賛美せよ!


ささげものによってあなたの主に栄光を帰する

2コリント8:16-9:5

お金は大事です。それは呪いにも祝福にもなりえます。それは名誉をも不名誉をももたらしえます。

パウロの願いは「主ご自身の栄光のため(8:19)」です。ここで、「主」とはイエス・キリストを指していると思われます(23参照)。パウロは主の目にかなったことをしたいと願ったのです。

パウロは献金の取り扱いに関して(19)「名誉を汚すような不祥事が起こらないようにいつも予防措置を講じる(19-20,MSG訳)」ことによって、第一に主ご自身の栄光のためになるように心がけていました。これは誰かがパウロがお金を用いることに関して疑惑を持つかもしれないと考えるような隙を与えないことにも及びます(20-21)。

第二に、パウロは主の目にかなうことだけではなく、「公に対する私たちの評判を気遣って(21,MSG訳)」正しいことをしようと苦心していました。

これを私たちが出来る一つの道は、パウロが「岩のように強固な信頼を置ける(17,MSG訳)」と記述したテトスのような人物に教会のお金の取り扱いを任せることで確保されるのです。教会のお金の取り扱いに関係する人かどうかの判断としてこれは良いテストです。彼らは「岩のように強固な信頼を置ける」人ですか?

私たちが主に栄光のためになるもう一つの道は寛大さを通してです。

神は私たちに惜しみなく与えられました。パウロはコリントの人々にも気前よくあって欲しいと期待しました。パウロは「前に約束したあなたがたの贈り物を…、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。(9:5)」と言いました。

一つのクリスチャンの一団の熱心さは他の人々に拡がります。それは何百キロもの距離を超え、時には現代のような通信手段なしに拡散していくのです。聖パウロは記しました。「…あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させました。(2)」今やグローバルな通信手段を得ているあなたが与えることのできるインパクトはどれほどより大きなものでしょうか。どの教会も主の栄光をもたらすことが出来る潜在能力はどれほど莫大でしょうか。

祈り:主よ。私の気前良さがあなたが私に為してくださった極めて大きな寛大さを反映するものでありますように。それがあなたの御名の栄光となりますように。


あなたの主を関係によって知る

イザヤ10:20-13:22

驚くべき真理は、イエスに感謝すべきことですが、あなたも私も主を知ることが出来るということです。私たちは、主を知ることが出来るのです。

神はご自身の民をご自身との関係に召しておられます。「(The LORD)」という表現がこの箇所だけで20回出てきます。預言者イザヤは「主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たす(11:9b)」時を予見しているのです。神があなたを召した関係というのは次のようなものです。

  1. 信仰に基づく関係
    預言者イザヤは、彼の民が「イスラエルの聖なる方、主に、まことをもって、たよる(10:20)」ようになるのを心待ちにしていました。イザヤはさらに続けて、その日彼らが「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。(12:2-3)」と言うようになると言いました。

    ここに、私たちは、旧約聖書の中心として、信仰(「私は信頼して」)と救いが強く結びついているのを見ます。新約聖書ではそれはもっと明らかになります。あなたは主(イエス)にあるあなたの信仰によって救われるのです。
  2. 尊敬に基づく関係
    イザヤは「主を恐れること」について語ります。イザヤは神の民に「アッシリヤを恐れるな。(10:24)」と言いますが、神を恐れることへと呼びかけます。もしあなたが本当に神を恐れるなら、(聖書的な感覚で神を恐れるというのは聖なる尊敬です。)あなたはもう何ものをも恐れる必要はありません。
  3. 聖霊によってもたらされる関係
    主を知ることには聖霊を心の目と耳を向けることが含まれています。聖霊にあなたの心を導いてくださるように差し出すのです。イザヤは記します。

    「いのちを与える神の霊が彼の上に漂っている。
    その霊はは知恵と理解をもたらす。
    その霊は方向性を与え、力を築く。
    その霊は知識と神を畏れることを心に浸み込ませる。(11:2,MSG訳)」

聖霊はあなたの生活に来られ住まわれる時、聖霊はあなたを主を知る関係へと導きます。私の場合、奇妙な響きを持つ「主」が、世界で最も大切な表現になったという聖霊の体験を私が持ったときがそれだと言えます。

イザヤの言葉はイエスによって成就しました、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。(11:1-2a、また53:2参照)」

イザヤはさらに続けて、神が完全な裁きをどのようになさるのかについて語ります(11:3b-5)。正義と平和の神の統治は堕落の結果を逆転するのです(ローマ8:19-22参照)。「狼は子羊とともに宿り(イザヤ11:6)」この約束は紛争が多発する世界において、私たちの想像に難いものです。やがて「獣も人も傷つけたり殺したりしなくなる(9,MSG訳)」のです。

神はグローバルな幻をもっておられます。「全地は神が生きておられることを知る期待に溢れています。神のいのちある知識は海のように深く、海のように広いのです。(9,MSG訳)」私たちはそうあるべきです。救世軍の創設者であるウィリアム・ブースは言いました。「私は計画を思いついた。それが孵化する時、世界全体を覆う祝福をもたらすことになるだろう。」

イエスは、あなたが神を知ることができるようにしてくださったのです。イエスに臨まれた同じ主の霊はあなたに与えられているのです。聖霊はあなたに知恵と理解と助言と力を与え、あなたの人生は大きなインパクトを持つことができるのです。

祈り:主よ。貧しい者たちや乏しい者たちに代わって正義を求めることが出来ますように、あなたの霊で私を満たしてください。私を平和を作り出す者としてくださり、主の知識を拡げていく私の務めを為させてください。「海をおおう水のように(9)」この地を満たすまで。アーメン。

H.K