Tokyo Chapel

2019年6月24日

第175日

バトンを手渡す

私が21歳の時、大学を卒業しロンドンに移り、自分が通う教会を探していました。私はホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会を訪ね、サンディー・ミラーの説教を聞きました。その後、私は彼に会えたらいいなと思いました。その後すぐに、私はその教会に属し、この偉大なリーダーであり、友であり、目指すべきモデルである人物から学び始めたのです。

会衆の一人として何年かを過ごした後、私は英国国教会の聖職者として任職されるための訓練を受けに行き、初めてサンディー・ミラーと会ってから十年後に、彼の副牧師としてホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会に戻りました。2005年に彼が私にバトンを渡すまで19年間にわたって副牧師を続け、私はホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会の主任牧師という今の役割を引き継ぎました。今に至るまで、サンディーは私の目指すべきモデルであり、友であり、鼓舞してくれる存在であり続けています。

いつも、私の人生には学ばせてもらえる人々がおり、今度は私がバトンを渡すべき他の人々がいたのです。リレー競技の走者のように、私たちは皆、バトンを受け取り、それを手渡す責任があるのです。


語る

詩篇78:1-8

あなたには話すべき物語があります。すべての家庭には物語があります。すべての教会は神が為してくださったその教会の物語があります。すべてのクリスチャンは物語を持っています。それが「証し」です。私たちは皆、キリストによって神が為してくださった偉大な物語に接することができるのです。そして、私たちは「その物語を語る(6,MSG訳)」務めがあるのです。

この詩篇は、ダビデの治世に至るヘブルの歴史のスケッチを私たちに見せ、次世代にそれをつなぐことの重要性を強調しています。私たちはイスラエルの罪と神の善との対照を見ます。イエスご自身はこの詩篇を引用しました(マタイ13:35)。

詩篇の作者は言います。「それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行われた奇しいわざとを。…後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。(78:4-7)」

ホワン・カルロス・オーティーズは、彼の母国であるアルゼンチンで一人の年配の女性が、彼女の曾孫の一人を彼に紹介しようと会見した時の話をします。彼女は、6人の子どもがおり、36人の孫がいるということを話してくれました。彼女の大家族の話は印象的であり、特に彼女の孫はとても教育され、プロフェッショナルな職業についている人々がいることが心に残りました。そこでカルロスは彼女に尋ねました。「あなたはどのようにして、そのような大家族を、よく食べさせ、よい衣服を着せ、よく教育し、家族を拡大することができたのですか?」彼女は答えました。「私は何もしていません。ただ、6人の世話をしただけです。そして、彼らは自分たちの6人を世話したのです。」

それぞれの世代には、次の世代に神の良いお方であることを伝え、そして、神の善に背く時、人生を台無しにしてしまうことを警告する責任があります。

祈り:主よ。「主への賛美と御力と、主の行われた奇しいわざとを(4)」私たちに告げてくれた人々のゆえに感謝します。このことを次の世代に手渡し、彼らがあなたを信頼するようになりますように。


訓練する

使徒16:1-15

パウロは訓練を与える使命が自分にあることを自覚していました。彼はテモテという「好青年」を見出しました(1-2,MSG)。テモテはパウロによって弟子として訓練され教えを受けました。パウロはテモテのメンター(指導者)でした。彼らの関係は私たちにとってモデルです。あなたは、教えてくれるパウロを見出し、あなたが教えるテモテを見出すべきです。

多くの人々と同様に、私は自分が決断した、あるいは考案した主だった戦略的なステップは、1メートルの距離で話した相手との間で鼓舞され励まされたのであって、1000人の群衆を前に立った時ではなかったと言うことができます。説教が大きなインパクトを生み出すのは確かですが、私たちは説教者は講壇で語られた真理とベンチで受け取られた真理とが同じ量であると見積もり過ぎてしまうものです。私の人生において、「テーブルを挟んで適用される真理」が彼自身の個人的成長の鍵だったのです。これはテモテの場合にも鍵となっていたようです。

テモテがクリスチャンになったのはパウロを通してでした。そして彼らは非常に近しい友となったのです。パウロはテモテより年長でそれは親子のような親しさで表現されています(ピリピ2:22)。パウロはテモテを「私の愛する、忠実な子(1コリ4:17)」と呼びました。

彼らは行動を共にし、大きな働きをしました。「彼らは町々を巡回」しました(16:4)。彼らは一緒に投獄されもしました。その間、テモテはじっとパウロを見ていたに違いありません。そして彼の後継者として多くを学んだのです。

「テモテたち」が私たちを観察してくれることに希望をおくだけでは十分ではありません。私たちは若き弟子たちを戦略的に起用し、物事をリードしていく重要な機会を持たせなければなりません。パウロはテモテに実際的な責任を付与していました。パウロはテモテのことをよく知っていたので彼を信頼することが出来たのです。

パウロはテモテを最初からふさわしい仕事につかせました。彼らはともに決断し(4)、ミニストリーを共に行いました。「こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。(5)」

テモテは聖霊の導きに従うことについても学びました。彼らが「ムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。それでムシヤを通って、トロアスに下った。(6-7)」これは人生における重要なレッスンです。ニッキーは今まで少なくとも5回は、ある方向に進むべきだと思った時に「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」という状況を思い返すことができると言います。思い出すたびに、彼は聖霊がその計画を止めてくださったことに感謝します。振り返ってみるとそれは正しい判断ではなかったことが明らかだからです。

神はテモテとパウロを新たな方向に導きました。「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください』と懇願するのであった。(9)」当然のようにして、パウロはこれを明確に受け取り、彼らはマケドニヤに向かいました。「神が私たちを招いて、彼らに(ヨーロッパの人々に,MSG訳)福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(10)」

ピリピで、テモテは、最初の土曜日に祈り場があると思われた川岸にいた女性たちのグループを訪れたパウロを観察していました。(13)

パウロがイエスについて話すと、ルデヤという裕福な商人の女が回心しました。彼女はパウロを一行とともに彼女の家に滞在するように招待しました。「主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた(14)」ことが両者にとって、とても素晴らしい経験へと導いたのです。

パウロが記した最後の手紙は、テモテの手紙第二です。パウロはその生涯の最期の最期まで、彼にとっての優先事項は次世代を励まし、解き放つことだったのです。私たちもそうでありたいものです。

祈り:主よ。すべての「パウロ」たちが「テモテ」たちを見つけることが出来、かれらを訓練することが出来ますように。すべての「テモテ」たちがパウロのような、自分のすべての経験を手渡してくれるメンターを見出すことが出来ますように


教える

1列王12:25-14:20

私たちが歴史のレッスンを学び「後の世代の者、…にまた語り告げる(詩篇78:5-6)」ことをしなければ、彼らは過去の過ちを繰り返すことになるでしょう。列王記は神の民の歴史を記録し、次世代に、それから学ばせようとしているのです。

残念ながら、反面教師的な学びが多くありました。この箇所もそうです。ヤロブアムはおぞましい治世を敷き、多くの霊的負債を次世代に残してしまいました。

彼は金の子牛を二つ作って「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる」(12:28)と言いました。その結果「このことによって、ヤロブアムの家が罪を犯すこととなり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった(34)」のです。

ヤロブアムの犯した罪の要点は自分の都合の良い宗教の形を作って礼拝したということです。彼は神を礼拝することよりも偶像を礼拝することを推奨しました(12:28)。ヤロブアムの宗教は、自分自身の欲求と必要に都合よく作られた宗教なのです。

私たちは実際に金の子牛を作ることはなくとも、神に替えて神よりも大切にする偶像を作ってしまう危険性があります。教皇フランシスは「最も危険な偶像は、神が占める場所にとって代わりたいと願う自分自身です。」と言っている通りです。

このヤロブアムの罪は次世代に影響を及ぼしました。ヤロブアムの子、アビヤは病気になり若くして死にます(14章)。ヤロブアムは、ダビデという、二心なく、神を喜ばせた先の世代の良き模範を無視しました。それに代えて彼は「悪しき行いにおいて新記録を樹立した(14:9,MSG訳)」のです。

ヤロブアムは軍事、政治、富においては成果を上げました(19)。しかし、それはどう見ても成功したとは言えません。イエスの言葉に思いを留めるべきです。「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。(マルコ8:36)」生ける神との親しい関係こそが最も重要なことなのです。

祈り:主よ。あなたが立てられた産業、政治、芸術、メディア、ありとあらゆる社会の分野におけるリーダーのためい祈ります。かれらがあなたに栄光を帰し、あなたのメッセージとあなたの基準を次世代に手渡していくことができますように。

H.K

References

Juan Carlos Ortiz, Disciple, (Charisma House, 2001) pp.101–102.

Julie Schwietert CollazoLisa Rogak (Eds), Pope Francis in His Own Words (New World Library, 2013), p.46