Tokyo Chapel

2018年3月25日

第84日

イエスの7つのタイトル

チャールズ皇太子にはたくさんの称号があります。王位継承推定相続人、皇太子殿下、プリンス・オブ・ウェールズ、ガーター勲爵士、コーンウォール公爵、ウェールズ連隊名誉連隊長、ロスシー公爵、シッスル勲爵士、海軍少将、バス騎士団勲爵士グランドマスター、チェスター伯爵、キャリック伯爵、レンフルー男爵、諸島の主、スコットランド公及びスコットランドの大家令

称号は、階級、公職、功績などの徳によって人々に付与されるものです。聖書の中で、イエスは皇太子よりも多くの称号が与えられています。実に、イエスには百を超えるタイトルがあります。

聖書全体はイエスを中心に取り巻いています(ヨハネ5:39)。今日の聖書箇所から、イエスに関する7つのタイトルを読み解くことができます。それらはあなたの生活の中心にイエスを置くことの意味を理解する助けとなるでしょう。


1.神の知恵

箴言8:1-11

今日、多くの人々がどのように生きていいのかと探し求めています。彼らは結婚生活や他の人間関係を台無しにしています。しばしば、彼らは自分自身の人生や他の人々の人生を破壊します。私たちは皆、より良く生きるための知恵が必要です。

知恵はどこにあるのでしょうか?新約聖書は、究極的にはイエス・キリストに見出すことができると答えています。聖パウロは「キリストは…、神の知恵なのです。(1コリ1:24)」と言いました。「神の知恵」はイエスの一つの称号です。

箴言の8章は知恵を婦人のように擬人化して描いていますが、これは前章の夜のとばりに街角に潜んむ姦淫の女(7:6)と対照的です。知恵は、大通り(8:2)で分別を持って生きるように呼びかけます。それは人目をはばかるように誘惑する女と違ってオープンです。「交通の往来の行き交う町の広場にいて(8:2,MSG訳)」命取りとなるような遊女のではなく、純粋な花嫁としての楽しみをもたらすのです。

これは知恵は単なる知識とは違うことを示しています。知恵深くあることはより良く生きることです。より良く生きるための最初の第一歩は正しいゴールと願いを設定することです。姦淫の女に例えられるような感覚的な快楽ではなく、知恵を探求しましょう。

知恵はとても好ましいものです。それは、あるいは彼女は、銀や金や宝石より素晴らしいのです。「銀を受けるよりも、わたしの懲らしめを受けよ。えり抜きの黄金よりも知識を。知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。(10-11)」

もし、本当にあなたが知恵を願うなら、イエスとの関係に生きることを始めることです。それはこの世が与えるどんなものよりも価値あるものです。

その関係はあなたが人生を生き抜く中で効果をもたらします。この知恵はあなたが語る言葉に現れます(6-9)。それは義であり真理である言葉による正直で、真実なコミュニケーションです。(民数記20:3-5に語られている対照的な神への信頼を欠く言葉と比較してみましょう。)

祈り:主よ。本当に知恵はあなたとの関係に見いだされることを感謝します。あなたは宝石よりも尊く、あなたを知ることにくらべうるものはありません。今日、知恵をもって言葉を語ることが出来ますように。人を祝福する知恵の言葉を語らせてください。


2.花婿

ルカ5:33-6:11

イザヤ書に「花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ぶ。(62:5)」とあるように、旧約聖書で花婿は神御自身をたとえています。

イエスは神ご自身に当てはまるそのイメージをイエスご自身に当てはめて用いています(ルカ5:34)。それは、これ見よがしではなく、さりげなく示されています。イエスにとって、それは完全に自然なあてはめ方であったのです。イエスの示した前提はなお一層引き立つのです。

花婿としてのイエス、そして花嫁としての私たちというイメージは、イエスと私たちとの親密さを際立たせます(エペソ5:23)。イエスとの究極に完成された一致は再臨の時に体験することになります。私たちは今、花婿を待つ花嫁として婚礼の日を待ちわびて、特に「義に生きる」ことに焦点を当てて(黙示19:6-9)準備することに召されているのです。

イエスの教えは斬新で過激です。それはパリサイ人の思考の形式や行動のパターンには合いません。新しいぶどう酒は、新しい皮袋を必要とするのです。(ルカ5:36-39)

祈り:主よ。あなたとの親密な関係に私を召してくださってありがとうございます。花婿を喜ぶ花嫁のように私に喜びを与えてください。私の愛の応答をもってあなたに親しく礼拝をささげたいのです。


3.人の子

イエスは好んで御自身を指して、「人の子」とよく呼び習わしました(ルカ6:5など)。これはメシア的な呼び名です。ダニエル7章では「人の子のような方(ダニエル7:13)」について語られており、この箇所からイエスはご自身の使命とアイデンティティーを理解しておられたようです。この称号には、権威と力が謙遜と患難を伴って表されています。

私たちはイエスの私達への愛と私たちに及ぶ権威の両方を心に留めます。しばしば、私たちは二番目の事柄に十分な注意を払わずに最初のことに焦点を当てがちです。イエスの権威に服従し、ご自身の教えにつき従っていくことへと私たちは導かれているのです。

祈り:主よ。あなたが人の子を代表してくださっていることを感謝します。あなたは私のために苦難を追われました。


4.主

イエスは旧約聖書を再解釈しました。パリサイ人が「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。(6:2)」と尋ねた時に、イエスは旧約聖書の記事を用いて説明しました(3-4)。イエスはパリサイ人のあまりにも狭い安息日の理解をより広い読み方をしてみせたのです。

イエスは安息日に男をいやしました。そしてこう尋ねたのです。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。(9)」言い換えると、イエスは律法の言葉の背景にある律法の精神を見ていたのです。そして、「安息日の主(5)」としてのご自身を見せたのです。イエスは律法の言葉に縛られはしません。

イエスは過激に旧約聖書を再解釈しました。そして私たちに必要なのはこのレンズを通して旧約聖書を読むことです。私たちはイエスが言った事実の光をもって理解する必要があります。「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。(ヨハネ5:39)」私たちは今日の旧約聖書の箇所に特に3つの方法として分かります。

祈り:主よ。ありがとうございます。あなたは私たちが旧約聖書を読み解くカギです。


5.仲介者

民数記19:1-21:3

今日の箇所で、やぎと牛の血や「雌牛の灰(19:9)」はイエスの十字架の死を表わしています。

ヘブル人の手紙の作者は、これらの犠牲に注意をひいています。しかし、こう説明します。「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。(ヘブル9:14-15a)」

祈り:主よ。感謝します。「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。」(1テモテ2:5-6)


6.岩

神はモーセに岩から水が出ると告げました。「モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。(20:11)」水はこんこんと湧き上がったのです。

使徒パウロは「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。(1コリ10:3-4)」岩から水が出たことを解釈して説明しています。イエスこそ永遠の命である、渇くことのない水を与える岩なのです。物質によってだけでは満足しえないのです。

神はわたしたちに本当に気前のよいお方です。水はぽたぽたとではなく、「たくさんの水」が湧き上がったのです。イエスはあなたの人生を豊かにするために来られました(ヨハネ10:10)。イエスは私たちの霊的な渇きを「いのちの水の川(7:37-38)」によっていやすと約束されました。

祈り:主よ。私の岩よ。あなたは私の霊的な渇きを満たしてくださることを感謝します。私の内におられる聖霊によって、人々にいのちの水を流しだすことができますように。


7.偉大な大祭司

イエスは「偉大な大祭司(4:14)」であり、私たちのために永遠にとりなしてくださるお方です。大祭司アロンの死(民数記20:28-29)は私たちにレビ系の祭司職の脆弱さを思わせます。

ヘブル人への手紙の作者はアロンのような祭司を「彼らの場合は、ということがあるため、務めにいつまでもとどまることができず、大ぜいの者が祭司となりました。(ヘブル7:23)」と言い表し、イエス「永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。(24)」と対照的に描きました。

これは、あなたの信仰の内に持つことができる、私たちの確実性を思い起こさせます。あなたは十分に良いかどうかを心配する必要がありません。あなたはイエスにあって持っている救いに完全に確信を持つことができるのです。

祈り:主よ。私の偉大な大祭司よ。あなたは私を完全に救うことがお出来になります。あなたが死からよみがえってくださり、私のためにとりなしてくださることを感謝します。今もあなたは私をとりなしてくださっていることを感謝します。アーメン。

H.K

References

The Official Website of The British Monarchy: ‘Style and titles’,  http://www.royal.gov.uk/ThecurrentRoyalFamily/ThePrinceofWales/Stylesandtitles.aspx [Last accessed February 2015]