Tokyo Chapel

2018年6月27日

第178日

奇跡の神

アルファ・ウィークエンドの後でクインシー・ベローという兵士が私にメールを送ってきました。「この痛みは12年前から始まりました。海兵隊に所属するようになってから、その痛みはさらにひどくなりました。膝の皿の軟骨が完全に無くなってしまったのです。昨年は最悪で、靭帯と腱はずたずたになり、膝の皿は45度の角度で歪んでしまいました。それはそれは長い痛みの旅でした。私は長い時間、座ることも、立つことも出来なかったのです。

話せば長くなるのですが、私は神に、そしてアルファにチャレンジすることを決心しました。私はアルファ・ウィークエンドに参加してからしぶしぶですが、ホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会に出席することにしたのです。私は人々が証しをしているのを聞いて『うん、うん、なるほど。』と思いました。誰かが、知識のことばだと思いますが、膝の皿のことについて語りました。今まで経験したことのない激しい呼吸を感じました。私は祈ってもらうことに同意しました。そして私は神が私の膝を動かしておられるのを感じたのです。私は屈伸してみるとなんと痛みが消えていたのです。それは奇跡という他ありませんでした。昨晩はジョギングしました。…そんなことは痛みを発症してから、長年やったことのないことです。神は本当です。」そのメールのタイトルには「新品の膝」と記されていました!

神は奇跡の神です。


神が備えた奇跡を受け取る

詩篇78:17-31

詩篇の作者は続けてエジプトから約束の地に向かうイスラエルの民を描きます。神が奇跡をもって備えてくださったにもかかわらず、「彼らはなおも神に罪を犯し(17)」神に逆らって、こう言いました。「神は荒野の中で食事を備えることができようか。(19)」

それでも神は彼らに奇跡をもたらします。「食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた(24)」のです。これはイエスがもたらしてくださった霊的な糧の予型です(ヨハネ6:30-35)。

同じように、「確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた(詩篇78:20)」のです。神は岩から水が流れ出すという奇跡を見せてくださいました。それでも民は神を疑い、信ずることをせずに、神の解放を信頼しませんでした(22)。どんなに素晴らしい奇跡が起こっても、それは必ずしも彼らが信じる原因にはなりませんでした。

岩から流れ出た水の奇跡は実際に起こったことですが、それはまたさらに驚くべき出来事の予型です。聖パウロはこう記しました。「みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。(1コリ10:4)」

イエスは言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。(ヨハネ7:37-38)」これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのです(39)。

祈り:主よ。私の内に住んでおられる聖霊の「いのちの水」を感謝します。今日、出会うすべての人にこの超自然的な命を分かち合うことができますように。


イエスの復活の奇跡を信じる

使徒17:22-18:8

誰に対してでもパウロが語ったメッセージは「イエス」です。パウロは話す相手のレベルに合わせて話し始めます。ユダヤ人に対しては旧約聖書に預言されているメシアとしてのイエスから語りましたが、アテネではギリシャ人たちにはそのように始めず「知られない神(17:23a)」をイエスを彼らに説明するために用いて話し始めました。

パウロは彼らの偶像礼拝を叱責することからではなく「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。(23b)」と積極的にアプローチしました。パウロは神について3つのことを語っています。神は創造主であること(24)、神は自己完結しておられること(25)、そして私たちは皆、このお方を必要としていることです(27-28)。

パウロは彼らの詩を肯定的に引用して続けます。「あなたがたの詩にもそれは歌われています(28,MSG訳)」クリスチャンは真理の独占権を持ってはいません。神はご自身を創造のうちに啓示されました。そして、私たちは世俗のあれこれの中に傑出した洞察を見出します。

彼のメッセージのクライマックスは神が歴史の中でなされた最も重要な奇跡「イエスの復活」です(30-31)。パウロは復活の歴史的証拠を持っていることを主張しました。彼はダマスコの途上に復活の主イエスと出会っていたのです。

指し示している内容はとてつもなく重要です。イエスにとって、死は終わりではないということです。そしてそれはあなたによってもわたしにとっても同じです。ここで、パウロは、神がやがてご自身が指名した人、イエスによって正義をもってこの世界を裁く日を設けておられることの証拠として、復活があるのだと言っているのです。パウロは人々に応答する機会を与えたのです。

イエスについて、そして死からのよみがえりについての話を聞いた人々の反応は、今日私たちが経験するのととてもよく似ています。

  1. ある者はあざ笑いました
    「ある者は彼(パウロ)に向かって笑い、冗談だろと言って立ち去りました(32a,MSG訳)。もし、あなたが誰かにこのような反応をされても驚いてはなりません。
  2. ある者は関心を持ちます
    「このことについては、またいつか聞くことにしよう(32b)」という人もいます。この世界には純粋に関心を持っても、時間がないという人がたくさんいます。アルファのようなコースはこのような人々に機会を提供します。
  3. ある者は信じます
    「しかし、彼につき従って信仰に入った人たちもいた。(34)」彼らは真っすぐに信じました。あまりないことかもしれませんが、イエスについて初めて聞いたときにイエスを受け入れる人々がいることは素晴らしいことです。

パウロがコリントに言った時、おそらく、彼はイエスについて、そして復活についての同じメッセージを語ったことでしょう。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとしました(18:4)。パウロは盲信することを強要したのではありません。あなたの信仰は理に合わないものではありません。イエスの生、死、復活の事実は信じる根拠を与えます。証拠を基礎として人々に促すことは可能です。もし、イエスが死から奇跡的によみがえったのなら、イエスはキリストであることの証拠です(5)。

さて、アテネにいた時、異なる反応がありました。ある者は反抗して暴言を吐きました(6)。一方、主を信じた者もいたのです。「会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。(8)」

祈り:主よ。イエスの復活の奇跡をありがとうございます。このメッセージの力は人生を変革することのゆえに感謝します。


神の火の奇跡

1列王18:16-19:21

神はエリヤの人としての営みを通して顕著な奇跡を起こしました。この説明は物事の超自然性を際立たせます。

私たちはどのように生きるのか、またどのお方に仕えるのかを決断しなければなりません。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。(18:21)」とエリヤは決断を迫りました。

エリヤは彼らをテストして言いました。「火をもって答える神、その方が神である。(24)」

人の手によって作られた神に従うことは虚しいことです。どんなに大声で呼ばわったとしても何の声もありません(29)。エリヤは大声を出すことなく(36)祈りました。なぜなら彼は生ける神に願ったからです。

あなたはエリヤの確信をもっていつも祈ることができるのです。あなたもまた、生きている神に祈っていることを知っており、そのお方があなたの祈りを聴き、あなたに代わって事を為してくださるということを知っているからです。

私たちが「聖霊、来たり給え。」と祈るときはいつも、私たちは、神の炎がすべての人々に降ったペンテコステの奇跡を再び起こしてくださいと願っているのです。私たちは叫ぶ必要はありません。また感情を駆り立てるひつようもありません。シンプルに尋ね求めればよいのです。

エリヤの祈りに応えて、主は火を下されました(38)。それを見た民は「主こそ神です。(39)」と言いました。

これは素晴らしい奇跡でした。しかしエリヤは私たちと変わらぬ人です。つまり、彼はただの人間です(ヤコブ5:17参照)。この霊的興奮状態の後、彼は情緒的な落ち込みを経験しました。彼は「主よ。もう十分です」とひどく落ち込みました(19:3-5)。彼は恐れ、落胆し、鬱になり、自殺しかねない状態でした。私たちは疲れ果ててしまう時、簡単に虐げられている感覚、誤解されている感覚、粗末に扱われている感覚に陥ります。良く寝て、食事を摂った後、彼はもう一度エネルギーを得たのです。

それでもなお、彼は孤独で、一人取り残された感覚にありました(10b,14b)。

それは本当のことではありませんでした。神はバアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった七千人をイスラエルの中に残しておられるのです(18)。しかし、あなたの職場、あなたの家族、あなたの隣人の中で孤独で独りぼっちな感覚に陥りやすいものです。あなたと誰かがともに行く時、(たとえば、日曜日に)あなたは決して一人ではないと思いに留めるでしょう。

聖霊の御声は決して大きくはありません。神はエリヤに語りました。風の中にも、地震の中にも、火の中にも声はありませんでした(11-12)。それは小さなささやきです。時々、私たちはこの世の喧騒を離れて主の細き御声をあなたの霊の深みで聴くことが必要です。

祈り:主よ。感謝します。あなたは奇跡の神、イエスを死からよみがえらせた神、火をもって答える神、岩から水を湧き出させる神、そして優しくささやいて、私たちとつながってくださいます。今日、あなたの御声を聞かせてください。アーメン。

H.K