Tokyo Chapel

2019年1月27日

第27日

道から外れずに行く方法

ピッパと私はハイキングするのが好きです。少し前に、私たちはイギリス南部の丘陵地帯にハイキングに出かけました。二人とも、方向感覚はあまり良いとはいえず、しかも地図を持ってくるのを忘れてしまいました。いつしか道を外れてしまい、どこかの牧草地に迷い込んでしまいました。

日が短い季節で、すぐにあたりが暗くなり始めました。私たちが車を置いた場所に戻るには、たくさんの牛の群れがひしめく牧草地を横切るしかないように思えました。彼らが群れに近づくと、何頭かの牛が馴れ馴れしく近づいてきて行く手を阻みました。他の牛は驚いたのか、牧草地の周りを突進し始めました。

このままだと迫って来る牛でぬかるみになぎ倒されると予感し、私たちは滑りやすい急な土手をあわてて駆け上ることになりました。ピッパはすっかり歩き疲れ、あたりはすっかり真っ暗になり、どこに帰り道があるのか分らなくなって、事態はまったく良くありませんでした。

幸い、私たちはなんとかして帰り道を見つけ出し、助かったのです。今後、ハイキングに備えて決めたことは、地図を持って行くことと、道を外れないということでした。道を守りさえすれば、安心して、会話を楽しみながら、お互いイライラせずにハイキングを楽しめることでしょう。

聖書の中に、神の道のイメージがしばしば用いられます。それは人生を導く道です。


神の道に歩むことを堅く守る。

詩篇17:1-5

ダビデは「私の歩みは、あなたの道(今までに誰かが通った小道)を堅く守り、(5a,AMP訳)」と言いました。ここで用いられているヘブル語の「道(17:5)」は轍(わだち)即ち車輪の跡を意味します。ダビデはいつも神の道に留まることを決めていました。神が付けてくださった筋道から外れずに進むためには、次のことから目を離さないことです。

  1. あなたの心(考えること)
    「あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました。あなたは私をためされましたが、何も見つけ出されません。(3a)」
  2. あなたの言葉(言うこと)
    「私は、のあやまちをしまいと心がけました。(3c)」
  3. あなたの足(行くところ)
    「私のはよろけませんでした。(5b)」

祈り:主よ。あなたの道にとどまることができますように。よろけることがありませんように。昼も夜も私の考えを守ってください。言葉にも行動にも、あなたに逆らって罪を犯すことがありませんように。


人間関係において神の道にとどまる。

マタイ19:1-15

人間関係についてのイエスの教えは、あなた自身の生活や社会にとって肝心なものです。この箇所には、家庭生活における神の道が述べられています。

  1. 結婚生活の重要性
    パリサイ人はイエスに離婚について尋ねましたが、イエスは結婚について語りました。イエスは創世記2:24を引用して創造から説明しました。「それゆえ、人は父と母を離れて…二人は一心同体となる」(19:5)。創世記からのこの節は、結婚のための設計図のように思えます。旧約聖書やパウロ(エペソ5:31)だけではなく、イエスご自身によっても語られました。

    結婚は終生にわたる伴侶への献身という社会の中での行動です。それは、それまでの父母との関係よりも優先されるものです。一心同体というはヘブル語では文字通りには「糊付けされる」という意味で、肉体的、生物学的な意味だけでなく、情緒的、心理的、社会的、霊的に一つとなることです。これこそがクリスチャンが言うところの一心同体の一致です。聖書的な結婚の教理は、最もエキサイティングで前向きなものです。それはまた、もっともロマンティックなものです。それは、私たちの前に備えられた神の完全な計画です。
  2. 離婚の容認
    パリサイ人はモーセの律法を引き合いに出して離婚がどうして容認されるのかを問いました(19:7)。イエスは「あなたがたの心がかたくななので、(8)」というモーセがそれを認めた理由で答えました。そして律法を盾にとって妻を離別しようとする男たち(その当時の女性の権利は非常に小さいものでした。)に頑強に対峙したのです。

    モーセが離婚を認めたのは、神の理想に届かない人間の状況への神の恵みとあわれみを思い起こさせるものです。

    結婚生活の破綻の痛みを経験した人々の多くは、今日の旧約聖書の箇所にあるヨブの苦難と同じ思いを持つことでしょう。私たちは、私たちの、また人々の結婚生活を可能な限り守ることが必要です。そして、離婚を経験した人を可能な限り慰めることが必要です。(それはエリファズのように非難することによってではありません。)
  3. 独身の召し
    イエスは三種類の独身のタイプについて語りました。一つ目は、遺伝学的にです。「母の胎内から、そのように生まれついた独身者(12a)」と記されています。「結婚を考えもしない(12,MSG訳)」人です。二つ目は「人から独身者にさせられた者(12b)」です。つまり「申し込まれたり、受け入れたりしなかった(MSG訳)」人です。三つ目は「自分から独身者になった者(12c)」です。彼らは「王国の理由のために結婚しないと決心した(MSG訳)」人です。独身であることは一時的かもしれませんし、一生かもしれません。新約聖書はそれを「次善のもの」とみなしているのではありません。結婚も独身も神からの召しであり、新約聖書によれば、どちらも有利さと不利さを持っているのです。
  4. 子どもたちの優先順位
    イエスの言葉はイエスと同時代の多くの人々の子どもたちに対する態度に対して挑戦しています。古代の社会において、子どもはしばしば社会の外縁に置かれる存在でした。古い英国の言い回しを使えば、子どもたちは「見えども聞こえざる(子どもは姿は見せても声を出してはいけない。子どもは大人の前でみだりに口を利いてはならない)」存在であるべきだったのです。

    神の道はそれとはとても異なります。イエスは子どもたちに手を置き、子どもたちのために祈りました(13a)。イエスが子どもたちによって気をそらされるべきではないと弟子たちが感じた時、イエスは答えました。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。(14)」イエスは私たちの生活に高い優先順位をもっているべきだということを示したのです。

    子を持つ親として、子どもたちに高い優先順位を置くことはとても重要です。そして、子どもたちが私たちの働きや奉仕を邪魔する者として見ないということはとても重要です。教会として、私たちは、子どもたちや青年たちが物資や設備を優先的に使うことができると見る必要があります。なぜなら、天の御国はこのような者たちの国だからです。

祈り:主よ。私たちがの個人的な生活においても、社会においても家族生活の道から外れることがないように助けてください。家族生活を強める働き手の祝福のためにお祈りします。


他者が神の道にとどまるように支える。

ヨブ4:1-7:21

私が神の道から逸れないように私の友人が支えてくれる時にとても感謝します。しかしながら、時に誤解から、間違った手が伸ばされることもあります。この箇所で、私たちは、神の道にとどまるように助けたヨブ(4:3-4)とヨブに何の助けも与えなかったエリファズ(6:21)を対照的に見ます。

時々、人々は尋ねます。「聖書の中の言葉は全部本当なの?」私の答えはいつも同じです。「そうですでも他の本と同様、解釈が必要です。」解釈のルールの一つは、文脈に沿って解釈しなければならないということです。

今日の箇所で、私たちはヨブの友達の一人であるエリファズの言葉を読みます。私たちはこの書の最後にある事実の光を照らしてこれらの言葉を読むべきです。主はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。(42:7)」ですから、この箇所を読む時にそれらはすべてが真実ではありません。ヨブの友人たちは苦難という課題への答えをあまりにも簡単化しすぎたのです。彼らの診立てはしばしば無邪気で、敬虔ぶって、現実に即していないのです。

一方、ヨブは、現実に即し、彼が痛みをもって眠れぬ夜を過ごし悲しみと苦難のうちに葛藤していることに正直です。彼の苦悩は、エリファズや彼の友人たちが示唆したようにヨブの罪が原因ではありませんでした。ヨブは実直に尋ねます。「私がどんなあやまちを犯したか、私に悟らせよ。(6:24)」エリファズや友人たちが要するに「あなたはこのような苦難を受けるに値するなんらかの間違いを犯したに違いない。」と言ったのに反して、神の霊は、実際に認識できる特定の罪を示します。誰かが苦難におかれているとすれば、それは必ずしもその人が何か罪を犯したことが原因というわけではないのです。もし、そのような原因を持っているなら、神はその特定の罪を見せ、悟らせてくださいます。

エリファズと友人たちは真理と欺瞞をごちゃまぜにして助言したのです。そして、彼らの言葉にはそのような解釈が必要なのです。エリファズが言った言葉の中にたぶん真理であるのは、ヨブが人々が神の道にとどまるのを助けた人であると言ったことです。「見よ。あなたは多くの人を訓戒し、弱った手を力づけた。あなたのことばはつまずく者を起こし、くずおれるひざをしっかり立たせた。(4:3-4)」

あなたの務めは自分自身が道から外れないようにするだけではなく、ヨブのように、他の人が同じように、あなたの行動や言葉によって他の人々が道から外れないように助けることなのです。

祈り:主よ。私が道から外れないように支えてくれるすべての友人のゆえに感謝します。苦難の中にある人々に純粋な慰めを与えることができますように。つまづき、よろめく人を支え、力づけることができますように。互いに主の道から逸れることなく歩むことができるように助けてください。アーメン。

H.K