Tokyo Chapel

2018年10月12日

第285日

思い切って違ってみる

私は一度ナダルカニ牧師に会ってインタビューする機会に恵まれました。ユセフ・ナダルカニは19歳の時、イエス・キリストと出会いました。彼は牧師に任職され、イランで教会を導きました。

2010年、32歳の時、結婚し、二人の子どもを授かりました。彼は逮捕され、「背教罪(イスラムからクリスチャンに回心させた)」のために死刑を求刑されました。感謝なことに、2年後、国際社会からの圧力に支えられて、判決が覆りました。

公判中、ナダルカニ牧師は死刑が求刑されたにもかかわらず、自分の信仰を撤回することを拒みました。彼は判事に言いました。「私は、私の信仰とキリスト教に堅い決意を持っています。私は撤回することを望みません。」外務・英連邦大臣であったウィリアム・ヘイグは彼の勇気に敬意を表しました。英国紙「ガーディアン」は彼を「気高き勇気あるクリスチャン」と称しました。今日、世界中でナダルカニ牧師のようなクリスチャンが、信仰のゆえに迫害にいまだ直面しています。

イエスは本当の人間性を私たちに描いています。彼のようにすることによって、思い切って違ってみることです。この世があなたに好ましいと告げることに従ってはなりません。もっと、「クリスチャンらしく」なることによって神に従いましょう。


この地で「旅人」になる

詩篇119:17-24

あなたの職場や近隣の人々の中で、自分がまったく場違いな感じを味わったことがありますか?あなたの価値観や生活スタイルがちょっと違うように思えますか?時々、あなたは「そしりとさげすみ(22)」に直面することがありますか?

詩篇の作者は言います。「私は地では旅人です。(19)」旧約聖書の偉大な人々は男も女も皆「この地では旅人(ヘブル11:13)」でした。使徒ペテロは記します。「あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。(1ペテロ1:17)」詩篇の作者のように、神のしもべとして、私たちの周りの人々とは違った存在であるように私たちは召されているのです。

詩篇の作者は、彼の周りの人々と違って、このように記します。「私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。(詩篇119:20)」かれが聖書を読む時、彼はこう祈ります。「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください(18)。」あなたが聖書を学ぶとき、これは素晴らしい祈りです。私たちは聖霊によって啓示を受けるときにのみ理解することができるのです。

あなたの周りにいる幾人かは「悪い隣人」で「意地悪なうわさ話」を蒔きます(23a,MSG訳)。他方、神の言葉は、彼にとって「良き隣人(24,MSG訳)」です。彼はこう記します。「私はあなたの知恵ある助言を一心に熟考しました。そうです。あなたが生活で語ることは、私に喜びをもたらします。私はそれらを聴くとき、まるで良き隣人のようです!(23b-24,MSG訳)」

祈り:主よ。この地で旅人として生きる勇気を私に与えてください。あなたの言葉を身を焦がすほどに切望し、あなたの言葉を思い巡らすことを助けてください。私の眼を開いて、あなたのみことばにある素晴らしさを見ることができるようにしてください。


違った生き方をしてみる

1テサロニケ5:1-28

私たちの周りの世界とは違った者となるように召されているので、私たちはこれをどうすればいいのかという具体的な説明が与えられました。パウロは書きます。「ほかの人々のようにならないようにしましょう。(6,NIV訳)」思い切って違ってみるのです。パウロはその違いを4つのたとえ(隠喩)を用いて表しています。

  1. 暗闇ではなく
    周りの世界は暗闇の中に生きています(4)。暗闇から逃げ出すのではありません。むしろ、その中で輝くのです。「あなたがたはみな、光の子ども(5a)」なのです。暗闇は無知と罪を含んでいます。あなたは暗闇の中にいました。イエスはあなたの人生にご自身の光を照らしました。あなたは光の子どもです。何々の子どもであるということは、その何々の性格を持っているということを意味します。クリスチャンが「光の子ども」のようであると言う時、それは「光」が「あなたを人々と区別する性格」であることを意味しているのです。
  2. 夜ではなく
    パウロは書きます。「あなたがたはみな、…昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。(5)」光と闇についての先の例と同様に、これも、先に述べられた「主の日(2)」について言及しています。私たちは主の日の子どもたちです。やがてイエスが再臨する偉大な日の大勝利を予見し、それに加わる者であるという意味を伴っているのです。
  3. 眠りではなく目覚める
    パウロは「ほかの人々のように眠っていないで、…眠る者は夜眠り(6-7)」と書きました。彼は続けて「私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。(10)」と書きました。イエスは今あなたと共におられます。イエスご自身もこれと同じように、目を覚まして見張り続けなさいという言葉を用いました(マタイ24:42,25:13)。霊的に眠ってはなりません。主の再臨を待ち、準備しましょう。― 目を覚まし、見張りなさい!
  4. 酔わずにしらふでいる
    パウロは書きました。「慎み深くしていましょう。(1テサロニケ5:8)」この言葉の文字通りの意味は「ぶどう酒に酔わない」です。他の比喩と同様に、それは物理的状況と霊的現実の両方を指しています。飲酒は自制心を弱めます。そして現実から逃避するための甘えになります。あなたの生活のすべての領域に自制を追い求めましょう。信仰と、愛と、希望を身にまといましょう。(8)

あなたの生活スタイルはあなたの周りの人々とは全く違っているべきです。あなたは、あなたの指導者を尊敬すべきです。「あなたがたのために労しているこれらの指導者たちを敬うように、私たちはあなたがたに頼みます。彼らはあなたがたの従順のうちに勧め導く責任があたえられているのです。感謝と愛をもって彼らを圧倒しなさい!(12-13,MSG訳)」

あなたは尊敬の生活に召されています(12)。いつも人々を尊敬をもって取り扱いましょう。いつも平和にとどまるのです(13)。「葛藤している人々を優しく慰めなさい。そして、疲れ切っている人の所に行き、彼らの手を引いて立ち上がらせなさい。お互いに我慢しなさい。個々の必要に応えなさい。誰かの神経に障るような時は注意深くありなさい。お互いの中でぶち切れてはなりません。お互いにとって最善を探しなさい。そしていつも結果が最善となるように尽くしなさい(14-15,MSG訳)」人々の中で最善の結果を得たいなら、あなたは彼らの中にある最善を見なければなりません。

すべての人々に親切でありなさい。親切はあなたの生活が周りとは違う特徴を表すものであるべきです。「お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。(15)」小さな親切でさえ、あなたの周りの世界を変えることができるとても力強いものなのです。

あなたは異なる世界の住人なのです。あなたは新しい言語を学ぶ必要があります。ここで、パウロが述べていることは、役立つ文法と新しい言語です。「 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。(16-18)」祈りは呼吸のようなものです。絶えず、ずっと続けていますが、それは無意識にです。いつも不満をこぼすことに代えて「すべての事について、感謝しなさい。」それは神に対して、そして人に対して感謝を表現することです。大きな事と同様に小さな事にもです。「御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。悪はどんな悪でも避けなさい。(19-22)

これらすべては、やってみようと考えると物おじするようなことに思えます。しかし、あなた一人でするのではありません。パウロは祈ります。「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。(23)」そして彼は希望と助けをこだまさせて終えるのです。「あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(24)」

祈り:主よ。思い切って違ってみるように私を助けてください。私があなたと共に生きることが出来るように(10)あなたが死んでくださったことを感謝します。あらゆる種類の悪を遠ざけることが出来ますように(22)。そして、愛と、親切と、喜びと、平和の人生を生きることが出来ますように。


違った話し方をしてみる

エレミヤ25:15-26-24

人々はいつも神の見解を聴きたいと願っているわけではありません。神の見解とは相当違う自分たちの見解を持っている社会に対して神の言葉を語るためには勇気が必要です。

エレミヤのミニストリーには大きな勇気が必要でした。かれは周りの預言者とは思い切って違ってみなければなりませんでした。彼らは皆平安を預言しましたが、エレミヤは捕囚の時が来ることを知っていました。彼は人々に災禍がくることを警告したのです。

神は彼に言いました。「わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。(26:2-3)」

しかしながら、「主がすべての民に語れと命じたことをみな、エレミヤが語り終えたとき、祭司と預言者とすべての民は彼を捕らえて言った。『あなたは必ず死ななければならない。』(8)」

エレミヤの反応は再びとても勇敢なものでした。彼は言いました。「あなたの生き方を変えなさい。あなたの振る舞いを変えなさい。あなたの神のメッセージを従順に聴きなさい。もしかすると神はご自身が滅ぼそうとしたことを考え直されるかもしれない。…もしあなたがたが私を殺せば、あなたがたは無実の男を殺すことになる。…神は私を送り、こう告げるように語られたのだ。あなた方はエレミヤの言葉を聴いたのではなく、神が語られた言葉を聴いたのである。(13-15,MSG訳)」

実際、ヨスフ・ナダルカニのように、エレミヤは死刑の宣告から逃れました。しかし、どちらの男も神の真実にとどまるために究極的に犠牲をいとわなかったのです。私たちは同じような圧迫の下にはありません。しかし、私たちの周りの世界には、私たちが違って生きるのとは、かなり違う人々もいるのです。そのような反対によって驚いたりたじろいだりしてはなりません。イエスはご自身の弟子たちに言いました。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし…」イエスは続けます。「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)

祈り:主よ。ナダルカニ牧師やエレミヤ、パウロ、そして究極的にはイエスのような手本を与えてくださったことを感謝します。彼らは周りの人々と違って見せることを意志しました。たとえ、それによって死に至るとしてもです。私に違って生きる勇気を与え、あなたが私に語ってくださったことを言う者となしてください。アーメン。

H.K

References

The Guardian, ‘Iran: live free – and die’, 29 September 2011, https://www.theguardian.com/commentisfree/2011/sep/29/iran-live-free-die-editorial [last accessed August 2016].

Tim Marshall, Sky News foreign affairs editor, news.sky.com, 13:57pm, Thursday 29 September 2011, http://news.sky.com/story/iran-christian-convert-may-still-be-hanged-10485456 [last accessed August 2016]