Tokyo Chapel

2018年11月9日

第313日

ただ一度

ただ一度、1978年1月7日、私は花婿としてロンドンにあるホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会(HTB)の前方に立っていました。花嫁ピッパ・ヒスロプは父親と共に通路を歩いて来て、教会の前方で私と並びました。私たちは神の前に契りを交わして二人は夫婦として一つになりました。教会から出てきた時には「ミスター&ミセス・ガンベル」になっていました。それは「一度限り」の出来事です。しかし、それは私たちに大きな意味を含んでいます。それは私たちのお互いに対する愛に起因しており、お互いの人生の終わりまで、終世愛し合うことの約束であるのです。

その約4年前の、1974年2月16日、私はイエスと初めて出会っていました。私の人生を全く変える、愛の関係がはじまったのです。それはもう一つの「一度限り」の出来事でした。その「一度限り」の出来事は今も継続しており、全てを包含する出来事でした。私は、私のための神の愛を経験し、私自身を永遠に神の愛に応えることにささげたのです。

今日の新約聖書の箇所でヘブル人への手紙の作者は、全時代を通じて最も大いなる「一度限りの出来事について述べています。それは歴史の道筋を変え、私たちの人生の全てを変える潜在力を持っています。イエスは「ただ一度」来られたのです。(ヘブル9:26)キリストは「一度、ご自身をささげられました。(28)」また「ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。(12)」「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。(10:10)」この「ただ一度」の出来事は神の私たちへの愛に起因しています。そして、あなたや私の人生に大きな意味を与えるのです。


神はあなたを守り保護する

詩篇121:1-8

もしあなたが問題に遭ったり、どうしていいか分からないような時、あなたは最初にどこに行きますか?友達や家族あるいはお医者さんを探すでしょうか?このように助けを誰かに求めることは何も間違っていません。しかし、詩篇の作者が最初に目を向けたのは「上」でした。

後悔は振り返る。恐れは見回す。不安は内側を見る。信仰は見上げる。

詩篇の作者は見上げました。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。(1)」あなたの助け、力、保護は宇宙を創造した神から来るのです。「私の助けは神から来る。このお方は天と地と山々を創られた。(2,MSG訳)」「主はあなたの足をよろけさせず、 あなたを守る方は、まどろむこともない。(3)」

この美しい詩篇はあなたのための神の愛とあなたの人生を丸ごと守ることを語っています。

「神はあなたの守護者であり、あなたのそばに居てあなたを守る。…
神は全ての悪からあなたを守り、あなたの命そのものを守られる。
神はあなたが去る時も、戻る時も守られる。
神は今あなたを守り、いつもあなたを守られる。(5-8,MSG)」

私は時々、私の家族や友人が彼らの人生で困難に遭っている時にこの詩篇を用いて祈ります。

この詩篇の約束は、どんな究極の危害があったとしても、主はそれら全てから私たちを守ってくださるということです。詩篇の作者は、イエスが「ただ一度」ささげられる事によってこもことが可能になるということを知り得ませんでした。キリストはもう一度来られます。それは「彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られる(ヘブル9:28)」ということを意味するのです。

祈り:主よ。あなた私を夜も昼も見守ってくださいます。私が行くのも帰るのも、今もとこしえも見守ってくださることを感謝します。


イエスはあなたのためにご自身をささげた

ヘブル9:16-28

あなたはどれほど神があなたを愛しておられるかを認識していますか?あなたは、完全な赦しをあなたが受け取ることが出来るようにイエスがご自身の血を流したことを知っていますか?あなたは、イエスがすでにあなたが過去に犯した罪と将来犯すかもしれないすべての罪のために代価を支払われたことを理解していますか?

なぜイエスの死が必要だったのでしょうか?著者は、遺言書契約(同じギリシャ語がどちらにも用いられています)の両方についてみれば、それらはがなければ有効にはならないということを指摘しています。死は他の人々のための相続を導くのです。

「初めの契約も血なしに成立したのではありません。(18)」さらに続けて「(古い)契約の血」について詳しく説明します。そして、「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」と結論付けます(19-22)。

ですから作者は、イエスのいけにえと律法のもとでの劣ったいけにえとを3つの声明で対比しています。

  1. イエスは現実の事柄を取り扱った
    「キリストは聖なる場所の地上版に入ったのではなく、彼はその場所そのものに入られました。そして私たちの罪のためのいけにとして神にご自身をささげたのです。(24,MSG訳)」
  2. イエスのいけにえは「ただ一度」であった
    「年ごとに自分の血でない血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。(25)」むしろ、「すべての人は一度死にます。そしてその結末に直面します。キリストの死はまた、一度限りの出来事でしたが、それは永遠に罪を取り扱ういけにえであったのです。(27-28,MSG訳)」
  3. イエスはご自身の血を流された
    イエスは「自分の血でない血を携えて(25)」ささげたのではありません。大祭司とは違って、ご自身の血を流されたのです(12)。

今はもういけにえは要求されていません。「目的を果たすためには、これらの動物のいけにはもう必要ありません。(23,MSG訳)」聖公会祈祷書を引用すると、イエスのただ一度のいけにえは「全世界の罪のための、満ち足りた、完全な、有効ないけにえ、奉納、償い」です。イエスが十字架の上で叫ばれた時、「完了した(ヨハネ19:30)」のです。

イエスが再臨する時、それは「罪を負うため」ではなく、むしろ「彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。(ヘブル9:28)」

祈り:感謝します。主よ。イエスのゆえに。私が完全な赦しを受け取ることができるように、イエスがただ一度私のためにいけにえとなってくださったことを感謝します。今日、それが「完了した」ことを私が覚えることができますように。


きっぱりと区切りをつける!

エゼキエル17:1-18:32

私たちのためのイエスの死は「一度」の出来事ですが、神は、ご自身の愛のうちに、何百年もの歳月をかけてご自身の民を準備されました。神は罪の深刻な結果を教え、救い主を指し示しました。

神のご自身の民への言葉は寓話やたとえを通して為されました(17:1)。寓話のそのままの意味は、バビロンの「大鷲(3)」でした。それは597BCにユダからバビロンに連れていかれたエホヤキン王と取れます。しかし、この適用はさらに広いのです。

二種類の芽、二種類のぶどうの木、二種類の王国があります。この世の王国があります。それは人の手で作られたもので、一見とても強く見えます。すべての最良の資源を用いて、繁栄を現します。しかし、最後にはしなびて死んでしまい、完全に役に立たなくなります。他方、神の王国があります。最初は実に小さな始まりです。予想に反して、豊かな実を生らせ永遠の果実を実らせます。(マタイ13:31-32、黙示録22章参照)

私たちがこの箇所をイエスのレンズごしに読むとき、私たちは罪のための「ただ一度」のいけにえについてのヒントを得ます。「若枝の先(エゼキエル17:22)」は預言者イザヤが明らかにメシア的な文章で用いた言い方で、やがて来るイエスを予見しています(イザヤ53:2)」これは、私たちの罪のために刺し通されたお方(5)、私たちのすべての咎を負わせられたお方(6)です。このお方は、私たちの罪を「ただ一度」自分自身をいけにえとしてささげたのです。

エゼキエルは続けて言います。「あなたは、自分自身の罪のために死んだ。他の人のためではない(エゼキエル18:4,MSG訳)」「罪を犯した者は、その者が死ぬ。(20)」先にエゼキエルは共同責任について語っていました(17:12)。いま、彼は個人責任について語ります。私たちは皆、自分の人生に対して責任を負わなければなりません。あなたはあなたの親や子どもたちの罪によって裁かれることはありません(18:20)。しかし、自分自身の罪は裁かれます。

神はすべての人を愛します。神はだれもご自身の裁きに落ちることを願ってはおられません。「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。 ―神である主の御告げ― 彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。(23)」

彼はこの箇所を締めくくります。「わたしはあなたがた各々を生きた方法に従って裁く。だから立ち返れ!罪があなたを引き倒さないように、反逆の生活に背を向けよ。家を片付けよ…新しい心を得よ!新しい霊を得よ!(30-31,MSG訳)」ですからこの箇所の最後はどのようにしてそれが可能になるのかで終わっています。「だから、悔い改めて、生きよ。(32)」

これは素晴らしい知らせです。どれほど、あなたがどん底まで落ちていても、あなたの人生をどれほど台無しにしても、あなたが過去ときれいさっぱり区切りをつけることができるのです。ただ「悔い改める」のです。悪い道からイエスに立ち返るのです。あなたは、完全な赦し、新しい心、新しい霊、を受け取り、あなたの罪のためのイエスのただ一度のいけにえによって可能にしてくださった神との関係を楽しむことが出来ます。

祈り:主よ。私が「悔い改めて、生きる」ことが出来るようにしてくださったことを感謝します。新しい心と新しい霊を私に約束してくださったことを感謝します。きっぱりと区切りをつけて、私の罪のための「ただ一度」のいけにえによって可能となった、神との関係を楽しむことが出来ますように。アーメン。

H.K

References

Text from The Book of Common Prayer, the rights in which are vested in the Crown, is reproduced by permission of the Crown’s Patentee, Cambridge University Press.