Tokyo Chapel

2018年11月13日

第317日

あなたの信仰を鍛える3つの方法

その島の住人は人食い人種でした。他の誰も信頼できませんでした。彼の生活はいつも危険と隣り合わせでした。彼は彼らにイエスの福音を伝えにやって来たのです。彼はヨハネの福音書を彼らの言語に翻訳したいと願っていましたが、彼は彼らの言語に「信頼」や「信じる」また「信仰」という言葉を見出すことが出来ませんでした。

スコットランド人、ジョン・ペイトン(1824-1907)はニューヘブリディーズ(南西太平洋の諸島)に来て、イエスについて原住民に告げ知らせることを決意しました。しかし、「信仰」にあたる相応しい言葉を見つけるのに四苦八苦しました。ある日、彼のもとに原住民の給仕がやって来た時、ペイトンは両足を床から離して、椅子に深く腰掛けて、こう尋ねました「今、私がしていることは何だい?」その給仕は「あなたの全体重を任せて委ねる」という意味の言葉を用いて、答えました。これがペイトンが用いた表現となりました。信仰は全体重をイエスに任せて委ねることです


攻撃のもとにある時の信頼としての信仰

詩篇124:1-8

「信仰とは、夜明け前のまだ暗いうちから歌い始めるのことだ」とラビンドラナート・タゴールは書きました。

私たちの人生において、誰でも信仰が試される時があります。私たちは「攻撃」のもとに置かれるのです。「全員が私たちに対抗して行った時(2,MSG訳)」そして、誘惑、疑い、恐れなどが「荒れ狂う水(5)」の「大水(4)」のように思えるでしょう。

これらのことがあなたを圧倒しますが、実は天と地を創られた方ががあなたのそばにおられます(1)。信仰は神があなたを守ることなく去ってしまわないと信頼することを意味します。神はあなたを罠から解き放ってくださいます。「私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。(7)」

ダビデは聖書の中で最も試された人物の一人です。ダビデのように、神に忠実でありましょう。主を信頼しましょう。神はあなたを逆巻く大水から守り、「生きたままのみこむ」ことから守ります(3)。「私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある(8)」のです。

祈り:主よ。助けてください。


選択、忍耐、期待としての信仰

ヘブル11:17-40

英雄的な信仰とはどのようなものでしょうか?モーセはイエスラエルの歴史の中で特筆すべき人物です。彼はイスラエルを奴隷状態から救い出しました。彼はイスラエルに律法を与えました。今日の箇所で、ヘブル人への手紙の作者は、モーセが卓越した信仰の人であることを示しています。

私たちが見てきたように、「信仰」という言葉は幾つもの意味を持っています。それはあなたの神との関係全体を描写しているのです。― 神に信頼し、全体重をイエスに載せることを学び、あなたの信じていることに従って行動する勇気を持つことなどです。モーセの手本を通して、私たちは3つの信仰を鍛える方法を見ます。

  1. 選択としての信仰

モーセは「普通の子どもではありません(23,NIV訳)」でした。彼はエジプトの王家に育ち、最高水準の教育と訓練を受けました。彼はまた見栄えも良かったのです(出エジプト2:2)。今日、多くの人々が達成を目指して努力します。それはお金のため、セックスのため、権力のために費やす努力です。モーセはそれらすべてを有り余るほど持つことが出来ました。

モーセはもう一つ大きな強みがありました。― 彼の両親の信仰です(ヘブル11:23)。パロの娘はモーセの母に乳母としての務めを与えました。しかしながら、終わりの日には、モーセ自身は、あなたや私も同じように、選択することが必要です。

モーセは「はかない罪の楽しみを受ける(25)」ことも出来ました。しかしながら「むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。(25)」モーセは神の民でありながら奴隷の国として蔑まれてきた生い立ちと、それらの人々とに自己同一することを選択したのです。彼らと自己認識を合わせることによって、彼は自らを危険と軽蔑と迫害を身に招くことになったのです。

モーセは「キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。(26)」うつろい易いこの世の楽しみと比べて、神は永遠の報いをあなたに差し出しておられるのです。

選択としての信仰は義とされる信仰です。この信仰の最初の行動は、FAITH(信仰)という文字を頭文字として以下のように要約できます。

Forsaking All I Take Him (FAITH) すべてを捨てて、私は主を得る

  1. 忍耐としての信仰

モーセは二度エジプトを離れました。最初はエジプト人を殺した後、犯罪者として逃亡した時です。二度目は神の民の指導者として離れました。この二度の出来事の間に、勇気と決断力が養われるのを耐えました。彼は目に見えない方を見るようにして、忍び通した(27)」のです。彼の目はすべて霊的な領域に開かれたのです。

選択の山から、大勝利の山に移るのに、多くの闘いがありました。これは聖書のパターンです。最初に召しがあります。次に問題があります。最後に達成があるのです。その間は忍耐し信頼し続けるのです。

このような種類の信仰は次のように表せます。

Feeling Afraid I Trust Him (FAITH) 恐れを感じても、私は主に信頼する

ヘブル人への手紙の作者が描くこのような信仰の面は著しくストレスを与えるものです。それはパウロが御霊の実(ガラテヤ5:22)として「忠実」をリストに加えたのと軌を一にするものでしょう。

  1. 期待としての信仰

私がホーリー・トリニティー・ブロンプトン教会のリーダーシップ・カンファレンスでリック・ウォレン牧師にインタビューした時、このような言い回しで尋ねました。「なぜ神は私を用いたのか?」その問いに自らこう答えました「なぜなら、私が神に用いられることを私が期待しているからだ。」ジョイス・マイヤーは期待を定義してこう言いました。「願った結果を受けることを見越して喜びに満たされること。」

モーセは神に聴きました。彼は神が彼にせよと言ったことを行いました。彼は神が死に至らせる力を持っていることを知っていましたが、彼は、血を注がれたイスラエルの家々を神が過ぎ越してくださることを信じました(ヘブル11:28)。彼は神の力がしるしと不思議をもたらすことを信じました。そのように紅海を渡って行ったのです(29)。

期待は神が全能の働きを為されるという確信の不思議な高鳴りです。最初の3つの福音書の中のほぼ三分の二は奇跡に関して起こされる信仰について触れています。ここでの信仰は神の力への信頼として理解されるべきものです。

作者は旧約聖書の信仰の他の例を引き続き示します。そこには「国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ(33-34)」た者たちが含まれています。私は特に、神があなたや私の弱さを力に変えてくださるという事実が大好きです。

彼はこの歴史の概略を極めて尋常ではない言葉で締めくくります。「神は私たちにもっと良い計画を持っていたのです。(40,MSG訳)」彼はあなたがノア、アブラハム、モーセ、ヨシュア、サムソン、ダビデ、そしてその他のすべての人々よりも優れた者だと言うのです。「彼らの信仰の人生は称賛されたのですが、これらの人々の内一人として約束されたものを手にした者はいませんでした。(39,MSG訳)」彼らはもっと良い何かを見越すことは出来たのですが、あなたは聖霊の時代に生きており、キリストになるもっと素晴らしい、完全な啓示を受け取ったのです。

祈り:主よ。あなたを信頼することが出来ますように。忍耐することが出来ますように。そして癒しや不思議を通してあなたの御業を期待する信仰を得させてください。


悲劇の時の信仰

エゼキエル24:1-25:17

「信仰は困難を防ぐ避難所ではなく、すべての矛盾に直面する中での信念である」とポール・トゥルニエは書きました。

エゼキエルの信仰は並外れていました。彼のメッセージはとても語り難いものでした。神はご自身の民に、彼らの不純物を取り除けてきれいにしようとしたが、彼らはきれいになろうとせず、それゆえ裁きが来ると言っているのです。「あなたの行ないや、わざにしたがって、あなたをさばく。(24:14)」もし私たちが神の赦し(その赦しは今すぐ私たちがキリストの十字架によって得ることが出来ると私たちは知っています。)を受け取ることを拒むなら、私たちは、私たちの行いや、わざにしたがって裁かれることになります。

エゼキエルの信仰は彼の妻(「あなたの愛する者」,16)の悲劇的な死によっても無くなることはありませんでした。神は彼にイスラエルの聖所、すなわち「彼らの愛する所」彼らの思慕の対象を取り除くだろうと言われました(21)。彼はバビロンによってエルサレムが恐ろしく破壊されることを予言したのです。

彼は他の国々に悪意をもって喜んではならないと警告しました(25:6,5)。誰かが問題を抱えるのを私たちが見る時に、密かにほくそ笑むような感覚(私たちも誘惑されうるのですが)に対して神は強く反対します。— それは愛の真逆です。

誰かがあなたを傷つける時、あなた自身の手で復讐してはなりません。神が、最終的に正義を成されるという約束してくださっていることのゆえに神に信頼しましょう。(15-17)

この箇所の暗黒のただ中に、一筋の光が差し込みます。エルサレムの破壊の知らせを伝令が届けた時、エゼキエルは最後の時まで沈黙を強いられました(エゼキエル3:24-27 参照)。これは彼の働きが顕著に変わる前触れでした。彼がイスラエルの国に焦点を当てた時(33章)、破滅の運命の預言者は希望の使者へと変えられたのです。義なる神はまた、恵みと救いの神として啓示されるのです。

イエスはご自身の身に裁きを受けられました。イエスの血潮はあなたをすべての罪からきよめます。聖霊はあなたのうちに住まわれます。あなたを通して大いなることが為されることを期待しなさい。―それはあなたの全体重を主にゆだねることです。

祈り:主よ。私の恐れ、心配、行く先に待ち構える試練を今日あなたのもとに置きます。私はあなたに信頼します。私は今日あなたに全体重を委ねます。アーメン。