Tokyo Chapel

2019年4月5日

第95日

一つのことが必要

私は1974年、イエス・キリストに初めて出会いました。それからしばらくして、彼は何年にもわたって心に残るトークを聴きました。それは80歳になる説教者からの「5つの『一つのこと』」という題でした。彼は聖書に登場する「一つのこと」という表現をめぐる5つの顕著な出来事にハイライトを当てました。(詩篇27:4; マルコ10:21; ルカ10:42; ヨハネ9:25; ピリピ3:13)それぞれの箇所で、私たちが優先すべき事柄が語られています。5つの出来事の一つが今日の新約聖書の箇所に登場します(ルカ10:42)。

私はマルタになったように感情移入して考えます。イエスは彼女に言いました。「あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。(41)」人生には色々な事がありますが、イエスは「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。(42)」と言われました。それは、マリアが正しく優先順位の一番とした事でした。


ただ主の臨在に

詩篇41:7-13

あなたは人生のすべての試練の真っ只中で神の臨在と主の喜びを知る事が出来ます。

ダビデは恐れと困惑の中にありました。ダビデは敵に囲まれた。それはイエスと同じようです。「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。(9、ヨハネ13:18)」

ダビデのように、究極的には悪にまさって善が勝利を得る事に確信を持ちましょう(詩篇41:11b)。神があなたのことを喜んでおられることを知りましょう(詩篇41:11a)。ダビデの計り知れない願いは、神がダビデをご自身の臨在に留めて下さることでした(12)。これをあなたも第一に優先しましょう。それがあなたが創造された理由だからです。神の臨在はあなたの深い必要を満たすのです。

祈り:父よ。試練と困難の真っ只中にあって、あなたの喜びとあなたの臨在を今日楽しむことを助けてください。


ただイエスだけ

ルカ10:25-11:4

あなたの優先事項は何ですか?忙しいスケジュールの中で、神との時間を割くことが出来ますか?また神との絆を持つことをどれだけ優先させているでしょうか?

博学の神学者にして律法学者はイエスに尋ねます。大金持ちの信徒は永遠のいのちのための質問をします。

イエスは私たちに応答の仕方のモデルを教えます。それは、アルファのスモール・グループで習うことの一つです。実際にイエスはこう尋ねられました。「あなたはどう思いますか?(10:26,36,NIV訳)」

律法学者は正解を答えました。「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」と。これはあなたの第一の優先事項とすべきです。その次に「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」を優先させます。

イエスはもう一つの質問をすることで、律法学者が法の抜け穴を探していることを暴露しました(29)。彼は「隣人」という言葉を、家族、友人、親戚、同じグループのメンバー、また宗教的集団に限定したかったのです。

イエスは不当行為についての物語をもって応答しました。一人の男が悪名高き危険な道を旅していました。エルサレムからエリコまでの30km程の道のりを900メートルほど下って行きました。彼は色々な貴重品や物品を運んでいました。彼は不法者の被害者となってしまいました。彼は盗まれ、引き剥がされ、殴られて半殺しの目に遭わされ放置されました。(30)

宗教指導者が通り掛かりました。最初は祭司でした。(多分、エルサレムの神殿での礼拝に急いで向かっていたのでしょう。)次に通り掛かったのはレビ人でした。(彼は祈祷と賛美の補助をするための責任を負っていたのでしょう。)二人ともこの被害者を「見た」のです。(31-32)しかし、どちらも足を止めませんでした。彼らが、そして私たちが、関わらない理由は少なくとも3つあります。

  1. 私たちは忙し過ぎる
    多分彼らは急いでいたのでしょう。彼らは時間を消費するような出来事のは巻き込まれたくなかったのです。
  2. 私たちは自分の身を汚したくはない
    死体に触れると7日間は汚れました。(民数19:11)彼らはその期間、神殿には入れないようにはなりたくありませんでした。(レビ21:1)彼らは神殿での自分の務めを失いたくなかったのです。
  3. 私たちは危険を犯したくない
    明らかに盗人はその近くにいたのでしょう。これはおとりで、待ち伏せしている可能性があります。

イエスの話に聴き入っていた聴衆は、この物語のヒーローを聴いてショックを受けました。イエスはそこに彼らの一番大嫌いな人物を登場させたのです。サマリア人は、社会的に、政治的にユダヤ人から軽蔑されていたのです。これは、異なる人種や宗教に憐れみをかけることについての関わるお話です。(ルカ10:33)サマリア人は実際的な助けを与えました。それには時間も、エネルギーも、お金もかかりました。(34-35)

イエスが話したこの物語は、律法の専門家が間違った質問をしたことを露わにしています。(29)正しい質問は「私の隣人とは、だれのことですか。」ではなく「私は誰の隣人になれるのでしょうか?」です。イエスは愛の勤めの絶対的で制限のない性質を教えたのです。イエスはすべての壁を壊す為に来られたのです。全人類が私の隣人です。

エリザベス2世女王は、あるクリスマスのメッセージでこう語りました。「私にとって、クリスチャンとして、もしイエスが『誰が私の隣人でしょうか?』という問いに答えられたとしたなら、イエスが導き出す答えは明らかに次の様だと言えます。『すべての人が私の隣人です。人種、信条、肌の色のとらわれることなしに。』」

「彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。(31b)」というのは、示唆に富む表現です。私たちの周りには傷ついた人々がいます。一度見たなら、イエスのたとえの祭司やレビ人のように反対側を通り過ぎるようになってなりません。サマリア人は「かわいそうに思い(33b)」「介抱(34b)」し「費用(35b)」を出しました。イエスは物語の最後に「あなたも行って同じようにしなさい。(37)」と言いました。

助けを必要とする人々に近づきましょう。関わり持って、彼らを助けましょう。あなたが傷ついた人を助け、倒れた人を抱き起こし、壊れた者を回復させる時ほどあなたが神のような存在であることはありません。あなたの生活でこれを優先させましょう。さて、次の物語は、あなたがそのようにできることが、さらに優先させるべきことから発しているということを私たちに理解させます。

マリアは正しい優先順位を持ちました。彼女は「主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた(39)」のです。彼女は周りには気を紛らわすことや心配事があることを知っていましたが、イエスのそばに座っていることより大切なことはないと認識していました。これがあなたが一番優先させるべきことです。

マルタは忙し過ぎて、イエスが彼女の家に訪れた時にイエスとの親しい関係に費やす時間が取れませんでした。イエスとの時間を取れないということは、あなたの霊的生活において最大の間違いです。死の間際に「あぁ、もっとオフィスで過ごすことができればなぁ。」という人は誰もいません。多くの人が、最も大切な関係に時間を費やすことが出来なかったことを悔いるのです。

ルカが次の物語を配置したのは多分偶然ではないでしょう。その物語はイエスが弟子たちに祈る方法について告げています。私たちはイエスご自身が神との関係に祈りによって時間を費やすことの大切さを示すモデルとなられたことを理解することがでいます。そして、弟子たちの祈りへの関心に口火が切られたのです(11:1)。それが「主の祈り」が弟子たちに教えられた背景となっているのです。

祈りは、「父」と呼びかけることをあなたに勧め、神との極めて近い親密さをもって始められます。しかし、神との関係はあなたのすべての生活にインパクトを与えるべきです。日々の糧のための祈り(3)、「御国が来ますように」という祈り(2)そして、あなたが赦す必要のある他者に対する罪について、あるいは、あなた自身が赦されるべきこと(4)。

イエスとの関係を深めていくことは多くの異なる方法があります。どのような方法であなたがそうするにせよ、あなたはそれを第一の優先順位にする必要があります。

祈り:主よ。あなたの臨在を楽しむことができますように。どうか、私に、倒れた者を抱き上げ、心折れた者を癒し、傷ついた者を助けるために愛と勇気を与えてください。


ただ主との絆に

民数記2:24-4:14

モーセは神がどのように民に約束の地を与え、律法を授けたかを記しています。神の民の最高の特権は、地や律法以上に神の愛です。「まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。(4:7)」

さらに、神の民が生き方を教えられた方法と彼らが他の国々に与えるであろう衝撃との間に意図的な結びつきがあるように見えます(6)。神は彼らによく見える例であるようにと意図されました。それは、彼らが礼拝する神の性質に関して、そして彼らのコミュニティーに体現する社会正義の質に関しての両面にです。言い換えると、良きサマリヤ人の例に倣うことは、伝道的である当然の結果なのです。

律法は神の愛の表現であり、ご自身の民と親しくありたいという神の願いなのです。それが、彼らに「ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。(9)」と勧められている理由です。律法は契約の形で与えられました(13)。それは神の私たちへの約束と神の私たちへの愛で始まります。

同じように、新しい契約はイエスの死と復活による神の約束をもって始まります。そして、神の愛が聖霊によってあなたの心に注がれることを通して始まるのです。あなたは永遠に神の臨在につながることができるのです(エペソ2:18)。

祈り:父よ。あなたのそばに留まらせてください。あなたの臨在に生き、イエスの膝もとに座り、あなたの御声を聞かせてください。そしてあなたが語られたとおりに出て行き行うことができますように。

H.K